閑話8 姉と先輩騎士
聖王国歴724年――アストリア陛下の勅命で、僕が守護騎士に就任してから4ヶ月が過ぎようとしていた。今、僕は守護騎士の先輩であるブルーノ殿と共に聖王宮内を巡回していた。
聖王宮には強力な結界が張り巡らされているが、何が起きるか分からない。悪意ある侵入者が居ないか、感知術で念入りに索敵する。
「ディゼル、聖王宮には慣れてきたか?」
「ええ、最初は宮廷内の清廉な空気に圧倒されましたけど……」
「無理もない。私も聖王宮に初めて来た時は、今の君と同じ気持ちだったよ」
「そういえば、ブルーノ殿は今日は聖王宮の警護を担当されているんですね。何時もは、深淵の軍勢の討伐に赴かれることが多いのに」
「ああ、確かに。聖王宮の警護はあまり担当しないな」
ブルーノ殿は今年で22歳、王立学園騎士科に通っていた頃はグラン隊長の後輩だったという。3年前に守護騎士に就任してから、主に国内に出現する深淵の軍勢の討伐を担当している。
グラン隊長や周囲からの信頼も厚く、アストリア陛下の婚約者であるグラン隊長が陛下と御結婚され国王陛下になられたら、次の守護騎士隊長はブルーノ殿が相応しいという声もある。
彼は火の力を宿し、火の魔法剣“炎剣”の使い手。現在所属する守護騎士の中で、最も強い火の力の持ち主だ。
その実力から、聖王宮の警護よりも深淵の軍勢の討伐に出ることが多い為、彼が聖王宮の警護を担当している姿は珍しい。
「(ブルーノ殿が宿しているのは火の力か……)」
火の力と聞いて、僕の頭に真っ先に思い浮かぶ人物がひとり居る。僕と同じく聖王宮に務めている――そこまで思考して、ハッと我に返る。
奇妙な異臭が漂っていることに気付いたからだ。何だ、この匂いは?
「ブルーノ殿」
「ああ、この先からだ」
僕とブルーノ殿は、異臭が発生している思われる現場に急行する。この辺りは、確か魔法研究室がある場所?
異臭が強くなり、思わず顔を顰めてしまう。本当に酷い匂いだ、鼻が曲がりそうになる。
「あれは……」
「大丈夫ですか!?」
魔法研究室周辺の床に研究者の方達が倒れていた。この異臭の影響で倒れてしまったのだろうか?
研究者のひとりを助け起こす。その人はある場所を指差した――魔法研究室の扉が開いて、そこから異臭が漏れている。
「た、頼む……あ、あれを止めてくれ」
「しっかりして下さい!」
「気を失ったようだな――心配だが、まずはこの異臭を何とかすることが先決だ。研究室に入ろう」
「はい!」
意を決して、研究室に足を踏み入れる。そこに広がっていた光景は――。
「ウフフフフ……ウフフフフ……ウーッフッフッフッ」
黒いとんがり帽子を被り、黒いローブを纏った異様な人物が不気味な笑い声を上げながら、大きな鍋に入った緑色の液体を棒で掻き混ぜていた。
……あれ、ここって聖王宮の魔法研究室じゃなかったっけ?
何時の間に、悪い魔女の巣窟にやって来てしまったんだろう? 困惑する僕とブルーノ殿は互いの顔を見合わせる。
と、言うよりも僕は目の前の魔女の声に凄まじく聞き覚えがある。何故なら、僕の身内だからである。
「ククク……イィーヒッヒッヒッヒッ!」
とりあえず、この人を止めないと……お、丁度いい物を発見。研究室の片隅に転がっているスリッパを手に取る。
不気味な笑い声を上げながら、鍋を棒で掻き回す魔女らしき怪人物の背後に立った僕は深呼吸する。そして、迷うことなくスリッパを振りかざした。
スパァァァァァアンッ!
「あいたぁーーーーーーーーっ!?」
軽快な音と共に、スリッパで頭を叩かれる魔女。頭に被っていたとんがり帽子が床に落ちる。
唸りながら、叩かれた頭を押さえる魔女らしき人。僕は溜息交じりに彼女を見つめる。
「姉さん、何してるの?」
「あたたた……ディゼル!? 姉さんの頭をスリッパで叩くなんて、何時からそんな酷いことする子になったの!?」
魔女の正体はレイン・アークライト――そう、僕の実の姉だった。
姉さんは王立学園卒業後、聖王宮の魔法研究室に勤務している。まさか、この騒動の犯人が自分の身内とは……頭が痛くなってくる。
「あのさぁ……周囲の状況見てよ? 凄いことになってるんだけど」
「え……あれ、研究室のみんなが居ない?」
「外見て、外」
僕の言葉に従い、姉さんは研究室を出るなり大声を上げる。
「な、何コレ……どうして、みんな倒れてるの!? ディゼル、一体何処の誰がこんな酷いことをしたっていうの!!?」
「犯人は僕の目の前に居るでしょうがっ!? その鍋の緑色の液体から漂う異臭が全ての元凶だよ! 一体全体、何を作ってたんだよ!!?」
姉さんが棒で掻き混ぜていた鍋には、不気味な緑色の液体がグツグツと音を立てている。凄まじい悪臭に、鼻が曲がるどころか目まで沁みてきた。
うっかり床にブチ撒けたりしたら、何かとんでもない生物が生まれそうな気がするようなしないような……。
「何って、胃腸を整える薬だけど……」
「それ、飲み薬だったの!?」
良薬は口に苦しという言葉があるにはあるけど……それは、どう見たって薬じゃないだろ!?
どんな材料を使えば、こんな不気味な緑色の液体になるというのか。頭を抱える僕の肩にブルーノ殿が手を掛ける。
「ディゼル、随分親しい間柄のようだが……こちらの女性は君の親族か?」
「ええ……こんな人ですけど、実の姉です」
「こんなとは失礼ね! 姉さん、泣くわよ、泣いちゃうわよ! 泣く一歩手前だけどいいのね!?」
「泣きたいのこっちだよ……」
「はうううう……、始末書って書くの大変だわ(´;ω;`)」
「いや、自業自得でしょ?」
あの後、魔法研究室室長に怒られた姉さんは研究室の机で今回の騒動の始末書を書くことになった。
聖王宮の警護は他の守護騎士の先輩が交代してくれたので、姉さんが始末書を放り出して逃げないか見張る為に、僕がこうして見張り役に抜擢された。
……いや、確かに身内ですけど、こんな役を押し付けないでもらえませんか?
って言うか、そもそも気になっていたんだけど――。
「姉さん、その黒いとんがり帽子とローブ姿は何なの? 似合うどうこう以前に、痛々しいことこの上ないんだけど」
「痛々しいとは失礼ね!? 薬を作る時の雰囲気にピッタリな服装を選んだのよ!」
「いや、物語に出て来るような悪い魔女にしか見えないって。薬作ってた時の怪しい笑い声とか、不気味以外の何物でもなかったよ」
目の前に居るお騒がせ姉は、黒いとんがり帽子とローブ姿のまま始末書を書いていた。さっさと着替えればいいのに。
呆れた眼差しで姉さんを見張り続けていると、研究室の扉をノックする音が。
「ブルーノだが、入ってもいいだろうか?」
「ええ、どうぞ」
「失礼する――」
研究室にブルーノ殿が入室してきた。どうやら、お茶と茶菓子を持って来て下さったみたいだ。
彼の気遣いには感謝するけど……。
「ブルーノ殿、あまりこの人を甘やかさないで下さい。異臭騒動を起こした張本人ですよ?」
「そう言うな、君の姉上ではないか――レイン殿、どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
机の上に置かれたティーカップを手に取る姉さん。あれ、そういえば気になっていたことが……。
「ブルーノ殿、僕の姉とは面識が無いのですか? この人、2年近く前から聖王宮の魔法研究室に勤務していますけど……」
「ああ、聖王宮の警護をすることはあるけど、魔法研究室の辺りはあまり来たことが無いな。レイン殿とお会いするのは今日が初めてだよ」
どうやら、ブルーノ殿は魔法研究室方面の警護には殆ど赴いたことが無い模様。まぁ、面識があればこんな傍迷惑な人のことは記憶してるよね。
ちなみに、このお茶と茶菓子は元々は聖王宮内で働く侍女殿が用意したものだったようだ。研究室に向かっていた侍女殿を見掛けた、同じように研究室に向かっていたブルーノ殿が受け取ってそのまま届けに来た模様。
侍女殿は、守護騎士であるブルーノ殿の手を煩わせたことを気にしていたみたいだ。ブルーノ殿は、気さくな方だから気にも留めていないようだけど。
あれ……ブルーノ殿が姉さんをじっと見つめている?
「ブルーノ殿、どうかされましたか?」
「ああ……いや、何でもない。私はそろそろ警護に戻るよ。レイン殿、機会があればまたお会いしましょう」
「は、はい……」
そう言って、ブルーノ殿は研究室から退室していった。
わざわざ、騒動を起こした張本人の為にお茶を持って来てくれるなんて、本当に人間が出来た人だなぁ。周囲からの信頼が厚いのも頷ける。
彼が去った後、姉さんがポツリと呟いた。
「ディゼル、その……もしかして、ブルーノさんは火の力の持ち主かしら?」
「え……そうだけど、初対面だったのに分かるの?」
「私も火の力を宿しているからかしら……」
そう、姉さんもブルーノ殿と同じく、火の力を宿している。運動能力は月並みな姉さんだけど、火炎魔法の腕前には自信を持っている。
ブルーノ殿もさっき姉さんを見つめていたし、同じ力を持つ者同士、通じ合うものがあるのかな?
「それに紳士的で素敵な殿方だったわ……」
「え゛」
あ、あれ……姉さんが赤くなってる?
「ブルーノさん……」
え……何これ? こ、これ本当に姉さん!?
魔法研究一筋で、他のことにはズボラな姉さんのこんな表情見たこと無いんだけど――ま、まさか、ブルーノ殿に一目惚れしたの!?
う、嘘……あの姉さんが、こ、恋?
こんな姉さんを見たら、みんなはどう思うかな……母さんは目を輝かせそう。研究一筋で浮いた話が無い姉さんを母さんは心配してたしなぁ。
うーん、しかし……ブルーノ殿は次の守護騎士隊長に選ばれてもおかしくない人だし。この傍迷惑な姉と関わらせていいものか……。
この時の僕は知る由も無かった――姉さんの恋が大きな意味を持つことに。
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