閑話2 野営訓練の惨事


 聖王国歴724年――もうじき14歳の誕生日を迎えようとしている僕こと、ディゼル・アークライトは絶体絶命の危機に陥っていた。視線を、隣に居る友人であるジャレットに向ける。彼も真っ青な表情をしていた。

 

「(いや、無理もないか……“コレ”を見て、青褪めない人間は居ないよな……)」


 僕達の手にはスプーンと皿が握られている。スプーンはいい――問題なのは、皿に注がれているスープと思われる液体である。紫色をしており、ゴポゴポという音を立てているのだ。


 それはさながら、毒の沼とでも言えばいいのだろうか。凄まじい悪臭に鼻が曲がりそうになる。極めつけに、毒の沼のような液体の底からあるモノが出現した。


 ……プカっと、何らかの生物の目玉が液体の表面に浮かんできたのだ。


 僕とジャレット――否、同じ班になった全員の顔は真っ青を通り越して、真っ白になっていた。変化が無いのは、このスープを作った張本人だけだ。


 さて、どうしてこんな事態になってしまったのだろう。時間を少し遡る――。






 その日、僕達騎士科の生徒達は校外学習の一環として、聖王都の外で野営訓練を行っていた。戦場では何が起きるか予測がつかない、戦いが長引いて野営する事も珍しくない。


 ゆえに、今日はそういった時の為の訓練を行っていた。魔法や魔道具を用いずに火を起こす訓練や、水源の確保など……。


 この手の技術の内容は、本で読んだりして知っていたけど、実際に実行すると非常に大変だ。慣れない作業に僕や他の皆も四苦八苦していた。


 各班は5人で構成され、僕の班にはジャレットとアメリーの姿もあった。一通りやるべき事を終えて、僕達は空腹状態。時刻も夕刻になろうとしている。そろそろ、夕食を食べる時間帯か――。


 ああ、そういえば夕食も自分達で作らないといけないんだった。幸い、教官達は料理に使う材料だけは用意してくれた。その材料を使って、今日食べる夕食を作らなくてはならない。


「でも、どうする……俺、料理できねぇぞ」


「おれも……」


「右に同じく……」 


 ジャレットと同期生ふたりは白旗を上げる。彼等は料理が出来ない模様。


 となると、僕とアメリーで作るしかないかな。僕も料理が上手ってわけじゃないけど、実家に居た頃に母さんの料理の手伝いをした経験から、それなりに作れるとは思う。


「しょ~がないわねぇ。ここは、あたしが一肌脱ぐしかないわねぇ」


 ……と、やる気満々の表情でアメリーがふんと鼻を鳴らす。そんな彼女を見て、ジャレットがジト目で呟く。


「おい、お前が脱いでも誰も喜ばねぇぞ。色気なんて欠片も無い癖に」


「服を脱ぐって意味じゃないわよ、このお馬鹿!」


「誰が馬鹿だコラァ、このじゃじゃ馬娘!」


 バチバチと目線で火花を散らすアメリーとジャレットを、僕と同期生ふたりは必死で宥める。このふたりが口喧嘩するのは日常茶飯事だけど、訓練中なんだから少しくらい仲良くして欲しいものだ。


「アメリー、僕も手伝おうか? 少しくらいなら料理が出来るけど……」


「心配いらないわよ。あたしの愛情が詰まった料理でみんなのお腹を満腹にしてあげるわ」


「えー……アメリーの口から愛情なんて言葉が出るなんて、明日は大雨でも降るんじゃね?」


「コラ、そこ! 嫌そうな顔すんじゃないわよ!!」


 げんなりした表情のジャレットに憤慨するアメリー。いや、だから……授業の一環だから協力し合おうよ。教官達に怒られるから。


 こうして、アメリーが愛情を込めた料理が完成した……そう、今の僕達が持っているこの毒沼スープが。


「(やっぱり、僕も手伝うべきだったぁあああああっ!!)」


 心底後悔している。彼女ひとりに調理を任せてしまった事を。僕が手伝いに入っていれば、ここまでひどいモノは完成しなかったかもしれない。


 ジャレットが心底嫌そうな顔で、アメリーに質問する。


「アメリーさんよォ……ひとつ訊いてもいいか? こりゃ、何だ?」


「何って、スープに決まってんじゃない。見て分かんないの?」


「見て分からねぇから、作った張本人に訊いてんだろうがぁっ!? ぬわんじゃこの紫色の液体はよォ!お前、ちゃんとした材料使ったんだろうな!!?」


 ……うん、そうだね。今日ばかりは、ジャレットの言い分が正しいと思う。一体、どんな材料を使えば紫色のスープが完成するのか問い詰めたい。


「ちゃんと教官が用意してくれた食材使ったわよ。こんなに美味しいのに」


 彼女は何事もない様子で紫色のスープを食べている。それを見ていた同期生ふたりは――。


「と、とりあえず食べてみようか?」


「う、うん。アメリーが食べてるなら大丈夫じゃないかな」


 そう言って、彼等はスプーンでスープを掬い上げる。


「馬鹿、やめろ!」


 ジャレットが制止するも、彼等はスープを口にする。そして、そのまま泡を吹いてドサッと音を立てて倒れた。


「あれ、どうしたの? 美味し過ぎて気絶しちゃった?」


「え、えーと……僕、今日は夕食抜きでいいかな」


「俺もいらねぇ……まだ死にたくねぇ」


 そう言って、僕とジャレットはそそくさとその場から離れようとした――が、何かにドンとぶつかった。恐る恐る顔を上げると、そこには見上げるほどの巨体を誇る人物が立っていた。


「何処へ行くつもりです?」


 立っていたのは騎士科の教官のひとり――ヴァネッサ教官。2メートルを超える長身で筋骨隆々の肉体の持ち主だけど……この人、女性の教官である。初めて、ヴァネッサ教官を見た時は生徒全員の目が点になったものだ。


「「あ、いえ……その」」


「まさか、食事を残すつもりではないでしょうね?」


 ヴァネッサ教官は、腕を組んで凄まじい威圧感を放っている。僕とジャレットは、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまう。彼女はとても厳しい人だ、作った料理を残すような不届き者は許さない。


 駄目だ、前門は毒沼スープで後門は巨人――逃げ場は何処にも無い。結局、このスープを食べるしか道は無いというわけか。逃げようとしてもヴァネッサ教官に即座に捕獲されてしまう運命だ。


 意を決して、紫色のスープを口にする僕とジャレット。瞬間、目の前が真っ暗になった。


 次に目を覚ました時は2日が過ぎていた。目を覚ましたのは、王立学園の自室のベッドだった。隣のベッドには、ジャレットが顔を真っ青にして魘されていたのは言うまでもあるまい。


 その後、目を覚ましたジャレットと目で合図する――二度と、アメリーに料理は作らせない、と心に誓った。





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