閑話

閑話1 ある姫君の想い


 聖王国歴727年――私達が住む世界は、深淵からの侵略によって大きな混乱に陥っていた。


 聖王国、帝国の二大国を筆頭に各国の精鋭を集めた連合軍の活躍もあって、戦況は少しずつ好転していく。

 

 しかし、深淵の王と呼ばれる深淵の支配者が現世に出現。圧倒的な力を誇る王を封印すべく、ふたりの守護騎士が戦地に向かうことに。


 ひとりは、聖王国守護騎士隊長グラン。

 聖王国の公爵家の生まれで、アストリア――姉様の婚約者。


 女王として毅然とした態度を取ることが多い姉様だけど、今回ばかりは流石に不安になっているみたい。


 もうひとりは、聖王国守護騎士ディゼル・アークライト。天の力を持つ選ばれし者、最年少で守護騎士に抜擢された若き天才。


 私の護衛を務めてくれる――かけがえのない人。


 深淵の王との決戦に赴く彼の下に、私は護衛や侍女のセレスを伴わずに急いで駆けつけた。彼は正に城から出立する寸前、間に合って良かった。


「兄様っ!」


 私は、彼――ディゼルのことを兄様と呼んでいる。私より年上で、頼り甲斐がある兄のように思えて、そう呼ぶようになった。当の本人は、随分と困惑していたみたいだったけれど。


 だけど、今はそれだけじゃない。兄のように慕っているだけじゃない。


 私は兄様のことを――。


「姫、聖王宮は強力な結界が張られているとはいえ、護衛も無しにおひとりで参られるのは危険です」


 兄様の言葉にハッとさせられる。兄様は、心配そうな表情をしていた。


 護衛を伴わず来てしまったことで、後で姉様からお叱りを受けるかもしれないと思っているみたい。


 だけど、私はそれどころじゃない。


「ごめんなさい……兄様が、決戦に向かわれると聞いて、どうしてもお見送りがしたくて……」


 私のことよりも、兄様の方がずっと心配だった。彼が向かう場所は、死地と言っても過言では無い。


 この世界を滅ぼしかねない力を持つ存在が待ち受けているのだから――。


「姫、お見送りに来て下さり感謝します。大丈夫、隊長と私のふたりなら深淵の王に負けません」


「兄様……その」


「姫、如何されました?」


 ――伝えたい、私の想いを兄様に。だけど、出来ない。戦いに赴く彼の心に、重荷を背負わせたくない。


「兄様、必ず帰って来て下さい。帰って来たら、兄様に伝えたいことがあるんです」


「ええ、必ず――では、行って参ります」


 グラン隊長と共に城から出立していく兄様の背中を見えなくなるまで、私はずっと見つめ続けていた。


 兄様、必ず帰って来て下さい。兄様が帰って来たら、私――。






 ――閉じていた瞳を開く。何時もと同じ場所、カーテンで閉め切られた部屋。


 ここは、聖王宮にある私の部屋。何時の間にか、眠っていたみたい。


 扉を叩く音が聞こえる。誰かが、私のことを呼んでいる。大きな音を立てないで、私のことを呼ばないで。


 お願いだから、私のことはほっといて。


 瞳を閉じる――私は、暗闇の中を捜し続ける。求めているのは、ただひとり。


 私の心を掴んで離さない、あの人の姿。


「兄、様……何処、何処に居るんですか……」


 私は暗闇の中を捜し続けている。あの人の姿を求めて――。





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