第48話 愉快なフォーリンガー家
――エルド陛下から親善試合参加を依頼されてから、6日が過ぎた。親善試合まで後8日、早朝と時間がある時はライリー嬢の特訓に付き合っている。
そういえば、ファイ殿が聖王宮に帰る前に言っていた事がある。
「ディゼル殿、ライリーさんにはあなたが親善試合に参加する旨はお伝えしないで下さい」
「え? 何故ですか?」
「陛下からの御命令でして、私も詳しい事は何も……」
「は、はぁ……わかりました」
何故、エルド陛下は僕が親善試合に参加する事をライリー嬢に黙っているように言われたのだろう?
ライリー嬢に僕が参加する事を黙っているのは心苦しいけど、国王陛下の命に背くなんて真似は出来ない。少し気まずさを感じつつも、ライリー嬢の特訓に付き合っていると――。
「……!」
背後から視線を感じ取った。振り返ると――清掃員らしき人物が、学園内の清掃に勤しんでいる。今の視線は、あの清掃員の視線?
敵意や殺気の類は全く感じなかったけれど……何故、彼はこちらに視線を向けたんだ? 僕達が特訓している光景に見入ったのだろうか?
「ディゼル先生、どうしたんですか?」
「ああ、いえ……何でもありません。特訓の続きをしましょうか」
暫くすると、清掃員は清掃を終えたののか、この場から離れていった。あの清掃員、気になるけど……ライリー嬢との特訓を放り出すわけにはいかないな。
――聖王都西区には先祖代々、聖王国に騎士として仕えてきたフォーリンガー家の邸宅がある。その邸宅にひとりの男がやって来た。
男は清掃員の恰好に身を包んでいた……そう、ディゼルとライリーに視線を向けていた人物である。清掃員は屋敷の中に入っていく。
清掃員は汗ばんでおり、フゥと一息を吐く。
「(どうやら、お嬢様は私には気付かなかったようだが……あちらの赤髪の青年には気付かれていたようだな。お嬢様の鍛錬に付き合っていた為か、こちらに接触してくる事は無かったが……)」
彼は屋敷内のとある一室に入り、次に出て来た時は清掃員姿ではなく執事の服装に身を包んでいた。執事の姿となった彼は、この屋敷の主が居るであろう執務室の扉をノックした。
「旦那様、ただいま戻りました」
「御苦労だった、ロドム。入ってくれ」
「失礼致します」
執務室には藍色の髪の男性が椅子に腰掛けていた。
年齢は30代後半ぐらい、左頬に切り傷らしき痕が薄っすらと見える。ベルハルト・フォーリンガー――フォーリンガー家現当主で、ライリーの父親。聖王国騎士団の重鎮のひとりでもある。
入室して来た執事風の男は、フォーリンガー家に仕える執事で名はロドム。彼は清掃員に変装して、ベルハルトの命で王立学園に潜入していた。尤も、何かよからぬ企てがあって潜入させられていたわけではない。
ロドムが王立学園に潜入させられていた理由はひとつ――。
「して、ロドムよ。ライリーはどんな様子だった? 元気にしていたか? ご飯はちゃんと食べているか? 友達から仲間外れにはさていないか? わ、私と離れ離れで淋しい思いはしていないか? ど、どうなんだ!?」
「は、はい……」
クワッと迫るベルハルトに、たじろぐロドム。騎士団の重鎮として信頼の厚いベルハルト氏であるが、同時に大の親バカでもあった。
愛娘が心配で、定期的に屋敷の使用人を学園に潜入させて娘の近況について報告させている。今回の潜入はロドムの担当だった。
……ちなみに、学園側にはフォーリンガー家の使用人が潜入している事はバレバレだったりする。学園長カトラをはじめ、学園の教官達は気付いているが、学園の生徒に何かしら危害を加えているわけでもないので、問題さえ起こさなければ学園から叩き出すつもりはないようだ。
「お嬢様は御元気そうでした。剣術の鍛錬や学業にも精力的に取り組んでおります。今度の親善試合で良い成績を残そうと特訓に励まれています」
「そうか、そうか! フフ、我が愛娘は頑張っているようだな」
「は、はい……」
満足そうなベルハルトに、思わず苦笑してしまいそうになる。少々行き過ぎなところもあるが、愛娘の成長を喜ぶ父親としての一面もベルハルトが周囲の者から信頼される魅力なのかもしれない。
ロドムは内心、冷や冷やしている。何せ、これから話す内容でベルハルトが豹変するであろうと確信しているからである。
「た、ただひとつ――問題がありまして」
「む、 問題とな? ライリーの体調に何処か問題でもあるのか?」
ベルハルトはコーヒーが入ったカップに口を付ける。
「い、いえ……お嬢様の特訓に付き合っている男性が居りまして」
カシャン……パリンッという音が聞こえた。ベルハルトの手からカップが滑り落ち、床に叩きつけられた音である。
ロドムの頬を汗が伝う。眼前に居るベルハルトの全身から凄まじいオーラが立ち昇る。
「――今、何と言った?」
「は、はい……お嬢様の特訓相手をされている男性が」
「お、おおおおおお男ォォォォォォォ!? だ、誰だ、我が愛娘に近付く不届き者はァァァァァァァ!!」
「も、申し訳ございません。勘の鋭い人物のようでして……映像記録用魔道具に姿を収める事は叶いませんでした。年齢はお嬢様より少し年上の青年で、お嬢様からは先生と呼ばれているようです」
「せ、先生だとォ……! ま、まさか、ライリーに手取り足取り、色々な事を教えているというのかァァァァァァ!?」
ベルハルトの脳内に薄暗い照明に照らされた寝室、大きなベッドの上でに寝転がるライリーと先生と呼ばれる男の姿が浮かぶ。
ライリーは下着姿で真っ赤になっている。
『せ、先生……わ、私に大人の個人授業をお願いします』
先生と呼ばれる男は頷き、ライリーの指に自らの指を絡めて――。
「ラァァァイリィィィィィィィィィィィィっ!」
「だ、旦那様っ!?」
ブワッと両目から滝のような涙が溢れ出し、号泣するベルハルト。無論――今の光景は彼の妄想である。
「い、いけません、大人の個人授業などまだ早ぁぁぁぁぁあいっ! お父さんは断じて許しませんっ!!」
「だ、旦那様、お気を確かにっ!」
必死に宥めようとするロドムだが、ベルハルトは自らの魔法剣の柄を手に取って立ち上がる。
「敵は王立学園にありィィィィィィ! ロドム、屋敷中の者達を集めよ――出陣じゃぁあああああ!!」
「だ、旦那様、どうか落ち着いて下さい!」
愛娘の危機(勘違い)に、鬼気迫る表情で王立学園に乗り込もうとするベルハルトを必死に止めようとするロドム。
普段は騎士団の重鎮として威厳ある態度で行動するベルハルトだが、愛娘の事になると暴走してしまう。こうなると、ロドムに彼を止める事は出来ない。
暴走した彼を止められる人物は、たったひとりしか居ない。執務室の扉が開かれ、正に彼を止められる唯一無二の人物が入室してきた。
亜麻色の髪の気品漂う貴婦人――彼女の名はナターシャ、ベルハルトの妻でライリーの母親である。
「お、奥様っ!」
「ロドム、少し離れていて下さいな」
「は、はい……!」
雄叫びを上げる夫の傍に寄るナターシャは、夫の手首を取ると……そのまま、夫を壁目掛けて投げ飛ばした。
「ぬぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
ズドン、と轟音が屋敷内に響き渡る。しかし、屋敷内の使用人達の表情に動揺の色は見られない――ああ、またか、と使用人一同が溜息を吐いているところを見ると、この手の騒動は日常茶飯事の模様(笑)。
ベルハルトは執務室内の壁にめり込んでいた。笑顔で夫を見つめるナターシャ夫人……目は一切笑っていない。
「あなた、屋敷の者総出で学園の押し掛けたら御迷惑でしょう? ライリーが退学にでもなったらどうするおつもりですか、ん?」
「アッハイ……すみません」
ウフフフと、笑顔でプレッシャーを掛けてくる妻を壁にめり込んだ状態で震えながら見つめるベルハルト――主君であるエルド同様、彼も恐妻家のようだ。
ボコッと、壁から這い出すフォーリンガー家当主。彼は涙目で妻を見つめる。
「し、しかしなぁ、ナターシャ。私は不安なのだ、ライリーの特訓相手である先生とやらが悪い男だったらどうしようかと……!」
「確かに、悪い方だったら大変ですね……ロドム、あなたから見てライリーの特訓相手である先生という男性はどんな方でしたか?」
「は、はい……真面目で誠実そうな青年に見えました」
ロドムから見たライリーの特訓相手である先生――ディゼルの印象は決して悪いものではない。真面目に特訓相手をして、彼女に的確なアドバイスを出している姿は好印象だった。
一生懸命に取り組んでいるライリーの様子から察して、下心や思惑があって彼女に近付いて来る不埒な輩ではないように思えた。
特訓相手を務めてもらっているライリー自身や遠目から様子を窺うだけのロドムは知らないが、ディゼルはかつての聖王国の守護騎士――騎士としての礼節を弁えているのだ。
「うーむ、ロドムがそう言うなら悪い男ではないと信じたいが……やはり、直接この目で見てみたいものだ」
「私も見てみたいですわ。ライリーが先生と呼ぶのなら、とても優秀な方なんでしょうね」
愛娘の特訓相手を務める相手に興味を示した両親。ベルハルトの気が鎮まり、ホッと胸を撫で下ろすロドム。
この日の出来事からおよそ1週間後、フォーリンガー夫妻はライリーの“先生”と顔を合わせる事となる――。
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