第44話 特訓の申し出
ん……ここは? 周囲を見回すと、そこは何処かの邸宅の庭のようだった。
私の家の庭じゃないみたい――ここは何処なんだろう? どうして私はこんな所に居るの?
誰か居ないか、キョロキョロと辺りを見回していると――私と同じ藍色の髪の少女が、汗を流しながら一生懸命剣を素振りしている姿が見えた。
あれは、子供の頃の私……ううん、違う。その少女は子供の頃の私とよく似ているけど、どこか違う雰囲気を纏っていた。
剣を素振りするその子の傍に、ひとりの男性がやって来た。
男性は私より少し年上くらいに見える、でも顔がよく見えない――彼は少女に話し掛けている。どうやら、素振りの仕方についてアドバイスしているみたいだ。
男性のアドバイスを受けた少女の素振りに変化が見える。闇雲に振っているのではなく、規則正しい動きに変わっていくのが見て取れる。
男性が少女に話し掛ける。
『■■■は、大きくなったら何になりたいんだい?』
『大きくなったら、守護騎士になるの!お兄ちゃんと一緒にお姫様を守るカッコいい騎士になるの!』
『そうか、楽しみだな――』
どうやら、あの男性と少女は兄妹みたい。守護騎士、か――あの子も私と同じ夢を持っているんだ。それに、お姫様を守るカッコいい騎士ね、私もそういうのに憧れちゃうな。
それにしても、男性は妹の名前を何と呼んだのかしら? よく聞き取れなかったけど……。
『いけない、もうこんな時間か。聖王宮に戻らないと――』
『むう、もう少しお兄ちゃんと一緒に過ごしたかったなぁ』
『ごめん、僕は姫の護衛騎士だからね』
姫の……護衛騎士? あの男性、聖王家の姫君の護衛騎士なの?
聖王家の姫と言えば、ノエル殿下の事かしら? 男性は妹の頭を優しく撫で、背を向けて歩き出す。
妹は兄の背中をじっと見つめていた。彼女の兄は、目を引くような赤い髪を靡かせて……え?
「(赤い、髪。赤い髪の男性といえば――)」
「――あいたっ!?」
私は、ドサリとベッドから落ちた。あいたた……我ながら、情けない。
ベッドから落ちるなんて、私ってばそんなに寝相が悪かったかしら? 周囲を見回すと、そこは王立学園騎士科の寮――私の部屋だ。
やっぱり、さっきまで見ていたのは夢だったのね。随分とハッキリした夢だったけど……。
「(それにしても、夢に出て来たあの赤い髪の男性って――)」
夢の中に出て来た男性は赤髪だった。赤髪ですぐに思い浮かぶ人物がひとりだけ存在する。
少し前に知り合ったレイナード家御令嬢の護衛を務める青年と、夢に出て来た男性の姿が重なる。似ているなんてものじゃないわ、あれはどう見たって本人なんじゃ――。
コンコン、と自室の扉を叩く音が聞こえた。時計の時刻はもう少しで午前6時……こんな朝早くから誰かしら?
扉を開くと、そこには友人のティナの姿が。
「ちょっと、ライリー! 大きな音がしたけど、何があったの!?」
「ごめん、驚かせちゃった? 実はベッドから落ちちゃって……」
「アンタねえ……」
どうやら、ティナは私がベッドから落ちた音で目を覚まして、何かあったのかと駆けつけたみたい。顔に手を当てて、溜息を吐くティナ。
「何事も無いならいいけど、気を付けなさいよ? アンタ、2週間後に開かれる試合の代表のひとりなんだから、怪我とかしたら大事よ?」
「うん、分かってる。折角、早くに目を覚ましたことだし……洗顔と歯磨きしたら、大会に向けて特訓しなきゃ!」
「朝っぱらから、ホントに元気な子ねアンタ……」
2週間後にこの聖王都である試合が開かれ、私は王立学園騎士科の代表としてその試合に参加する。試合には強い人達が参加するに違いない、一回戦負けなんて無様な姿を晒したくない。
私は手早く洗顔と歯磨きを終えて、外に出た。一通りの準備運動をこなして、剣を構えて素振りを開始しようとした時――赤い髪の男性が視界に映った。
魔法都市ラングレイで、深淵教団が深淵の扉を開こうと目論んだあの事件から3週間――教団の凶行で、王立学園術士科の生徒達や術士科の教官達は魔力を強制的に吸い取られて命の危機に陥ったものの、全員が無事に聖王都に帰還出来た。
聖王都内では、ラングレイで起きた事件の噂で持ち切りだった。深淵教団の不気味さや非道さに、人々は不安を感じているようだ。
何時、深淵教団が同じような事件を起こすか分からない。メルトディス市長から報告を受けた各国首脳も、深淵教団に対する警戒を強めている。
「ふぅ……これくらいかな」
日課である基礎鍛錬を終えた僕は、頬から流れる汗を手拭いで拭う。そこに、ひとりの来訪者が――。
「ディゼル先生っ!」
「(この声は……)」
自分を呼んだ声の主に視線を向ける。藍色の髪を三つ編みにした活発そうな少女――ライリー嬢の姿があった。
そういえば、ここ暫くの間、彼女とは顔を合わせていなかったな。
「ライリー嬢、早いですね」
「いえ、さっき起きたばかりです。あ、そうだった――もし、御迷惑でなければディゼル先生にお願いしたいことがあるんです」
「僕にですか? 一体、どのような?」
「特訓に付き合って欲しいんです」
「特訓……?」
「はい。実は私、2週間後に開かれる親善試合の選手のひとりに選ばれましてて……」
親善試合――そうか、今も行われているんだな。どうやら、ライリー嬢は親善試合に向けての特訓を僕に頼みに来たようだ。
彼女が口に出した親善試合とは、各国の騎士団が交流を深める為に数年に一度に開かれる剣術試合のことだ。僕も守護騎士になって間もない時に開かれた親善試合に参加したことがある。
その時は準決勝まで勝ち進んだ。準決勝の相手は帝国屈指の実力を誇る騎士で、今より未熟だった僕は1時間ほど粘ったものの、敗退してしまった。
負けたのは悔しかったけど、非常にいい経験をしたと思っている。グラン隊長や父さん以外にも、優れた騎士が居るという事実を知ることが出来たのだから。
「代表選手に選ばれた以上、試合で無様な姿を晒すなんて真似は出来ません。限られた時間の中で、出来るだけ強くなりたいんです」
「なるほど、分かりました――協力しましょう」
「ありがとうございます!」
真っすぐな瞳をしている――本当に、ユーリと一緒に居るような気分だ。あの子が剣の素振りをしている時もこんな瞳をしていたな。
自然と、笑みが零れてしまう。
「ディゼル先生、どうしたんですか?」
「え……ああ、すみません。時間が惜しいですし、鍛錬を始めましょうか」
「はい!」
こうして、親善試合に挑むライリー嬢への特訓が始まった。
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