第42話 乙女の旅立ち


 氷雪国の王都でのセルディ陛下との謁見から、数日が過ぎた。今日、私とロイド先輩は聖王国に帰還する。


 私達はシルクと共にリーナが住んでいる村に赴いていた。そして、今――リーナはシルクにギュッと抱きついて離れようとしない。


「り、リーナ……その、離してくれないと困るんだけど」


「やだ」


「えっと、私、ルディアさん達の国に行かなきゃいけないし――」


「やだ! シルクお姉ちゃん、行かないで!!」


 ポロポロと涙を零すリーナの姿に胸が痛む――そう、シルクは私達と一緒に聖王国に行くのだ。何故、そんなことになったかと言うと、話は数日前まで遡る。






 数日前、氷雪国王城の謁見の間。筆頭魔術師であるフリージア殿の口から私とシルクの間に、偶然とはいえ主従契約が結ばれていることが明らかになった。


 主従契約は最低でも数年は持続し、無理な解呪をすれば双方に深刻な悪影響を及ぼす可能性もあるという。どうすればいいのか、皆が頭を悩ませる中――。


「ふむ……では、私から提案がある」


「「「「え?」」」」


 セルディ陛下の御言葉が聞こえ、私達は一斉に視線を陛下に向ける。提案って、一体……?


「実はシルク嬢の魔力の高さを見込んで、宮廷魔術師に迎えたいと思っている」


「きゅ、きゅきゅきゅ宮廷魔術師っ!? わ、私がでございますかっ!!?」


「私も陛下の御言葉に賛成です。シルク殿の魔力は研鑽を積めば更に向上し、何れは私をも超えるでしょう」 


 セルディ陛下からの提案に、私とロイド先輩も驚きを隠せない。まさか、シルクを宮廷魔術師に迎え入れたいだなんて。


 フリージア殿も賛成しているみたいだし、凄いわ! 当のシルクはあわあわしているけど……。


「この国は一年を通して雪が降る寒冷地帯だ。王都のみならず、各地の町や村を寒波から護る為に結界を張れる人材を常に育てている。強い魔力を有するシルク嬢が結界術を習得してくれれば、心強いことこの上ない」


 確かに、強い魔力を秘めるシルクが結界術を習得すれば鬼に金棒ね。寒波から国や国民を護るのに、結界術は必要不可欠だもの。


「しかし、フリージアの言った通り、今のシルク嬢はルディア殿との間に主従契約が結ばれておる。無理な解呪でふたりを危険に晒すことは出来ぬ――そこで、頼みがある。誰か、紙とペンを用意してくれぬか?」


「はっ、ただいま」


 セルディ陛下の下に、文官が紙とペンを持ってくる。陛下はペンを走らせ、紙に何かを書き綴っていく。


 数分が過ぎ、陛下がペンを止めた。それを見計らって、文官が円形の筒を持ってきて、陛下は文官に紙を渡した。文官は筒の中に紙を入れると、それをロイド先輩に手渡した。


「ロイド殿、その書状をエルド殿に渡してほしい」


「かしこまりました。僭越ながら、セルディ陛下――こちらの書状にはどのような内容が記されているのでしょうか?」


「今回の件の詳細とシルク嬢とルディア殿に主従契約が結ばれている件、そして……シルク嬢を聖王国に留学させる旨を書き綴っている」


「え……りゅ、留学?」


「うむ……シルク嬢を我が氷雪国の宮廷魔術師“見習い”として迎え入れ、魔法技術向上の為に聖王国に留学させる旨を書き綴った」 


「「えぇええええええええええっ!?」」 


 私とシルクの声が同時に、謁見の間に響き渡った。直後、ロイド先輩の拳骨が私の頭に叩き込まれた。


「いたた……ちょ、何で私だけ拳骨するんですか!」


「守護騎士が大声で騒ぎ立てるな、国王陛下の御前だぞ」


「だ、だって……シルクさんが私達と一緒に聖王国に来るんですよ?」


「ああ、 どこぞのイノシシ娘と主従契約が結ばれているからな」


 うっ……と、言葉が詰まってしまう。頭では理解しているつもりだ。


 シルクを聖王国に留学させるのは、主従契約で結ばれている私と彼女を気遣ってのセルディ陛下の御配慮であることを。


 主従契約が切れるまで、私とシルクを一緒にさせようと考えられたのだろう。


 セルディ陛下はシルクに視線を向ける。


「シルク嬢、宮廷魔術師になるか否かはそなたの選択に委ねる。無論、そなたが否と言うなら、そなたの意見を受け入れるつもりでいる」


「……私は」


 シルクの口から出た答えは――。






 セルディ陛下からの提案を、シルク嬢は受け入れた。彼女は俺とルディアと共に聖王国に行くことを了承してくれた。


 聖王国に留学することを伝える為に、俺達はリーナが住む村にやって来た。案の定、そのことを聞いたリーナが泣きじゃくって、シルク嬢に抱きついたのは言うまでもない。


 離れようとしないリーナの頭をシルク嬢は優しく撫でながら、彼女に自分の気持ちを伝える。


「リーナ、ごめんね――でも、決めたの。ルディアさんが言っていたもの、恐れてばかりじゃ何も変わらないって」


 自らの魔力の暴走を決死の覚悟で止めたルディアへの恩に報いる為、自分が持つ力を扱いこなす為に、彼女は聖王国への留学を決めたのだ。


「自分の力を暴走させないように強くなって、この国に住む人達を護る為の魔法を学んでこようと思うの。この国住む人達――リーナを護れるような魔法使いになるのが私の夢だから」


「お姉ちゃん……」


「リーナ、それくらいにしておきなさい」


「お母さん……」


 リーナの後ろに、彼女と同じこげ茶色の髪の女性がやって来た――名はシーナと言い、リーナの母親だ。


 10年前、この氷雪国に恐ろしい流行病が猛威を奮った際に彼女も病に冒されたという。死の危機に瀕したものの、シルク嬢の祖母ルミナ殿が開発した特効薬のお陰で一命を取り留めたそうだ。


 シーナ殿は、シルク嬢とリーナが時々会っていることを把握していたようだ。彼女が恩人の孫娘であることも薄々勘付いていたらしい。


「ごめんなさい、シルクさん。娘が我儘を言って」


「いえ……私、一人っ子でしたから、妹が出来たみたいで嬉しかったです」


 これまでの人生を、祖母殿と共に深い森の中で生活してきた彼女にとって、リーナは初めて出来た友達であり、妹のような存在。


 シルク嬢もこの子と離れるのは辛いだろう。だが、そんな大切な子やこの国を守れるようになる為、彼女は生まれ育った故郷から旅立つのだ。


「リーナ、これを」


「シルクお姉ちゃん、これって……」


「私のおばあちゃんが作ってくれた魔道具だったペンダントよ。壊れてもう魔道具としての役割は果たせないけど、私にとっては大切なものなの」


 シルク嬢はリーナの首にペンダントを掛けた。それは、彼女の祖母ルミナ殿が孫娘の強い魔力を抑える為に魔力抑制術を施した魔道具だったペンダント。

 

 既に魔道具として機能していないが、彼女にとっては祖母殿の形見といえる大切な品だ。それをリーナに預けることを決めたようだ。


「私が帰って来るまで、これを預かっていて欲しいの――約束の証よ」


「……うん、分かった。シルクお姉ちゃんが帰って来るまで、私が預かるね」


 泣き顔から笑顔になったリーナは、シルク嬢から預かったペンダントを両手で握り締める。


 村の人々にも挨拶を済ませ、俺達は村を後にする。リーナはずっと手を振っていた――俺達の姿が見えなくなるまで。


「(……ん?)」


 隣を歩くルディアが俯いている――こいつのこんな姿は珍しいな。どうかしたのか、と訊ねようとした正にその瞬間にルディアは顔を上げた。


 ルディアはシルク嬢の傍にまで寄ると、彼女の手を取った。


「シルクさん、その……ごめんなさい。本当は、リーナちゃんと一緒に過ごしたかったでしょ? それなのに、私のせいで……」


「ルディアさん……」


 責任を感じていたのか……偶然とはいえ、シルク嬢と主従契約を結んでしまったことに対して。落ち込む後輩に何かアドバイスでもしようかと思ったが、その必要はなかった。


 落ち込んだ表情のルディアの手を、今度はシルク嬢が自らの手で優しく包み込む。


「ルディアさん、聖王国に行くことは私自身で決めたことよ。主従契約が結ばれてしまったことは本当に驚いたけど、あなたが止めてくれなかったらきっと、私は何時までも変われなかったと思うの」


「シルクさん……」


「ありがとう――あなたは私に勇気を与えてくれた恩人です」


 シルク嬢の曇りひとつない笑顔に、思わず見惚れてしまいそうになる。こ、これは気を付けないといかんな――彼女の美貌は、老若男女問わずに相手を虜にしてしまう魅力がある。


 悪い虫がつかないように気を配らなくては。彼女は氷雪国の宮廷魔術師見習いとして、聖王国に留学するのだから。


「あっ……そういえば」


「シルクさん、どうしたの?」


 何だ――シルク嬢が何か考え込んでいる? 何か気になることでもあるのだろうか? 暫し、考え込んだ後にシルク嬢がルディアに訊ねた。


「私達に結ばれてる主従契約って、ルディアさんが主で私が従者なのよね?」


「う、うん……そうだけど」


「だったら、私――ルディアさんのことをご主人様って呼んだ方がいいのかな?」


 ……………………沈黙が、周囲を包み込んだ。今、彼女は何と言った?


 ご主、人様……? ルディアをそう呼んだ方がいいと言ったのか?


 いやいやいや、その必要はないだろう。主従契約が結ばれたのは偶然なのだ。


 こんなイノシシ娘をご主人様などと――。


「フォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」


「うを!?」


「ひゃっ!?」


 いきなり、ルディアが大声を上げた。突然の出来事に、俺とシルク嬢は思わず声を上げて驚いてしまう。


 ルディアははーっはーっと、大きく息を切らしていた。一目見ただけで、昂奮状態であることが見て取れる。


 ……何だか、果てしなく悪い予感がして大声を上げたイノシシ娘に話し掛けようとしたのだが、そんな俺に構わずイノシシ娘はハイテンションに語り出す。


「ご主人様――ああ、なんたる甘美な響き! シルクさんみたいな美少女からご主人様なんて呼ばれるなんて……私、どうにかなっちゃいそう!」


 ……いや、既にどうにかなってるだろうが。シルク嬢も流石に引いてるようだ。


 ん、何やらルディアが鞄を開けて中から何かを取り出す――あれは侍女が着る服か? 随分とスカートの丈が短いが……。


 イノシシ娘はスカート丈の短いその服を握り締め、シルク嬢に迫る。


「シルクさん、この絶対領域メイド服を着て私をご主人様と呼ん――ふんごぉおおおおおおおおおおおお!?」


 俺は有無を言わず、ルディアの鼻腔に右手の一指し指と中指を突っ込んでそのまま持ち上げた。ジタバタしながら、俺に抗議するイノシシ娘。


「先輩ィィィィィ! 可愛い後輩に何するんですかァァァァァ!?」


「お前はバニーガール衣装の件もあったというのに、まだ懲りとらんのか?」


「うら若き乙女に鼻フックするなんて鬼ですかァァァァァァ!?」


「やかましい、お前のような煩悩塗れに乙女を名乗る資格なんぞないわぁァァァァァァァァァァァ!」


「ふんごぉおおおおおおおおおおっ!?」


 俺は迷うことなく雪原に向けて、煩悩塗れのイノシシ娘を放り投げた。雪原に放り出された大馬鹿者は、そのまま雪原をゴロゴロと転がっていく。


 唖然とした表情のシルク嬢の肩に手を掛ける。


「シルク嬢、行こうか」


「えぇっ!? あ、あの……ルディアさんは?」


「心配はいらない、あいつのことだから直ぐに追い掛けて来る」


「は、はひ……」


「先輩ィィィィィィィィ! シルクさんを独り占めするなんてズルいですよォォォォォォォ!!」


 ……背後からやかましい後輩の声が近付いて来る。チッ、もう復活したか。


 あんな奴と偶然とはいえ主従契約を結んでしまうとは、シルク嬢が不憫で仕方ない。あいつが彼女にちょっかいを掛けようものなら、俺がガードしなくては。


 こうして、氷雪国で起きた怪事件の幕は閉じた。俺達はシルク嬢を伴い、聖王国への帰路に着いた――。






 ルディアさんが怒り心頭で、ロイドさんに文句を言っている。ロイドさんの方はつーんとした態度で聞き流している。


 ふたりのやり取りを見ていると、自然と笑みが零れてしまう。こんなに心を明るい気持ちにさせてくれる人達に出会えたことが嬉しい。


 私は後ろを振り返る――氷雪国、私が生まれた国。いつか、再び帰って来るその日まで、さよなら。


「シルクさーん、どうしたの?」


「シルク嬢、何かあったのか?」


「ごめんなさい、なんでもないの」


 私はふたりのところに駆け寄る。これから向かう先は、聖王国――そこではどんな出会いが待っているのかな?






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