第32話 闇に蠢く者


 深淵教団の起こした事件から2日が経過。学園の生徒達の体調は快復し、明日の飛行船で聖王国への帰国が決まった。


 私は今、ディゼルさんと一緒にラングレイ中央省庁に赴いていた。緊張してしまう……何故なら、これから私達はメルトディス市長とお会いする事になる。


 どうやら、私に直接御礼が言いたいのだそう。


 闇の魔法陣の影響で倒れたエリスは意識を取り戻したものの、念の為に明日まで休むように言い聞かせた。


 中央省庁に向かう際、彼女はディゼルさんにこう告げた。


「ディゼル殿……お嬢様から絶対に目を離さないように」


「ええ、勿論」


 もう、こんな時まで心配性なんだから……。心配されるのは、倒れたエリスの方なのに。


 本当に無事でよかった。ディゼルさん達が来てくれなかったら、どうなっていた事か……想像もしたくない。 


 中央省庁内を歩いている途中、ディゼルさんが話し掛けてきた。


「リリア嬢、ひとつ聞いてもよろしいですか?」


「え? な、何ですか?」


「何時の間に、浄化魔法を体得されたのですか? 学園の授業中に使っているところを見た事が無かったのですが……」


 心臓がドキリと跳ねた。え、えーと、どう答えればいいのかしら……。


 兎に角、落ち着いて――深呼吸してから口を開く。


「初日にラングレイ中央図書館で読んだ本に、浄化魔法の事が書いてあったんです。出来るかどうか分からなかったんですけど、あの時は闇の魔法陣の影響でエリスやロゼさん、他の生徒が危なかったから無我夢中で……」


「そうですか……」


 ディゼルさんは、怪訝そうな表情をしていた。う、嘘だと見抜かれたのかしら?


 私も、嘘をついてしまった事に罪悪感を感じている。浄化魔法を使えるようになった切っ掛けは、闇の魔法陣でみんなが危なかった時に感情が昂って叫んだ際に見えた不思議な光景。


 封印の間で見た白金の少女が浄化魔法を使う光景。私はそれに倣って浄化魔法を使ったら、発動させる事が出来ただけなのだ。


 ……それに、あの光景にはディゼルさんも出てきた。守護騎士を務めていた頃であろうの彼の姿がはっきりと。


 白金の少女を姫と呼び、優しい微笑を浮かべていた。彼のあの顔を思い出すと、胸に小さな痛みが走った。どうしてなの……ディゼルさんは、お仕えしていた姫様に微笑んでいただけなのに。


「リリア嬢、どうしました?」


「え――い、いえ! 何でもありません!」


「?」


 やがて、私達はメルトディス市長の執務室に到着した。執務室の前には、エリシャさんの姿があった。


「ようこそ、市長がお待ちになっております」


 一礼する彼女に対し、私とディゼルさんも一礼する。執務室の扉をノックして、市長の返事が聞こえてから入室する。


 執務室にはソファに腰掛けたメルトディス市長と、補佐官を務めるアレッサさんの姿があった。私とディゼルさんは、市長とは対面のソファの腰掛ける。


「よく来てくれた――今回の件では、君達に助けられた。心から感謝している」


 頭を下げる市長に、思わず慌ててしまう。


「市長、そんな……ディゼルさんはともかく、私は特に役に立ったわけではありません」


「いや、リリア嬢の浄化魔法が無ければ我々が到着する前に最悪の事態になっていた可能性が高い。生徒達は君に救われたんだ、もっと自信を持つといい」


「は、はい……」


 若くして大陸屈指の魔術師と名高いこの方から激励の御言葉を頂くなんて……ガチガチに緊張してしまう。市長を尊敬しているロゼさんだったら、感動のあまり気絶しちゃうかも。


 市長は視線をディゼルさんに向ける。


「ディゼルくん、他言無用と言われたのは理解しているのだが、私の予想通りならば君の力はおそらく――」


 市長の指摘にディゼルさんは少し俯くも、直ぐに顔を上げて正面から向き合う。


「……御察しの通り、僕が宿す力は天の力です」


「やはり、そうか――君がディゼル・アークライト。深淵の侵略を退けた英雄、天の騎士本人で間違いないようだな」


 納得したように頷く市長。アレッサさんとエリシャさんは予想はしていたようだけど、それでも驚きを隠せない表情をしていた。


「私とグレイブ殿を地下区画から、中央省庁まで一気に移動させた術は空間転移だったのだな。まさか、文献に記された天の力による秘術を実際に体験する機会が来ようとは思わなかったよ」


「すみません、リリア嬢達に危機が迫っている可能性があったので空間転移を使わざるを得ませんでした」


「いや、その事はいい……300年前の人間である君が、どうしてこの時代に居るんだ? 歴史資料では戦死となっている筈だ」


 ディゼルさんは語り出す――かつて起きた、深淵の王と呼ばれる深淵の支配者との決戦。その最終局面での出来事を。


 彼は深淵の王が封印される間際に使った“昏き門”と呼ばれる闇魔法の力で、光ひとつ見えない漆黒の世界に送り込まれたという。


 ディゼルさんは天剣の力で空間に亀裂を生じさせて脱出する事に成功。異空間から脱出した先は、彼が守護騎士を務めていた時代ではなく、私達が生きるこの時代だった。


「深淵の王は、昏き門に吸い込まれたものが何処に行くかは術者本人にすら分からないと言っていました。辿り着いたのは何もない闇の世界、更にそこから出る事が出来ても、元の時代に戻れるとは限らない……という事なのでしょう」


 語り終えたディゼルさんは、悲し気な表情をしていた。無理もない、家族や友人、お仕えしていた方が誰ひとりとして居ない世界に放り出されたのだから。


 大切な人が、既に誰も居ない世界に自分ひとりだけ――私だったらその孤独に耐えられるとは思えない。お姉様やエリス、ロゼさん達が居なくなった世界に私だけが生きている状況を想像してみると、震えが止まらない。


 メルトディス市長はふむ、と口元に手を当てる。


「相手を異空間に送る闇魔法か……ラングレイでも闇魔法に対抗する為の研究を行っているが、まだまだ解明出来ない闇魔法が多い。その昏き門とやらも、未解明魔法の一種に属するな」


「ええ、ところで市長――お話しておきたい事があります。リリア嬢、よろしいですか?」


「え……は、はい」


 私はディゼルさんに促され、メルトディス市長に深淵教団が偽装魔法で姿を変えていた事を話す。


「連中は偽装魔法で姿を変えていたのか。中央省庁入り口の感知魔道具は偽装魔法を看破出来るのだが、それもあの黒い腕輪の力を利用しているとしたら――」


 深淵教団がどうやって中央省庁に入れたのか、その疑問が解決した瞬間だった。彼等が身に着けていたあの黒い腕輪の力で強化された偽装魔法は、感知魔道具の感知をすり抜けられるという事。


 つまり、深淵教団はその気になれば、各国の感知魔道具に悟られる事無く自由に国を出入り出来る。


「由々しき事態だな……この都市だけの問題ではない。各国にお伝えすべきだろうな――アレッサくん」 


「はい」


 メルトディス市長は通信魔法で各国に深淵教団への警告を伝えるよう、アレッサさんに指示した。指示を受け、アレッサさんは執務室を後にした。






 ――メルトディス市長とお会いした翌日。今日は聖王国への帰国日。


 王立学園の生徒達はラングレイの空港に集まっていた。僕はリリア嬢の傍で、エリス殿と共に周囲を警戒する。深淵教団が他にも居るとは思わないけど、用心するに越した事は無い。


 波乱の校外学習になったものだ。まさか、深淵を信奉する危険な組織に生徒達の命が危険に晒されるなんて……。


 飛行船への搭乗時間が近付くまで、周辺の警戒を怠らないようにする。そんな最中、生徒達のざわつく声が聞こえる。


 空港の入り口に生徒達の視線は集中していた。彼等がざわついている理由は直ぐに判明した――メルトディス市長の姿が見えたからだ。


「め、めめめめめめメルトディス市長っ!? ご、御本人ですわっ!!」


「ロゼ御嬢様、何も私の後ろに隠れずとも……」


「い、いいえ! こ、心の準備が出来ていませんわ……」


 ロゼ嬢はあわあわとした表情で、グレイブ殿の後ろに隠れながら市長の姿を見つめている……何だかなぁ。不審者と勘違いされますよ、ロゼ嬢。


 メルトディス市長がこちらにやって来た。補佐官のアレッサ殿も一緒だ。


「ディゼルくん、グレイブ殿、リリア嬢も今回の件、改めて心から感謝する」


「いえ、お気になさらず」


「滅相もございません」


「お、御役に立てて幸いです……」


 市長と会話する僕等は周囲から注目の的だ。若くして、大陸に名を馳せるこの魔法都市の市長が、直接出向かれたんだ。注目されないわけがない。


「アレッサくんに指示した通り、各国には深淵教団に対する警告を伝えた。これで、少しでも連中の行動を封じ込める事が出来ればいいが……」


「油断は出来ませんね。彼等は、目的の為なら手段を選ばないでしょう」


 相手は他人を洗脳したり、従順な信者すらも捨て駒扱いするような組織だ。この先も、非道な行為に手を染めるだろう。


 今回の警告が、各国に無事伝わればいいけど……。


「機会があれば、また会おう」


「はい、市長も御元気で」


 短い別れの挨拶を終え、市長とアレッサ殿は空港から去る――と、何やらロゼ嬢の様子がおかしい。その場にへたり込んでしまった。


 グレイブ殿が心配そうな顔で、ロゼ嬢を立ち上がらせる。


「ロゼ御嬢様、大丈夫ですか?」


「はふぅうう……き、緊張しましたわ。で、でも……間近でメルトディス市長の御姿が見られるなんて、これは家族に自慢しなくては!」


 瞳を輝かせるロゼ嬢に、僕もリリア嬢も思わず苦笑してしまいそうになった。


 同時に、今回の事件を心に深く刻み込む。


「(深淵教団……忘れられない名前になるな)」 


 人の命を踏みにじる悪魔のような集団。決して許せない存在だ。


 連中は、これから先も多くの命を脅かすに違いない。再び、対峙する機会があれば戦うまでだ――。






 ――大陸、某所。薄暗い闇の中、燭台に炎が灯る。


 玉座を思わせるような椅子に、漆黒のローブを纏った怪人物が腰掛けていた。


 玉座の真上、天井付近の空間に亀裂が生じた。空間からの亀裂から大量の魔力が流れ込み、怪人物の肉体へと吸収されていく。


 足音が聞こえる。同じような漆黒のローブを纏う者が姿を現し、玉座の前で跪いた。


「猊下、魔法都市ラングレイでの計画は失敗に終わりました」


「うむ……今しがた、信者達の魔力を吸収した。無駄な悪足掻きを行おうとしていたが、死ねば折角の魔力が無駄となる。どの道死ぬのつもりであれば、我が糧となるべきなのだ」


 玉座に座る猊下と呼ばれた男の肉体から、漆黒の魔力が迸る。


「まだ、足りぬ……」


 深淵の扉を開くには、糧が足りぬ――。





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