第30話 天陣
深淵の扉を開く為に、という深淵教団の言葉を聞いた時、僕の脳裏を過ったもの――元居た時代で空に広がる暗雲。
数百年間隔で起きる深淵の扉が開く事で発生する戦乱の幕開け。子供の頃から読んでいる本や学園の授業で習った恐ろしい災厄が、世界各地で発生した。
姫の護衛の任を解かれたわけじゃないけど……アストリア陛下からの命で戦場に赴く事が最優先となった。僕が宿す天の力は、深淵の軍勢に絶大な効果を持つからだ。
聖王宮から出立する時、何時も姫が見送って下さった。不安な表情を浮かべる姫のお顔を見ると、心が痛んだ。
聖王宮は強力な結界が張られているとはいえ、深淵の軍勢が跳梁跋扈しているこの状況では何が起きるか分からない。
姫の御身に何事も起きなければいいが……という不安感を抱えながらも、僕は戦場に向かった。その時向かった場所は、深淵の軍勢に襲われた小さな町。
そこで目にした光景―――燃えている。草木が、建物が、人が、燃えている。
瓦礫と屍の山、血の匂いと腐臭が混ざり合い、噎せるような匂いが立ち込めていた。
息絶えた人々、手足を失い苦しむ人々、家族の死に泣き叫ぶ子供……そこは、正に地獄だった。
あるものが目に入る――互いの手を伸ばそうとして、死に絶えている女性と幼い子供の遺体。おそらく、親子だと思われる。
僕はその遺体の近くまで歩き、届かなかったふたりの手をそっと重ねた。
身体が震えていた。恐怖心からくる震えではなく、目の前の現実を齎した深淵の侵攻に対する怒りからくる震え。
意識が過去から今に戻る――深淵教団は、あの地獄をこの時代に生きる人々にも味わわせるつもりなのか?
絶対にそんな事はさせない。僕は左手に握る始源の柄に魔力を込め、天の力による魔法剣“天剣”を発現させる。
これから僕が行うのは目の前の深淵教団を斬る事じゃない。目の前の彼等は許し難いけど、それ以上に優先しなければならない事がある。
闇の魔法陣で苦しむ皆を救う、その為に僕は天剣を床に突き立てた。これから、天の力による魔法を行使する。そう、アストリア陛下が齎して下さったあの魔法を。
――聖王国歴725年、僕が姫の護衛騎士の任に就く少し前。聖王宮にある守護騎士の訓練場で、僕は精神を統一していた。少し離れた場所からは、グラン隊長が真剣な眼差しで見つめている。
深呼吸して、身体中に魔力を行き渡らせる。これから行うのは身体強化術や結界術とは異なる系統の魔法。
カッと閉じていた瞳を開く。僕の肉体はその場から消え、空中に出現した。
今まで立っていた場所から数メートルはある高度に一瞬で移動した――“空間転移”と呼ばれる、離れた空間座標に瞬時に移動する天の力を持つ僕にしか使えない固有魔法だ。
集中力を途切れさせずに連続で空間転移を発動させる。更に高高度に出現、ジグザグに出現する等を30回ほど行った後、地上に降り立つ。
見物していたグラン隊長がやって来る。
「大分、習熟してきたな」
「覚えたばかりの頃は、2回くらいで息が上がっていました」
「鍛練を続けた甲斐もあって、魔力が向上した事と肉体が空間転移に適応するようになったのだろう」
隊長の仰られている事は正しい。日々の鍛練で魔力量が向上した事に加えて、空間転移の反復練習を繰り返す事で肉体が空間転移の連続行使に耐えられるようになってきた事を実感出来る。
更に鍛練を積み重ねれば、より遠距離まで空間を超えて跳躍する事も可能となるに違いない。
「鍛練の成果が出ているようですね」
澄んだ声が聞こえ、僕と隊長は即座に跪いた。何方が参られたのか、理解しているからだ。
訓練場にやって来られたのは、アストリア陛下だった。女王陛下直々に御出になられ、何とか平静を保つよう努めるも、内心緊張してしまう。
グラン隊長は、眉間を押さえながらため息を吐かれた。隊長が、この様な態度を取られる理由は何となく察している――陛下がおひとりでここにやって来られた事に頭を痛めているのだろう。
「陛下、護衛を伴ってお越しになられて下さい。如何に聖王宮に強力な結界が張り巡らされているとはいえ……」
「あら、私の護衛は目の前に居ますよ?」
「う……」
言葉が詰まる隊長。そう、陛下の護衛はグラン隊長が務めている。隊長は、聖王家に連なる名家と名高いアルフォード公爵家の出身。4人兄弟の次男として生を受けた彼は、兄弟の中でも特に強い光の力を宿していた。
その才覚は王立学園に在籍していた頃から発揮され、15歳の時に王立学園騎士科を飛び級で卒業して騎士団入りした。それから、1年後――彼の名が一躍知れ渡る出来事が起きる。
聖王国騎士団内で定期的に行われる剣術試合。騎士団の中でも優れた騎士達が多く参加する。その中には当然のように守護騎士も参加している為、優勝する事は容易ではない。
剣術試合への参加に関しては特に制約は無い。新米騎士であろうと練達の騎士であろうと誰でも自由に参加出来る。
騎士団入りして間もない新米騎士だった当時のグラン隊長も、自らの剣術がどこまで通じるか試すべく試合に参加する事を決意したという。
観戦していた者達は、上位の実力を持つ守護騎士の何れかが優勝するだろうと予想していた。しかし、その予想は大きく外れた――初参加のグラン隊長が優勝を果たしたのだ。
参加者の中でも、新米騎士であり最年少だった隊長。その試合を観戦していた騎士団総長ウェイン・アークライト――父さんは、グラン隊長に提案した。
『私と試合してもらえないか?』
この提案には周囲の騎士は勿論、グラン隊長自身も驚いたという。父さんは、当時聖王国で並ぶ者が居ない騎士として名を馳せていた。おそらく、勝負にすらならないだろうと誰もが思っていた。
――騎士団総長と新米騎士の試合は、実に数時間以上に及んだ。歴戦の騎士である父さんの剣を傷だらけになりながらも捌き、熾烈な戦いの末に勝利を掴んだのはグラン隊長だった。観戦していた他の騎士達が、度肝を抜かれたのは言うまでもない。
父さんはグラン隊長を守護騎士に推薦し、国王陛下も承諾された。それから3年後に隊長はアストリア陛下の護衛に任命され、更に4年後に守護騎士隊長に就任した。
彼は、名実ともにこの国で一番の騎士。いつか、この人から一本取る事が僕の目標のひとつだ――道のりは果てしなく険しいけど。
あ……そうだ、アストリア陛下はどの様な御用件でここに御出でになられたのだろう?
陛下への返答に困っていた隊長が咳払いして、陛下に尋ねられた。
「へ、陛下……それはそうとして、こちらにはどのような御用件で御出でになられたのでしょうか?」
「ああ、そうでした。実はこれを見てもらえますか?」
そう言って、陛下が差し出してきたのは一枚の紙だった。
「これは……」
「……!?」
その紙には、魔法の図形――魔法陣が描かれていた。初めて見る魔法陣……とても複雑な紋様が描かれているのに、僕は一度見ただけでその陣の図形を完璧に記憶した。
僕が困惑している事に気付いたのか、隊長が話し掛けてくる。
「ディゼル、どうした?」
「あ、いえ……その……」
戸惑う僕の様子に、アストリア陛下が穏やかな表情で口を開く。
「どうやら、この魔法陣を一度見ただけで完全に記憶したようですね」
「まさか……本当か、ディゼル? 相当複雑な魔法陣だぞ?」
「はい、信じられない気持ちですが……」
僕はおふたりから少し離れた場所まで歩き、その場で精神を統一。身体から魔力を発する。天の力を持つ者の証である虹色の魔力の輝きが、訓練場内を包む。
先ほど見た魔法陣を思い描く……本当に不思議だ、一度しか見ていないのに全て記憶している。魔力を地面に伝わらせると、瞬時に魔法陣が刻み込まれた。
隊長は、地面の魔法陣と陛下が持っている魔法陣が描かれた紙を見比べている。
「信じられん……完璧だ。本当に一度見ただけでこんな複雑な魔法陣を記憶するとは。陛下、この魔法陣は一体? ディゼルが扱えたところをみると、天の力に関するものと見受けますが」
「アヴェル陛下が遺された古文書に記されていた魔法陣です。天の力を用いた魔法陣――その名は」
「――“天陣”」
僕は、床に突き立てた天剣から発する魔力で瞬時に魔法陣を描いた。闇の魔法陣の上に描かれた僕の魔法陣は、虹色に輝いた。
天の力による魔法陣“天陣”。深淵の力を退ける効果を持つ魔法陣であると、アストリア陛下は語っていらっしゃった。
聖王国初代国王にして、僕の先代にあたる天の力に選ばれし者であるアヴェル陛下の遺された古文書に記されていた秘術。空間転移同様に、天の力を持つ僕にしか扱う事は出来ない。
深淵教団達は、闇の魔法陣の上に出現した魔法陣に戸惑う。
「何だ、あの魔法陣は……吸魔陣の力が抑え込まれるだと!?」
「吸魔陣に魔力を注げ!!」
深淵教団達は黒い腕輪で高めた魔力を、闇の魔法陣に注ぎ込む。対抗すべく、僕も天陣に魔力を注ぎ込む。
黒い腕輪が多いほど、闇の魔法陣への強化は高まるようだ。互いの魔法陣の力は拮抗している。
「馬鹿な……こちらは、6人掛かりで吸魔陣に魔力を注いでいるんだぞ?」
「何者だ、あの男……!?」
どうやら、総掛かりで挑んで拮抗状態という現状に、深淵教団達に焦りが見え始める。だけど、倒れている生徒達への影響が完全に消えたわけじゃない。
この状況を打破する鍵は――視線をリリア嬢に向ける。
「う……ん、ディゼル、さん……?」
「リリア嬢、御身体は大丈夫ですか?」
床に座っていたリリア嬢の意識がはっきりしてきたようだ。彼女は床に描かれた魔法陣に視線を向ける。闇の魔法陣ではなく、虹色に輝く僕の描いた魔法陣に。
「これは……」
「僕の力で描いた魔法陣です。リリア嬢、お手数ですが僕の手の上にあなたの手を重ねて頂けますか?」
「え?」
「お願いします」
「は、はい」
僕の言葉に頷き、リリア嬢が僕の手に自らの手を重ねた。
「浄化魔法を発動して下さい――さぁ」
彼女は戸惑いの表情を浮かべながらも、深呼吸して瞳を閉じる。身体から白い光が発せられてホール全体に広がっていく。
この魔法陣を体得した時のアストリア陛下の御言葉を思い出す。
『天陣は単独で発動させても効果がありますが、光の力と同調させる事でより強い力を発揮します』
天陣によって強化された浄化魔法の力で、闇の魔法陣が掻き消されていく。
同時に異変が生じる――ホールの四方に設置されてある魔道具が弾け飛んだ。どうやら、あれらの魔道具が闇の魔法陣を展開させる要になっていたようだ。
「吸魔陣が――!」
「おのれ、よくも我々の大望を――ぐおっ!?」
闇の魔法陣を掻き消された事に立腹した深淵教団が、こちらに向かって攻撃魔法を仕掛けようとしたが、凄まじい速度で放たれた雷撃で4人の深淵教団が壁に叩きつけられて気を失う。
雷撃を放ったのはメルトディス市長――指先から放電していた。
彼は雷の力の持ち主だったのか。
「諦めて投降しろ。闇の魔法陣が消えた今、これ以上の抵抗は無駄だ」
市長の隣に立つグレイブ殿も、地剣を発現させて構える。残る深淵教団はふたり。勝敗は決した――ふたりだけでは、この状況を覆す事は至難の業だろう。
「ふざけるな! 誰が貴様の言葉に耳を傾け、るもの、か……!?」
突如、深淵教団達が膝をついた。黒い腕輪から何やら小さな触手のようなものが這い出てきた。触手が彼等の腕に突き刺さる。
「ぐぁああああああああっ!?」
「何だ……!?」
苦悶の表情で絶叫する深淵教団達。異常事態が発生しているのは、誰の目から見ても明らかだった。視線を気絶している教団員にも向けると、彼等の腕輪からも触手が出て来て腕に突き刺さっていた。
「ひっ……!」
悲鳴を上げたのはエリシャ殿だっただろうか。隣に立つアレッサ殿も、青褪めた表情で口元を押さえている。深淵教団達の肉体に変化が生じていたからだ。
メルトディス市長とグレイブ殿も、流れ落ちる汗を拭う事無く目の前の光景に見入っていた。
深淵教団達の肉体は徐々にやせ細り、髪の毛は真っ白になっていく。
「……っ!」
おぞましい光景に、震えるリリア嬢。僕は天陣を解除して、目の前の惨状を見せないように彼女を抱き寄せた。
暫くすると、そこにあったのは深淵教団だった者達の成れの果て。彼等は、干からびたミイラのような姿で息絶えていた。一体、何が起きたというのだろうか?
彼等が装着していた黒い腕輪は音を立てて崩れ去った。地下区画で交戦した、洗脳されていた人達の場合は、黒い魔法石だけが砕けたけど……。
市長が崩れ去った黒い腕輪に目を配る。
「どうやら、地下区画で遭遇した洗脳されていた人達の腕輪とは別物のようだな。こちらの方が、より強力な魔道具だったらしい」
「しかし、市長……今の現象は一体?」
「使用には何らかの代償があったのか――あるいは、口封じの為の機能が組み込まれていた可能性が高いな」
口封じという言葉に、背筋に寒気が走った。つまり、何らかの不手際で教団の人間が捕縛されそうになった場合は、強制的に命を絶たれる機能があの黒い腕輪に施されていた可能性があるという事か。
深淵教団という組織の闇深さ、おぞましさに吐き気を憶えずにいられなかった。
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