第16話 封印の間(前編)
――国王陛下にノエル殿下のお話相手を任せられ、私は緊張していた。
王女殿下がお傍にいらっしゃるだけで、今にも卒倒してしまいそうになる。そんな私とは対照的に、ノエル殿下は笑顔で聖王宮内を歩いていた。
平常心、平常心……心を落ち着けないと。殿下の前で粗相したら、故郷に居るお姉様にも迷惑が掛かってしまうかもしれないわ。
「リリアおねーさん、どうしました?」
「い、いえ! 聖王宮に訪れるのは初めてですから、本当に凄いと思いまして」
そう、今の私は聖王国の王宮内を歩いている。いくら私の家が伯爵家とはいえ、紹介状や相応の理由が無ければ聖王宮に入ることは出来ない。
先刻、謁見の間に行くまでの間もそうだったけれど、本当に息を呑んでしまう。
王宮内の内装は、ひとつひとつが一流の建築家によって設計されたと感じさせる造りをしている。
何よりも驚かされるのは、聖王宮全体を覆う強力な結界。学園の授業で習ったことがある――聖王家には門外不出の秘術が存在しており、聖王宮に張り巡らせている結界もその秘術の中のひとつであると、術士科の教官が話して下さったことを思い出す。
おそらくは、光の力による強力な結界なのだろう。聖王都全域を覆う結界よりも、遥かに強力な結界が王宮全体を守護している。聖王宮内の神聖な空気は、この結界も影響しているのかも。
暫く歩いていると、聖王宮内の中庭と思われる場所に出る。綺麗な花畑が見えて、咲き誇る美しい花々に思わず見惚れてしまう。
「どうしよう……誰かを呼ばないと」
ふと、耳を澄ますと子供の声が聞こえてきた。声色からして、男の子?
中庭の一角に、ひとりの男の子の姿が――ノエル殿下と同じ白金の髪。
「ヨシュア、どうしたんですか?」
「姉上!」
ノエル殿下に話し掛けられ、振り返る男の子。ノエル殿下が姉上ということはこの子、いえ、この御方はノエル殿下の弟君――。
「あ、リリアおねーさん。この子は弟のヨシュアです」
「初めまして。リリア・レイナードと申します」
「よ、ヨシュアです」
男の子の名前はヨシュア――聖王国の第一王子ヨシュア殿下。何とか平静を装うけど、心臓はバクバクと高鳴っていた。ま、まさか、王子殿下にもお目に掛かれるなんて思いもしなかったから。
ヨシュア殿下は、今にも泣きそうな表情をされていた。何があったのかしら?
「姉上、この子が――」
そう言って、ヨシュア殿下が両手の上に持っているものを見せてきた。そこには、翼に怪我をした小鳥が。酷い……直ぐに手当てしないと。
「さっき、中庭の端で見つけたんです。この子、怪我をしてて……」
「ヨシュア殿下、失礼します」
「え?」
私は前に出て、ヨシュア殿下が抱えている小鳥に向けて両手を向けた。掌から光が溢れ出し、小鳥に伝わっていく。傷付いて、動けなかった小鳥は翼を羽ばたかせて殿下の手の上から飛び立っていく。
「あ……」
「治癒魔法を施させて頂きました。もう、大丈夫です」
「リリアさん、光の力を持っているんですか?」
「はい」
「驚きました。光の力を持っている家系は、少ないと聞いてましたから……あの子が元気になってよかったです」
怪我が治り、元気に大空を舞う小鳥を優し気な眼差しで見つめるヨシュア殿下。
「そういえば、リリアさんはお客様なんですか?」
「はい。実は――」
私は、国王陛下から招待状を受けって聖王宮に招かれた経緯を説明した。
「視察の時、姉上を助けて下さったんですね。心から感謝します」
「と、とんでもございません。私はそれほど大したことはしてませんから……」
「もー、リリアおねーさん、謙遜し過ぎです。ルディアおねーさんの怪我が治ったのは、リリアおねーさんの治癒魔法のお陰なんですから」
ノエル殿下は褒め称えて下さるけど……本当に、大したことをしたとは思っていない。私にも少しくらい戦う術があれば……。
――光の力。ノエル殿下やヨシュア殿下といった聖王家の方々や聖王家に連なる家系以外には殆ど居ない希少な力を持って、私は生まれてきた。
レイナード家は水か風の力を宿す人間が多い中、どうして私は光の力を宿して生まれてきたんだろう。
レイナード家には聖王家の血は流れていない。光の力を持っていたことに疑問を感じていた私は、家系図を細かく調べたけど、両親は勿論、祖父母、その前の御先祖様達の中にも聖王家や聖王家に連なる方と結婚した事実は確認出来なかった。
まるで、突然変異のように私が生まれてきた気がして、不安になって塞ぎ込んでしまったこともある。お父様やお母様はそんな私を心配してくれたし、お姉様は自分の力に誇りを持つようにと諭してくれた。
支えてくれた家族の期待に応える為、魔法の鍛練や勉強に精を出した。だけど……私には、放出系統の魔法――攻撃魔法に関する資質が無かった。光の力を用いた攻撃魔法も存在するけど、文献に記されているそれらの魔法を私は全く扱えなかった。
王立学園に入学してから術士科の教官達に相談すると、先天的に放出系統の魔法の資質が欠けているとのこと。その代わり、生命の系統に属する治癒魔法に特化していると聞かされた。
何かひとつの系統に特化している人間は珍しく、特化している系統の魔法を完璧に極めること、発動させることが可能なのだという。但し、ひとつの系統に特化している魔法の使い手は、他の何かの系統魔法の資質が無いとされる。私の場合は、放出系統の魔法が該当する。
出来れば、普段使わない魔法の資質が欠けていればよかったのに……。
「むう……リリアおねーさん、暗い顔しちゃダメです。美人が台無しです」
「え……あ、その……」
い、いけない。自分の力のことをあれこれと考えていたら暗い表情になってしまっていたみたい。王女殿下に指摘されるなんて、恥ずかしい……。
「ヨシュア、リリアおねーさんに聖王宮を御案内してあげましょう!」
「え?は、はい」
ノエル殿下は私の手を掴んで、駆け出す。私は驚きながらも彼女に付き従う。ヨシュア殿下も私達の後に続く。わ、私、ノエル殿下のお話相手の筈なのに、色々気を遣われて申し訳ない気持ちになってしまう。
王女殿下と王子殿下に王宮内を案内されるという、普通に考えればあり得ない状況に困惑しながらも、私はおふたりと聖王宮内を見て回る。
ノエル殿下は終始笑顔で、とても楽しげだった。ヨシュア殿下はノエル殿下の後ろに控えていたけど、時折ノエル殿下が振り向くと優しく微笑み返していた。
天真爛漫な王女殿下と控えめな王子殿下――正反対なおふたりだけど、姉弟仲は良好みたい。私も思わず笑みが零れそうになる。
……ディゼルさんは、どうしているかしら。やっぱり、気になってしまう。首から下げている首飾りをギュッと握りながら彼のことを考える。
「あれ、リリアおねーさん……そんな首飾りしてましたっけ?」
「この首飾りは、ディゼルさんが渡してくれたものなんです」
聖王宮に赴く前、ディゼルさんはこの首飾りを渡してくれた。
『リリア嬢、万一の為にこの首飾りを渡しておきます』
『ディゼルさん、これは?』
『付与魔法を込めた首飾りです。リリア嬢に何かあった場合、感知術が発動して僕に知らせてくれます』
この首飾りは、ディゼルさんが付与魔法を込めた魔道具の一種。聖王宮内は強力な結界で守られて安全とはいえ、それでも何か起きた場合を考慮してこれを作ってくれた。
私に何かあった場合、感知術が発動して私の危機を彼に伝えてくれる。護衛として、私の為にこんな物まで用意してくれる彼の優しさに胸を打たれる。
暫くすると、私達は聖王宮内の王族の御寝室の近くまで赴いていた。さ、流石にこれ以上先に行くのは無礼だと思う。
「ノエル殿下、その、流石に王家の方々の御寝室には入れません……」
「むう……私は別にいいんですけど」
「と、とととんでもございません!」
いくら王女殿下が良いと言っても、これ以上先に足を踏み入れることは――。
ドクンッ!
「……!?」
心臓が張り裂けそうなくらい高鳴り、私は胸を押さえた。な、何なの――この胸の高鳴りは?視線を向けると、ある部屋の扉が瞳に映る。
ドクンッ!
「……ッ」
また、だわ――心臓が大きく脈打つ。あの部屋に、何かを感じる……あそこに何かあるというの? 私は、まるで何かに突き動かされるようにその部屋の前まで足を進めていた。
「リリアおねーさん……? あ、そこは――」
「リリアさん、そこは“封印の間”ですけど……」
「“封印の間”……?」
「は、はい。僕や姉上が生まれるずっと前から閉ざされている部屋です。300年は開いていないと聞いてます」
どうして、そのような曰くのありそうな部屋に私の心臓は高鳴ったの?
300年も開いていない部屋――300年前と言えば、ディゼルさんが守護騎士だった頃……?
おもむろに、部屋の扉に触れると――。
「きゃっ……!?」
突然、扉が光輝き出した。ずっと閉ざされていたという扉は、大きな音を立てて開いた。
「あ、開きました……」
「どうして……」
「――」
唖然とする両殿下を尻目に、私はそのまま、封印の間と呼ばれる部屋に足を踏み入れる。そこには、何も無かった。何も無い空間が広がっているだけ。
「むう、残念です。封印されてる部屋だから、凄い宝物があると思ってたのに」
「姉上、宝物庫じゃないんですから……」
後から続く両殿下。ノエル殿下は残念そうな表情をされ、そんな姉君にヨシュア殿下は呆れた視線を向けていた。
けれど、私はそれどころじゃなかった。今の私は既視感を感じていた。
――知っている、私はこの部屋のことを知っている。だけど、何故?
聖王宮に赴くのは今日が初めての筈。300年も前から閉ざされていたこの部屋のことを、どうして私は知っているの?
「あれ?」
「姉上、どうしたんですか?」
「床に何か刻まれています。殆ど消えかけているけど――」
ノエル殿下が床に何かを見つけ、私とヨシュア殿下も床に視線を落とす。床には何らかの魔法陣が刻まれていた。長い年月が過ぎているからなのか、薄っすらとしか残っていない。それを見た瞬間――。
ドクンッ!!
「……ッ、ああ、うぅ……!」
「リリアおねーさん!?」
「リリアさん、どうしたんですか!?」
心臓が再び高鳴る――鋭い痛みが襲い、私は胸元を押さえてその場に膝をついてしまう。殿下達が、血相を変えて駆け寄って来られる。
私、知っている……床に描かれた、この魔法陣を。だけど、どうしてこれを知っているの? 何時、何処で、これを見たの……?
「――ッ、あ、う……っ!」
ズキリと、頭痛が走る――頭の中に何かが流れ込んでくる……これは、誰かの記憶?
頭の中の流れ込んできた光景は、何処かの部屋。薄暗く、カーテンで閉め切られて、陽の光が殆ど差し込まない部屋の中に、ひとりの少女の姿が。
白金の髪の少女が、陽が差し込まない部屋の寝台の上に居る。あの髪の色、ノエル殿下やヨシュア殿下と同じだわ。
少女の年齢はノエル殿下よりも少し年上に見える、私と同年代くらい?
薄暗い部屋の中に居る所為か、顔がよく見えない。
『……何処、何処に居るんですか……』
少女が何かを呟いている。誰かを捜しているの……?
ドンドン、という扉を叩く音が聞こえてくる。この少女が居る部屋の扉を誰かが叩いているみたい。
『……様、開けて下さい……もう、何日も碌に……』
途切れ途切れにしか聞こえない声――少女を心配して来た誰かの声みたい。だけど、少女はその声に反応せずにぶつぶつと呟いていた。
――場面が切り替わる。少女が、一冊の本を一心不乱に読んでいた。とても古い本……本の端がボロボロになっている。数十年、あるいは数百年も昔の古い書物なのかもしれない。
『これを使えば、あの人に会えるかもしれない』
少女は、本の中から何かを見つけた。本の内容が、少しだけ見える――魔法陣が描かれたページ。古い言葉で書かれている為か、どのような効果を持つ魔法陣であるかは分からない。
これを使えば、会えるかもしれない……彼女は、誰かに会う為にあの魔法陣で何か大きな魔法を行使しようとしている?
――また、場面が切り替わる。場所は、少女が居たあの寝室だ。少女は、両手の指を絡めて祈りを捧げるように何かの魔法の詠唱を口にしていた。少女の魔力が床に伝わり、床に魔法陣が刻み込まれていく。
あの魔法陣……私と殿下達が見た消えかけていた魔法陣? ということは、封印の間と呼ばれている部屋は、あの少女の寝室――古い書物にあった魔法陣を自分の寝室で発動させたの?
ドンドン、と寝室の扉を叩く音が聞こえる。
『開けなさい!その魔法を使ってはいけません!』
少女よりも年上と思われる女性の声が、寝室の外から聞こえてきた。様子から察すると、少女の魔法を止めに来たと思われる。
『ごめんなさい……あの人に会えるなら私は――』
『やめなさい!失敗すれば――』
『そこをお退き下さい――』
男の人の声が聞こえてくる。少女を止めに来た女性と共にもうひとり、誰か赴いているみたい。寝室の扉が、斬り裂かれる。
寝室に入って来たのは、白金の髪の女性と銀髪の男性……え?
こ、この方達は――女王アストリア陛下と聖王グラン陛下!?
聖王宮に飾られている肖像画に描かれていた、300年前の女王陛下と聖王陛下御本人達に間違いない。肖像画と異なる点は、グラン陛下は守護騎士の戦闘衣を纏っていること。つまり、まだ国王陛下ではなく守護騎士の隊長を務められていた頃だと思われる。
彼の手には、光の魔法剣“光剣”が握られていた。魔法剣で寝室の扉を斬ったのだろう。おふたりが、寝室に足を踏み入れようとした瞬間――床に描かれた魔法陣が輝き出した。
グラン陛下が、アストリア陛下を抱きかかえてその場から跳躍、距離を取る。
『そんな――魔法陣が、発動した……!?』
『陛下、近付いてはなりません! 巻き込まれてしまいます!!』
『ですが、あの子が――!』
アストリア陛下が魔法陣の中心に立つ少女に手を伸ばそうとして――景色が歪んでいく。こ、今度は、何が起こるというの?
景色の歪みが鎮まると、私は真っ暗な場所……闇の中に立っていた。
ここは、一体何処なの? 私は、どうしてこんな場所に居るの?
『会いたい』
背後から声が聞こえた。振り返ると、白金の髪の少女が立っていた。
魔法陣を発動させた、あの少女に違いない。顔はよく見えない。
『あの人に、会いたい』
そう言って、彼女は私に近付いて来た。私は息を呑んで、後退る。
少女は私の肩を掴む――。
『会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい、会わせて会わせて会わせて会わせて会わせて会わせて会わせて会わせて会わせて会わせて会わせて会わせて会わせて会わせて』
やめて……怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
……離して……どうして、私に訊くの?
あなたは、一体誰なの……? 誰に会いたいというの……?
助けて――私は、首から下げている首飾りを握り締めていた。
「助けて、ディ、ゼルさん……」
まるで、その言葉に応えるように首飾りが光を発した。
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