第18話 天の騎士、去りし時代……


 ――聖王国歴727年、深淵との戦いが始まって以来、数ヶ月に渡って世界を覆っていた暗雲が晴れた。


 暗雲に包まれていた空が裂かれ、陽の光が差し込んでくる。


「見ろ!ひ、光――太陽の光だ!」


「深淵の王が封印されたんだ!グラン隊長達がやったんだ!!」


 聖王国騎士団及び各国の騎士や兵士達が歓声を上げる。士気が最大まで高まった連合軍は、残る深淵の軍勢達を次々と撃破していく。


「見ろ、グラン隊長だ!」


「隊長、御無事で……」


 地平線の彼方から、銀髪の騎士が歩いて来る。守護騎士隊長グランその人だ。


 グランの両隣には、彼を支える兵士達の姿が――深淵の王との戦いで疲弊しているようだ。


 守護騎士達が、隊長であるグランに駆け寄る。グランは辛そうな表情だった。負傷や疲労によるものではない、精神的なものと思われる。


 そして、ある事に気付く。共に深淵の王に挑んだディゼルの姿が無い。


「隊長――ディゼルは?」


「……すまない、アストリア陛下に至急報告しなければならない事がある。深淵の軍勢の残党は任せてもいいか?」


「は、はい……」


 部下に戦場を任せ、グランは聖王宮に帰還した。帰還したグランをアストリアが迎える。


「グラン殿、よく……よく無事で……!」


「陛下……守護騎士隊長グラン、帰還しました」


 気丈な態度を取っていたアストリアだが、内心不安だった。グランはアストリアの婚約者である。彼が戻って来ないのではないかと、気が気でなかった。


 グランの曇った表情を見て、彼女は瞳を大きく見開く。


「グラン殿、まさか……ディゼル殿は」


「……ウェイン総長には、既に説明しております」


 顔を伏せるグラン。アストリアも辛そうな表情で俯いた。


 深淵の王との戦いの最終局面、送還術の発動で王は深淵の扉に吸い込まれて元の世界に押し戻された。しかし、最後にグランとディゼルを道連れにすべく闇魔法を放った。


 “昏き門”と呼ばれた、黒い球体を発生させる闇魔法。それに吸い込まれたものが何処に行くのか――術者である王ですら分からないという。


 黒い球体に引きずり込まれそうになった時、ディゼルはグランだけを空間転移で戦場から離脱させた。


 次にグランが意識を取り戻したのは、兵士に呼び掛けられた時だった。戦場から遠く離れた場所に突然現れたグランを見つけた兵士達によって、彼は介抱されたのだ。


 兵士達に支えられながらも、ディゼルの安否を確認すべく決戦を繰り広げた戦場に戻ったものの、そこにはディゼルの姿も深淵の王の姿も存在しなかった。


 感知術を用いて戦場周辺をくまなく調査したが、ディゼルの存在を微塵も感知することは出来なかった。


 ディゼルは“昏き門”に引きずり込まれて、この世界から消失してしまったと判断した。捜索しようにも、彼の行方を調べる術が無い。


「ウェイン総長は、皆には戦死として報告すると言っておりました……」


「そう、ですか……。では、アリアには私から伝えておきましょう」


「陛下……」


 ――暫くして、聖王宮前に聖王国騎士団及びグランを除く守護騎士達が集まっていた。ディゼルの友人である騎士、ジャレットとアメリーも負傷しながらも戦いを生き延びていた。


 既に守護騎士として深淵の軍勢との戦いを幾度も経験しているディゼルと異なり、彼等は新米である。未熟な自分達が、よく生き残れたものだと胸を撫で下ろしていた。


「総長からの話って何だろうな」


「静かにしなさい、来られたわよ」


 騎士団総長ウェイン・アークライト。ディゼルの父親であり、騎士団の最高責任者である彼が前に出る。


 全員が視線を総長に向ける。息を呑んだ――何時もの威厳のある総長と違う。彼の瞳には活力が宿っていなかった。疲れ切った表情をしていた。


 流石の総長もこの戦いで疲弊されたのか……と、誰もが思った。


 しかし、それは疲労によるものではない。総長が語り出す。


「皆、よく聞いて欲しい――深淵の王は無事に封印された。そして、守護騎士ディゼル・アークライトが戦死した」


「……は?」


「……う、そ……」


 ジャレットは間の抜けた顔で口を開け、アメリーは震えていた。


 守護騎士達の表情も沈んでいた。一番若いディゼルが、自分達よりも先に逝ってしまったのだから。


 ディゼルの葬儀は、後日執り行われることとなった。彼の死は多くの人々の心に深い傷を残した。






 ―――アークライト邸。ディゼルの母ソフィアは、息子の訃報を知らされると同時に倒れた。


 寝室、ベッドの上で彼女はうわ言のように息子の名前を呟く。


「……ディゼル、ディゼル……」


「母さん……」


 長女レインは、傍について魘される母の手を握っていた。彼女も弟の死に心がズタズタになっていたが、こんな状態の母を放っておく事など出来ない。


 妹のミリーとユーリは部屋に籠りっきりだ。兄が二度と帰って来ないと聞かされ、ずっと泣いている。


「(どうして……どうして、あの子が天の力なんて持って生まれてきたの? どうして、別の誰かがその力を宿さなかったの……)」


 レインは神を憎んだ。何故、弟に天の力を授けたのか。


 そんな力を持って生まれてきたばかりに、弟は過酷な戦場に赴かなければならなかった。そして、生きて帰って来る事が出来なかった。


 天の騎士? 英雄? それが何だと言うのだ、あの子は大切な家族、愛する弟だったというのに――。


 父ウェインは、聖王宮の騎士団総長の執務室でワインが注がれたグラスを見つめていた。グラスは、ふたつ用意してある。ひとつは自分、もうひとつはディゼルの分だ。


 天の力を持つ選ばれた子だと、将来は自分を超える騎士になるのだと厳しく育てた。14歳で守護騎士に選ばれ、王女殿下の護衛を務めるようになった。


 ――自慢の息子だった。父の期待以上に成長してくれた事を嬉しく思った。


 すっと、瞼を閉じる。幼い頃のディゼルの姿が浮かんできた。


『父さん、僕、強い騎士になる! 父さんより強い騎士になるんだ! それで、可愛いお姫様をお嫁さんにするんだ!』


『お前という奴は……無理に決まっているだろう? 騎士は国に仕える存在なのだぞ? 姫君と結婚出来るわけがないだろう』


『えー? そうなの?』


『まぁ……この聖王国の初代国王陛下も騎士だったが、仕えていた王女殿下と結婚したそうだが』


『なら、僕だって出来るかもしれない! 父さん、見ててよ?』


『やれやれ……』


 閉じていた瞼を開く――頬を一筋の涙が伝う。幼かった息子の夢を聞いた時の事を思い出していた。


「馬鹿、息子が……親より、先に逝くな……」


 ――同時刻、聖王宮のとある一室。そこには棺が置かれていた。中身は空、そこには遺体が納められていない。棺には『ディゼル・アークライト』の名が刻まれていた。


 棺が置かれた部屋の扉が開く。入って来たのは、ディゼルの友人であるジャレットだった。彼は虚ろな瞳で棺の前に立った。


「なぁ……ディゼル。お前、何で死んだんだよ? 守護騎士になって、アリア殿下の護衛になって、世界を救った英雄になったんだろ……何で、死んだんだよ?」


 空の棺の蓋をドンと叩く。


「お前、殿下の護衛を続けていくんじゃなかったのかよ!? 生き返れ、戻って来いよ!!」


「ジャレット、何してんのよ!?」


 部屋にアメリーが入って来る。彼女は、棺を叩くジャレットを羽交い絞めにする。無論、体格や膂力で彼女がジャレットに敵う筈も無い。


 力任せに彼女を振りほどいたジャレットは、棺を叩き続ける。


「やめなさい、この馬鹿!」


「うるせぇ! 黙れよ、じゃじゃ馬娘!!」


 パァン、と渇いた音が室内に響く。アメリーの平手打ちがジャレットの頬に叩き込まれた音だ。


「何しやが――」


 文句を言おうとして、ジャレットは言葉を詰まらせる。目の前に立つアメリーは、息を切らしながら瞳から涙を流していた。

 

 彼女が涙を流す姿を見て、ジャレットの頭は急速に冷えていった。何時も、口喧嘩する仲の彼女が涙を流す姿を初めて見たからだ。


「ディゼルは、ディゼルはもう居ないのよ! 現実を見据えなさい!!」


「……!」


 ディゼルはもう居ない――その言葉を耳にして、ジャレットは膝から崩れ落ちて、両手を床につけた。アメリーはそんな彼の傍に寄ると、両手をジャレットの頬に添えてそのまま自分の胸元に抱き寄せた。


「……何してんだよ。色気なんて欠片も無い癖に」


「うっさいわね、あたしだってらしくないと思ってるわよ。でも、今のアンタを見ていると、こうしなきゃいけないって思ったのよ」


 アメリーに抱き寄せられたジャレットの身体が震えていた。ずっと、堪えていた感情を彼女の前で吐露した。


「アメリー、俺、ディゼルと肩を並べて戦いたかった」


「あたしもよ」


「あいつと同じ守護騎士になって、一緒にこの国を守りたかった……ッ」


「あたしだって、同じ気持ちよ……ッ」


 空の棺が置かれた室内で、ふたりは声を押し殺して泣いた。


 聖王宮、謁見の間。女王アストリアは暗い表情で玉座に座った。女王の御前に跪くグランは、顔色が優れない主君を見て胸が痛んだ。


「陛下、アリア殿下は……」


「……」


 何も言わない主君を見て察する。妹君である王女が、ディゼルが帰って来ない事を伝えられ、心に深い傷を負ったのだと。


 アリア王女が、ディゼルに護衛以上の想いを抱いていた事は誰の目から見ても明らかだった。気付いていないのは、ディゼル本人だけだっただろう。


 跪くグランは、きつく拳を握り締める。あの時、ディゼルは自分を安全な場所に送る為に空間転移を使った。疲弊していたこともあり、ひとりしか飛ばすことが出来なかったのだろう。


「私さえ――」


「グラン殿……?」


「私さえ居なければ、ディゼルは生き残ることが出来たかもしれません……」


 グランの握り締めた拳からは血が流れていた。


「私が、私が居なければ――」


「グラン殿!」


 グランの傍にアストリアが駆け寄り、血が滴る拳を両手で優しく包み込む。


「自分を責めないで下さい。あなたが居なくなったら、私、私は――」


「陛下……」


 アストリアの手の震えが、傷ついたグランの拳に伝わってくる。彼女は婚約者であるグランが、愛する彼が居なくなることを恐れている。守るべき主君であり、最愛の女性である彼女をグランは抱き締めた。






 ――聖王国歴727年、天の騎士と呼ばれた若き英雄の消失は、彼と親しかった者達の心に大きな傷を残した。


 そして、ディゼルが世界から消えて日を置かずして、ひとりの少女が命を落とした。少女の名はアリア――聖王国の第二王女、ディゼルが護衛を務めた姫君である。


 優れた治癒魔法で多くの人々を救い、誰にも分け隔てなく優しく接してくれた可憐な姫君の死に国民は涙した。


 記録には病死と記載されている。一説では、自害したのではないかという話もあるが真相は闇の中である――。





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