第8話 記念館


 ――さま。


 声が、聞こえる。僕を呼ぶ少女の声が。

 僕は、この声の主が誰であるかを知っている。


 ――兄様。


 兄様、と僕を呼ぶ声。僕をそう呼ぶ御方は、この世にひとりしか居ない。


 閉じていた瞳を開くと――目の前に白金の髪と瞳を持つ、美しい少女の姿があった。僕が、命を懸けて御守りしなければならない御方――アリア姫。


「(……!?)」


 思わず我が目を疑った。そこは、姫の寝室だろうか。


 姫の寝室に出入りしたことは一度も無い。そんな畏れ多いことなど出来ない。

 姫が御就寝中は、寝室の外で護衛をしていた。姫の寝室に出入りを許されるのは、侍女のセレス殿といった一部の人間のみだ。


 瞳を開いて、広がった光景は姫の寝室と思われる部屋。カーテンは閉め切られ、陽の光が差し込んでいない。


 寝台の上に姫の姿が――だけど、その御姿は僕がよく知る姫とは異なる。

 瞳からは光が消え、まるで壊れた人形のように見えた。何度も泣いたのか、目元には涙を流した跡が見られる。


「(ひ、め――?)」


 僕は、震える手を姫の方に伸ばそうとする。一体、これは何だ?

 何故、何故……姫がこんな痛ましい姿をしている?


「兄、様……何処、何処に居るんですか……」


「(――姫! ここです、ここに居ます!)」


 必死に手を伸ばすが、その手は全く届かない。どういうことだ、姫は目の前にいらっしゃるのに、どうして僕の手は届かない!?


 それに、おかしい。僕の声も全く姫に届いていない。


 景色が歪む――姫の姿が見えなくなる。

 姫、姫……何処にいらっしゃるのですか?姫、返事をなさって下さい――。






「姫ッ!」


「きゃっ!?」


 ……あれ、ここは――術士科の学生寮。リリア嬢の寝室前か?


 護衛になってから、僕は彼女の寝室前に置かれている長椅子で就寝している。

 リリア嬢に何かあった場合、直ぐにでも駆けつけられるように。


「ディ、ディゼルさん……」


 ん?この声は、リリア嬢の声?


 よく見ると、僕は誰かの手首を掴んでいた。恐る恐る、顔を上げると眼前にリリア嬢の顔が――。


「リリア、嬢……?」


「あ、あの……その、は、離してもらえませんか……?」


「え……ああ! し、失礼しました!」


 ど、どうして、僕はリリア嬢の手首を掴んでいるんだ!?


 慌てて彼女から手を放すと、彼女は顔を赤くしながら自分の手で掴まれていた箇所を押さえている。


「も、申し訳ありません。手首を痛めてはいませんか?」


「だ、大丈夫です。ディゼルさんが魘されていたから、心配になったんです」


「僕が、ですか……?」


 ……不覚だ。本来なら、護衛対象である彼女より早く起床しなければならないというのに。彼女自身の方が、先に眠りの世界から覚めるとは。僕も、まだまだ未熟者だ。


「何か、良くない夢でも見てらしたんですか?」


「ええ、まぁ……大丈夫です。ところで、今日は確か――」


「はい、今日は天の日――休日だから授業はありません」


 この世界の1週間は、天光雷地水火風の属性から曜日が定められている。


 天の力から名付けられた天の日は休日。今日は、学園での授業は無い。

 外出許可を出せば、聖王都内であれば自由行動が出来る。


 僕も騎士科に在籍していた頃、天の日は聖王都内をアメリーやジャレットと共に散策したものだ。


「リリア嬢は何か御予定があるのですか?」


「ロゼさんからお茶会に招待されまして」


「そうですか、では僕も――」


「ディゼル殿……」


 ハッと、背後から聞こえる声に反応して振り向くと、笑顔のエリス殿が。


「あ、あの――」


「お嬢様達が御親睦を深めるお茶会に、殿方が混ざられるのは如何かと思います」


「い、いえ……その、護衛ですから」


「あら、私ではお嬢様の護衛は務まらないと?」


「そ、そのようなことは……」


 笑顔で凄い圧力を掛けてくる侍女殿に、僕は後退ってしまう。

 確かに、女性ばかりの集まりの中に男性が入れば場違い感はあるかもしれないけど……。


 すると、リリア嬢が――。


「ディゼルさん、今日は聖王都内を見物されたらどうですか?」


「え? し、しかし……」


「護衛として頑張って頂くのは嬉しいんですけど、少しは息抜きして下さい」


「は、はい……」


 な、何か押し切られてしまったなぁ。


 こうして、今日は護衛の仕事は休み。僕は聖王都内を散策することに。

 さて、折角頂いた休みなんだ。何をしようかな?






 聖王都――この世界を二分する大国のひとつ、聖王国の首都。


 遥か昔、深淵の侵略を退けた英雄と聖女が結ばれたこの地に都は築かれた。

 この英雄と聖女の子孫が、現代まで続く聖王家の祖であると、騎士科時代に授業で習った。


 現在は聖王国歴1027年、僕が生きていた時代から300年が過ぎていることもあって、見慣れない建造物が多く建ち並ぶ。時の流れというものを、改めて実感させられる光景だ。


 今、僕がやって来た場所は大通り。多くの店が立ち並び、多くの人々が訪れる場所だ。故に、人の往来も多く、警備の騎士達の姿も見られる。


 大通りといえば、姫と共にお忍びで赴いたことを思い出す。


 流石にドレス姿では目立ち過ぎるので、セレス殿直伝のメイクと変装した姿だったけれど。僕も守護騎士の戦闘衣ではなく、一般人と同じ格好で同伴した。


 ……聖王宮に帰還した後、怒りを笑顔で隠したアストリア陛下の凄まじい圧力に姫が縮こまっていたのは言うまでもないけど。僕も、グラン隊長に散々説教された。守護騎士として立場を弁えろと。


 だけど、大通りを共に歩き、屈託のない笑顔を見せる姫の御姿はとても眩しかった。この笑顔を守る為に、守護騎士として姫を護衛することに誇りを持っていた。


「(……姫)」


 だからこそ、姫が若くして亡くなられたという記述を目にした時、耐え難い心の痛みと喪失感を味わった。


 姫は病死されたと歴史資料に記載されていたけど、何かしらの病を患っていたという話は聞いていない。真相を知りたいけど、300年前の出来事――手掛かりを見つけるのは困難だろう。


「(……ん? あれ、この辺りは確か――)」


 色々考え事をしながら歩いていると、見覚えのある道を歩いていることに気付いた。この道は、僕の実家であるアークライト邸に続く道だ。何時の間に、この道に来てしまったのだろう?


 そうだ――今、アークライト邸はどうなっているんだろう?300年も過ぎているのだから、取り壊されているんだろうか。


 折角、この道に来たんだ。現代の我が家がどうなっているか見てみよう。

 周囲の建物の変化に目を配りつつ、我が家があった場所に辿り着き――思わず、息を呑んだ。そこには、見慣れた我が家が建っていた。


 大きな看板が目に映る。看板には『アークライト記念館』と書かれていた。

 記念館……アークライト邸は、今は記念館として残っているのか。


 建物の中に入ってみると、大勢の人々が展示品を見て回っている姿が見えた。

 実家が、今はこうして多くの人が訪れる場所になっているとは……。受付に行ってみるかな。


「すみません、見学したいんですけど」


 受付で見学料を払い、懐かしの我が家を見学することに。

 まず、赴いたのは自分の部屋だ。部屋の前には『天の騎士の私室』というプレートが掛けられている。


「(うわ……何か、凄い恥ずかしい)」


 何で実名じゃなくて、渾名の方なんだろう。


 室内に入ると、僕が使っていた机や訓練用の剣、愛読していた本が目に入る。

 長い年月で経年劣化しているものの、思い出深い品がこうして現代まで残っている事実に感動を覚える。


 父さんや母さん、姉さんや妹達の部屋にもみんなが使っていた品の数々が大切に展示されてあった。


「(大切に保管してくれているんだな……)」


 一通りの部屋を見回って、最後に訪れたのは応接室。ピタリと、そこで足を止める。室内に飾られている一枚の絵に釘付けになる。


 飾ってある絵には、アークライト一家全員が描かれている。

 この絵……そう、これは僕が守護騎士になった祝いの時に描かれたものだ。まだ残っていたなんて――。


 父さん、母さん、姉さん、ミリー、ユーリ――。


「ただいま……」


 おかえりなさいという返事が返って来る筈もない。だけど、言わずにはいられなかった。ここは、僕が生まれ育った家なのだから。


 記念からの見学を終え、暫く町の散策をした後、夕刻に僕は王立学園に戻った。リリア嬢とエリス殿が出迎えてくれた。


「ディゼルさん、あの……」


「どうかされましたか?」


「いえ、涙が――」


「え……」


 目元に指を這わせる。自分でも気付かない内に、涙を流していたようだ。


「失礼しました。みっともない姿をお見せして――」


「何かあったんですか?」


「いえ、その……生まれ育った生家を見てきたものですから」


 心配そうな表情を見せるおふたりに、大丈夫ですからと答える。


 心遣いは有難いけれど、無様な姿は見せたくない。今の自分は、リリア嬢の護衛なんだ。毅然とした姿でいたい。


 姫を御守りしていた時の心構えで、リリア嬢を守っていきたい――。



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