序章4 騎士と姫
聖王国歴726年――聖王都、王立学園。
聖王家の紋章が付いた馬車が学園前に到着する。馬車からは最初にセレス殿、そして次に僕が降りた。
「姫、到着しました――どうぞ」
「ありがとうございます、兄様」
差し出された僕の手を取るのは姫――アリア殿下。
今日は、王族が王立学園の視察に赴く日。今回、視察に訪れたのは姫。
当然のように、護衛騎士を務める僕も同伴している。
アストリア陛下から姫の護衛を任命され、もう1年になる。
最初の頃は、姫との出会いの時の一件もあってぎこちない態度で接していた。
やはり、どんな理由であれ王女殿下の一糸纏わぬお姿を拝見した事実は僕を苦しめた。しかし、姫はそんな僕を責めることなくお許しになって下さった。
姫の優しさに心からの感謝と忠誠を誓い、僕はこの1年――姫の御身を守り続けてきた。
今日は王立学園の視察――まさか、懐かしの母校にこんな形で来訪する機会が訪れようとは。飛び級で卒業してから2年になる。
アメリーとジャレットも最終学年の筈だ。元気にしているだろうか?
あ、そういえば……姫に進言しなければならないことがあった。
「ひ、姫――その、学園内では……」
「ふふ、わかっています。学園内では兄様とは呼びませんから」
護衛を務めるようになってから暫く経った頃だろうか。 姫からこんなお願いをされた―――。
『あの、ディゼル殿。お願いがあります――兄様と呼んでもいいですか?』
『……は? で、殿下、今何と――?』
『兄様と呼んでもよろしいですか?』
『あ、あの……それは』
『ダメですか……?』
涙で瞳を潤ませる姫に、僕は何も言えなくなってしまった。それ以来、姫は僕を兄様と呼ぶようになった。
……正直、萎縮してしまう。守るべき王女殿下から、そのように呼ばれることに。
姫には姉君であらせられるアストリア陛下がいらっしゃるけど、兄上も欲しかったのだろうか?
――いけない、今は姫の護衛に専念しないと。何時、如何なる場所から姫を狙う者が出現するか分からない。
姫には、いざという時の為に天の力を込めた守りの首飾りをお渡ししている。この首飾りには魔法を付与している。
どれだけ距離が離れていても姫の位置が把握出来る感知術と、いざという時に姫を守る結界を展開する結界術の二種類を付与した。
しかし、それはあくまで緊急時の為のものだ。今、この時を疎かにしてはならない。僕は守護騎士――姫を御守りすることが務めなのだから。
まず、僕達が訪れたのは術士科の校舎。
王立学園は騎士科と術士科に分かれており、時々合同授業することもある。
この学科を卒業する生徒の進路は様々だ。
聖王国魔術師団に所属、魔法研究者の道、魔道具開発の道等々……。
レイン・アークライト――姉さんも、かつてはこの術士科で勉学に励んだ。
術士科を卒業した今は、聖王宮の魔法研究室に務める研究者として働いている。
校舎に入ると、聞こえていた談笑や喧噪がシンと静まり返る。
無理も無いだろう。何せ、この国の王女殿下が視察に来られているのだから。
皆、姫の姿に見惚れていた。
まだ14歳になって間もないあどけない少女ではあるものの、姫の中に流れる聖王家の血がそうさせるのだろうか――その光り輝かんばかりの美貌に誰もが目を離せない。
中には、頬を赤らめながら熱っぽい視線を送る男子学生もいる始末だった……直後、術士科の教官達に睨まれて縮こまっていたけれど。
まぁ、流石に王女殿下に手を出すような命知らずな生徒は居ないだろう。
「ねえ、あの人が噂の……?」
「うん、守護騎士始まって以来の天才って言われてる……」
……うん? 女生徒が何か話しているみたいだ。
守護騎士始まって以来の天才――もしかして、僕のことだろうか?
確かにそう呼ばれているけど、僕としては大それた言い方だと思う。何せ、守護騎士の中では一番の若輩者だ。尊敬するグラン隊長との剣術の試合でまだ一本も取るに至っていない。
天才なんて呼び方はおこがましい。未熟者、ヒヨッコという呼び方の方が正しいと思う。
ふと、隣を歩く姫の様子がおかしい。どうされたのだろうか――少し俯いていらっしゃる。
何処か、御身体の具合でも悪くされたのだろうか?
「姫、如何なさいました?」
「……何でもありません」
「……?」
本当にどうされたんだろう。普段、あまり見せることのない表情をされている。とても不機嫌そうに見えるような――。
セレス殿が小声で話し掛けてきた。
「ディゼル殿……少しは姫様の御心を察して下さい」
「え?あ、あの……どういう意味ですか?」
「はぁ……」
セレス殿は溜息を吐かれた。い、一体何なんだろう?
結局、僕はこの時の姫のお気持ちを理解することが出来なかった――。
次に訪れた場所は、騎士科の訓練場だった。騎士科の学生達は訓練場で各々の鍛練を積んでいた。
剣術や槍術等の武器を使ったものから、徒手空拳による格闘術まで幅広い修練を行っている。
その中に、見知った顔を見つけた。アメリーとジャレットだ。
ふたりは熱心に訓練に励んでいた。よかった、ふたりとも元気そうだ。
「集合!」
教官の声で、生徒達が集合した。王女殿下が来られらたということで、鍛練していた騎士科の生徒達が整列し敬礼を行う。
最前列に居るのは最終学年の生徒――僕の同期生達だった。その中の誰かが呟いた。
「ディゼル……」
「え……!?」
「本当だ」
どうやら、姫の護衛を務める守護騎士が僕であると気付いたようだ。まぁ、驚かれるのも無理はないかもしれない。何せ、同期生だった僕が目の前に居るんだから。
しかも、王女殿下の護衛なんて大役を務めているなんて思いもしないだろう。
アメリーとジャレットの顔も見えた。ふたりとも、僕の姿を見て驚いているみたいだ。
姫の護衛に専念しなければならない為、ふたりと会話を交わすことは出来なかった。
そのことを少し残念に思うけれど、守護騎士の務めを果たさなければならない。姫を御守りすることが僕の責務なのだから。
視察を終えた後、学園長室で学園長に挨拶した。そして――今は聖王宮に戻る馬車の中。
視察中、姫を狙う不届きな輩は居なかった。移動中の今も警戒しているが、現時点で問題はない。
「そういえば、兄様――騎士科の方々が兄様の名前を呼んでましたけど……」
「ええ、訓練場の最前列に居たのは私の同期生達なんです。私は2年前に飛び級で卒業して守護騎士に抜擢されまして――彼等は最終学年なので、そろそろ卒業だと思います」
「そうなんですか。もしかしたら、聖王宮でお会いする機会もあるかもしれませんね」
「ええ」
騎士科の生徒の大半は、聖王国騎士団に入団する。アメリーとジャレットもそう遠からず騎士団入りするだろう。そうすれば、聖王宮で彼等と会う機会もあるかもしれない。
間もなく聖王宮に到着する――その時だった、異変を感じ取ったのは。
同時に、馬車が急に止まった。僕は身構え、セレス殿は姫を抱き寄せた。
「きゃっ……!?」
「姫様!」
「セレス殿、暫く姫をお願いします!」
僕は馬車から出て、御者に話し掛ける。
「どうしました!?」
「あ、あれを――」
「!」
御者が指差す方向に視線を向ける。彼が指差したのは空。空に暗雲が広がっていくのが見える。雨雲の類とは異なる。
邪悪な禍々しい雰囲気が漂っていた――本能が危険だと察知した。馬車が止まったのは、馬がこの気配に怯えたからだと理解した。
「御者殿、一緒に来て下さい」
「は、はい……」
僕は、馬車内に居る姫とセレス殿に降りて頂いた。ふたりは、暗雲が広がる空を見て不安の表情を浮かべていた。
「姫、セレス殿。どうやら、馬はこの状況に怯えて動けそうにありません。失礼ですが、私の肩に手をお掛け下さい――空間転移で聖王宮に向かいます」
頷く姫とセレス殿。御者にも自分の肩に手を触れるように頼み、僕は精神を集中した。
瞬間、次に姿を現したのは聖王宮内――謁見の間に続く廊下だった。
姫とセレス殿は兎も角、御者は随分と驚いたようだ。無理も無いだろう、いきなり外から聖王宮内に場所が変わったのだから。
突然、僕達が出現したことに驚いた守護騎士達が集まって来る。彼等は聖王宮内の警護が任務だ。
「ディゼル!?」
「そ、それに――アリア殿下!?」
「申し訳ありません、外をご覧になって下さい。緊急事態が発生したので、空間転移で殿下をお連れしました」
「外?な、何だ……あの暗雲は!?」
守護騎士達も窓の外を見て驚愕する。空を覆う暗雲に息を呑んでいる。
困惑する守護騎士達、そこに――。
「皆、うろたえてはなりません」
透き通るような声が聞こえてきた。
全員の視線が声の主に向く――この国の女王アストリア陛下。隣には護衛を務めるグラン隊長の姿も。
僕を含めたその場に居る守護騎士全員、セレス殿と御者も跪く。
「……とうとう来るべき時が来たようです」
「姉様、まさか――」
「その通りです、アリア。深淵の扉が開き、深淵の軍勢との大きな戦いが起きようとしています」
アストリア陛下の言葉に、姫は不安気な表情で口元を覆う。
深淵の扉とは、その名の通り深淵への扉。通常は僅かに開く程度であるが、数百年単位でその扉が大きく開く時期があると学園の授業で習った記憶がある。
今、正にその深淵の扉が開いたというのか……。
異変は聖王国のみに留まらず、世界中で発生する。深淵の軍勢が世界各地に、これまでの比でない数で出現したという報せが届く。
今、世界の命運を懸けた戦いが始まろうとしていた――。
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