序章5 決戦、そして……
聖王国歴727年――深淵の扉が開き、世界各地で深淵の軍勢との激しい戦いが繰り広げられるようになってから、数ヶ月が経とうとしていた。
深淵からの侵略に対抗すべく、世界各国による連合軍が組織された。聖王国、帝国の二大国を筆頭に各国の騎士団、魔術師団による連合軍の活躍で戦局は徐々に人類の有利へと傾いていく。
だが、遂に最も恐れていた事態が起きる――深淵の支配者である“深淵の王”が現世に出現したのだ。
深淵の王の力は、深淵の軍勢の怪物達とは比較にならないほど強大だ。戦いがこれ以上長引けば、勝機は望めない。
王を深淵の奥底に封印する必要がある。アストリア陛下は、守護騎士達に勅命を与えた。
聖王家に伝わる破邪法陣――深淵の力を弱める為の魔法陣を作り出す為、守護騎士達に聖石を託し、深淵の王が出現した地の周囲に赴くように命じた。
勅命を受けた守護騎士達は、陛下の指示通りの場所に到着すると、聖石を大地に打ち込んだ。
全ての聖石が打ち込まれた報告を受けると、陛下は破邪法陣を展開した。光り輝く魔法陣によって、弱い深淵の軍勢は塵となって消えていく。
――そして、聖王宮で待機していた僕は、深淵の王と戦う為、グラン隊長と共に城から出立しようとしていた。
破邪法陣の影響で力は弱まっているかもしれないけど、それでも強大な力を持つことに変わりはない。
守護騎士の戦闘衣を纏い、装備を整えて聖王宮から出立しようとした時――。
「兄様っ!」
背後からひとりの少女の声が聞こえた。僕を兄様と呼ぶ少女は、聖王宮にひとりしか居ない。
振り返ると、そこに居たのは息を切らしたアリア姫だった。何時も、姫のお付きである侍女のセレス殿の姿は見えない。
「姫、聖王宮は強力な結界が張られているとはいえ、護衛も無しにおひとりで参られるのは危険です」
「ごめんなさい……兄様が、決戦に向かわれると聞いて、どうしてもお見送りがしたくて……」
今にも泣きそうな姫の顔を見ると、胸が痛む。深淵の軍勢との戦いが激化してからというもの、僕は姫の護衛の務めを果たせていない。最近は、深淵の軍勢と戦うべく戦場に赴く方が多いからだ。
僕が持つ天の力は、深淵の軍勢に対して最も強い効果を持つ。アストリア陛下の命もあって、戦場でその力を振るい多くの深淵の怪物達を討伐した。
戦場での活躍から、人々は僕のことを『天の騎士』と呼ぶようになった。
だけど、僕はそんな名声よりも姫の御身を御守りすることの方が誇らしかった。こんな辛い戦いを一刻も早く終結させ、再び姫の護衛を務めたかった。
「姫、お見送りに来て下さり感謝します。大丈夫、隊長と私のふたりなら深淵の王に負けません」
「兄様……その」
「姫、如何されました?」
姫は何か伝えたいようだが、躊躇っているようだった。深呼吸した後、姫は――。
「兄様、必ず帰って来て下さい。帰って来たら、兄様に伝えたいことがあるんです」
「ええ、必ず――では、行って参ります」
僕は姫に一礼すると、背を向ける――視線の先にはグラン隊長の姿があった。
「隊長、お待たせしました」
「うむ。赴こうか――決戦の地へ。ディゼル、必ず生きて聖王宮に戻るぞ。死ぬことは許さん」
「はい!」
必ず生きて戻るんだ。グラン隊長と共に聖王宮に、姫の下に戻るんだ――。
――赴いた戦場は、正に深淵の王が出現したと呼ぶに相応しい地獄のような場所へと変貌していた。
草木は枯れて不毛な大地に変わり、地面からは瘴気を発する毒が湧き上がっていた。空には暗雲が立ち込めていて、まるでこの世の終わりを思わせる光景だ。
僕と隊長の眼前に、漆黒を纏う巨人の姿が見える。
奴こそがこの戦いの元凶。深淵の王と呼ばれる深淵の支配者だ。
アストリア陛下の破邪法陣によって、力を弱めることは出来たみたいだけど、それでも身震いするほどの強大な力を感じる。
深淵の王が、僕と隊長を見下ろす。
「人間風情が――我に楯突くか」
「侵略者と話す舌など持ち合わせていない――深淵の奥底に帰還願おうか」
グラン隊長は光の力を収束させた魔法剣“光剣”を発現する。僕も続くように天剣を発現した。
深淵の王の瞳が赤く輝く。忌々し気に天剣を構える僕を見つめていた。
「天の力を持つ者か――だが、我が敵ではない。ここで朽ち果てるがいい」
深淵の王が手をかざすと、無数の闇の触手が現れた。触手は一斉に僕達に向かって襲い掛かる。
隊長と僕は、魔法剣で触手を切り裂いて応戦する。
天の力と光の力は、深淵の軍勢に対して高い威力を持つ。闇の触手全てを斬り伏せるのに、さほど時間は要さなかった。
――戦いは熾烈を極めた。深淵の王の巨体から繰り出される攻撃や恐ろしい闇魔法の数々。アストリア陛下の破邪法陣で弱まって尚、これだけの力があるのかと戦慄を隠せなかった。
だけど、ここで負けるわけにはいかない。僕と隊長が敗北することは即ち、この世界が深淵の軍勢に蹂躙されることを意味する。
戦いが開始され、数時間が経過。流石の僕と隊長も疲弊していた。
その時だ――空中に巨大な扉が出現したのは。
「何だと……これは、まさか――!」
「その通りだ、深淵の王。あれは貴様が通って来た深淵の扉。アストリア陛下の送還術が漸く発動した」
「我と戦っていたのは、送還術発動の為の時間稼ぎか……ッ!」
そう、これこそがアストリア陛下の作戦。
僕と隊長が時間を稼いでいる間に、深淵の扉を呼び出して王を強制送還する送還術の発動こそが狙いだった。
アストリア陛下は聖王都にいらっしゃるにも関わらず、こんな遠距離に破邪法陣と送還術を発動させる力量を持つ。世界屈指どころか、今や世界最高の術士と言っても過言では無いだろう。
深淵の扉が開き、凄まじい勢いで深淵の王を吸い寄せる。王は抵抗しようとするが、深淵の扉の吸引力は想像以上に強力で、成す術なく扉の中に引きずり込まれていく。
勝った……これで、全ての決着が――。
「おのれ、こうなれば貴様等を地獄に送ってくれる……ッ!」
扉に引きずり込まれる深淵の王の掌から黒い球体が放たれる。あれは――闇魔法の一種か!?
黒い球体へと、僕と隊長は引きずり込まれそうになる。丁度、今の深淵の王が扉に引きずり込まれるのと同じような状態だ。
「“昏き門”――それに吸い込まれたものが何処に行くかは我も知らぬ。いずれにせよ、生きて帰れるとは思わぬことだ」
駄目だ、疲弊した今の僕と隊長ではあれから逃れることは難しい。こうなったら、取るべき手段はひとつしかない。
「隊長……必ず、生きて聖王宮にお戻り下さい。陛下はあなたの帰りを待っています」
「ディゼル――お前、まさか!?」
僕は隊長の胸に右手を添え、精神を集中する。隊長の姿がその場から消えた。
空間転移で、隊長をここから遠くに転移させた。
疲弊した今の僕では、隊長ひとりを飛ばすのが限界だった。出来れば、ふたりで聖王宮に戻りたかったものだ。
深淵の王が扉の向こうに消えていくのを確認する。しかし、奴が放った“昏き門”と呼ばれる黒い球体は消えていない。
駄目だ、身体が動かない……あれの中に吸い込まれる。
父さん、母さん、姉さん、ミリー、ユーリ、アメリー、ジャレット、アストリア陛下、グラン隊長――ごめんなさい、僕はこれまでのようです。
最後に僕の脳裏を過ったのは、命を懸けて守りたいと思った少女。
『兄様』
姫――申し訳ありません、もう、帰ることは、出来そう、に――。
そこで僕の意識は途切れた。
聖王国歴727年、深淵の戦いと呼ばれる熾烈な戦いは終結した。
世界を蹂躙しようとした深淵の王は、ふたりの守護騎士の活躍によって退けられた。
ひとりは守護騎士隊長グラン。
彼は、深淵の王との戦地から離れた場所で気を失っていたところを救出された。
意識を回復した彼は、傷ついた身体に鞭打ち、深淵の王との死闘を展開した戦地に戻るが――そこには、命懸けで挑んだ深淵の王と自身の部下であるディゼルの姿は影も形も存在しなかった。
聖王国の公爵家出身である彼は、女王アストリアの婚約者。後にアストリアと結婚し、聖王グランと呼ばれる名君として歴史に名を残した。
もうひとりは、天の力を宿した選ばれし者――天の騎士ディゼル。守護騎士始まって以来の天才と呼ばれた若き英雄。
彼が戻って来ることは、二度となかった――。
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