それゆけ!プリケツチート

庭先 ひよこ

第1話

カラン、と何かが床に落ちる。

構えた聖剣が真っ二つに折れていることに気付くと、勇者は驚愕の表情を浮かべた。


「そんな……」


魔王は玉座に座ったままにやりと笑う。

その視線の先には床に倒れ伏す三人の娘と、両膝を床に着いた勇者の姿があった。


「くそおおおおおお!」


勇者の叫び声が響く。

勇者の身体はもう限界だった。パーティメンバーも満身創痍だ。

聖剣を失った今、魔王を倒すすべはない。


「フハハハハハ!」


頭に角を生やした異形の大男――魔王は邪悪な笑みを浮かべながらその光景を見下ろした。


「その程度の実力でこの魔王城に攻め入るとは舐められたものだな。お前は魔界にピクニックでもしに来たのか?」

「くっ……」

「さて。サクッと勇者どもを殺して人間界も滅ぼすとするかな」

「お前……ッ!」


勇者は魔王を睨み付けた。しかし、そんな様子を魔王は愉しげに眺めるばかりだ。


「だが、そこの女達はなかなか可愛いじゃないか。すぐに殺すのは惜しいな……」


そう言って勇者の背後に目を向ける。そこには三人の娘が倒れていた。

一人は猫耳の生えたピンク髪の幼女。もう一人は銀髪の清純派美少女。残りの一人は豊満な身体つきの黒髪美女だ。

魔王はその娘達を舐め回すように眺めた。


(くっ、このままではみんなが酷い目に遭ってしまう!)


勇者は折れた聖剣を投げ捨てて三人の前に立ち塞がった。


「待て! 彼女たちには手を出すな!」

「ははっ。そんなザマで何を言う。聖剣も失ったお前に何ができるんだ?」

「それは……」

「あの女どもよりも価値のあるものを差し出すと言うのなら考え直してもいいが。……まあ、そんなものはないだろうが」


魔王は頬杖を付いて嘲るように笑う。

その声を聞きながら勇者は必死に考えた。


(俺が差し出せる、価値のあるもの……)


勇者はしばらく俯いていたが、やがて顔を上げ――魔王を見据えた。


「――――ある」

「何?」

「魔王よ。俺はこのケツをお前に捧げよう!!」

「…………は?」


勇者は凛々しい顔でそう告げる。

魔王はアホみたいな顔でフリーズした。


「とりあえず俺のケツを触ってみてくれ。さあ。さあ!」

「おい、さっきから貴様は何を言っているんだ。ふざけてるのか」

「俺は本気だ!!」


勇者の眼差しは真剣そのものだ。とりあえず冗談を言っているわけではないらしい。

だからこそ魔王は困惑した。


「野郎のケツなんぞ触ってどうなる。俺様にそんな趣味はないぞ」

「まあまあまあまあ」

「何がまあまあ、だよ。男の尻なんて固いだけだろ。誰が触るか」


その言葉に勇者はわざとらしく肩を竦める。

そしてチッチッチッ、と指を振った。


「そんな先入観、今ここで捨てちゃいな」

「なんかうざいなこの勇者」


魔王の言葉など聞こえていないかのように、勇者は柱に凭れかかっていい感じのポーズを取る。


「魔王よ。一つ問おう。俺のパーティの資金源は何だと思う?」

「何だよ急に。……どうせ王国からの支援金とかだろ」

「ブッブー。ざぁーんねぇん。このパーティは非公認だから国から資金はもらってませ〜ん。全部自費でぇぇ〜す」

「ウザ……」

「じゃあどうやってそのお金を捻出したと思う?」


(またクイズかよ……)


無視しようかとも思ったが、勇者はいつまでもこちらの返答を待っている。

魔王は渋々答えた。


「知らんわ。なんか倒したモンスターの毛皮とか売ってんだろ」

「ブッブー、全然違いまぁぁぁす。魔王さんちゃんと答える気ありますぅー? 」

「殺すぞ?」

「ヒントは、このパーティのメンバーをよく見てね!」


(この勇者ぜんぜん人の話聞かないな……)


魔王は面倒くさがりつつも娘達に目を向ける。そして適当に答えた。


「お前はともかく、女の子は可愛い子ばっかりだよな。身売りでもさせたのか」

「正解は俺のケツを売った、でしたー!」

「は?」

「女の子達みんな綺麗なプロポーションをしてるだろう。だが、女子に混じっても群を抜いて美しい俺のこのお尻……!」

「何言ってんだこいつ」


勇者は長いマントをむしり取ると豪快に投げ捨てる。そしてズボン越しにそのお尻を見せつけた。


(今、何をされてるんだ俺様は……)


「えっと……。ケツを売るっていうのは何か……アレか。そっちの方面は詳しくないけど、BL的なやつ……?」


どうにか話を合わせようと言葉を絞り出してあげたのに、勇者はすっかり呆れ顔になった。


「魔王、そういう安直な考えはよくないよ」

「いや知らんわ。誤解を生みそうな言い方をしたのはそっちだろ」


勇者はゴホンと咳払いをすると、腕を組んで自慢げに宣言する。


「俺はケツのサブスクを提供してるんだ」

「ケツのサブスク!?」

「ユーザーは累計千人を突破したよ。ちなみにこの魔王城にもユーザーがいる」

「何だって!? 名乗り出ろ!」


魔王が叫ぶと近くに控えていた黒衣の部下達は一斉に目を逸らした。……怪しい。


「……それで、そのケツのサブスクってのは何なんだ。いかがわしいことなんじゃないのか」


魔王はチラチラと勇者の臀部に視線を送る。

悔しいが、あまりのパワーワードに少しだけ勇者のケツに興味を抱き始めた自分がいた。

勇者はフッ……と小憎らしい笑みを浮かべた。


「いかがわしくはないさ。利用者は俺のケツに優しく触れるだけだ。それだけで心に平穏が訪れ、悟りの境地に至るのさ」

「どこ情報だよ」

「レビューにそう書いてあった」

「そんなんあるんか……」


魔王は一瞬信じそうになったが、慌てて首を振る。


「待てよ。貴様、さては適当なこと言って時間稼ぎでもしてるんだろう。たかが男のケツだぞ。そんな効能があるわけ……」

「――――あるんだな、それが」


勇者は前髪を掻き上げるとニヒルな笑みを浮かべた。雰囲気だけはそれっぽい。

それが逆に魔王の気に障った。


「わかったから言いたいことがあるならさっさと話せ」

「いいだろう。特別に聞かせてあげよう。我が先祖の物語を――」


こうして勇者はしっとりと語り始めた。


……約百年前。とある山奥の民家に一人の男が住んでいた。

木こりだった男は筋トレが趣味でいつも身体を鍛えていた。おかげで強靭な肉体を手に入れたが、肛門括約筋が強すぎるあまり常に痔に悩まされていた。

男は己のカチカチの尻に触れながら考えた。もっと柔らかい尻だったらこんな苦労もなかったのに――と。


そしてある時、男は怪我を負った一羽の鳥を助けた。甲斐甲斐しい世話の末に元気を取り戻した鳥は、実は天から来た神なのだとその正体を明かした。

神はお礼に一つ願いを叶えてやると言った。


そして男は己の切なる願いを伝えた――……


「……こうして俺の先祖は触れるだけで人を昇天させる柔らかな手触りのケツを手に入れたんだ。これは代々俺の家系の男にだけ伝わる能力だ」

「いらんなその能力」

「俺はこれをプリケツチートと呼んでいる」

「プリケツチート……」


魔王はドン引きした。


(クソみたいな話を真剣に聞いてしまった……)


「ちなみに俺の尻の柔らかさにインスピレーションを受けて生まれたのがヨ〇ボーだ」

「何!?」


魔王は某柔らかいクッションを思い浮かべた。


「ヨギ〇ーって……そうだったのか!? 俺、毎晩人間界から密輸したヨギボ〇抱いて寝てるぞ! つまり俺様は貴様のケツを抱いて寝てたってことか?!」

「そういうことになるな」


勇者はキリッとした顔で頷く。

そのキメ顔には腹が立ったが、魔王は〇ギボー信者なのだ。俄然勇者のケツに興味が湧いてきた。


「そこまで言うなら、ケツをちょっと触らしてもらっても……ううん。さすがにヤバい奴すぎるか? いやでも……。どうしよう……」


いつの間にか勇者パーティの女子メンバー達は適当な椅子に座って魔王と勇者のやり取りを眺めている。心なしかその視線が冷たい。

そこでようやく魔王は平静を取り戻した。


「いや、やっぱやめる。所詮は男のケツだし。俺様にそんな趣味ないし」

「強がっちゃって。正直になりなよ、魔王」


気付けば勇者が玉座の隣に立っている。勇者は馴れ馴れしく肩を組むと、いい声で囁く。


「本当は興味出てきてるんだろ? 俺のケツに……」

「べっ、別に」

「正直になりなよ。触りたいんだろぉ? このプリケツに……」

「そ、そんなワケ……」


勇者は玉座の手摺りに腰掛けた。丸みを帯びた美しい尻がすぐそばに現れ、魔王は少なからず動揺した。


(確かにフォルムは綺麗だな。それだけは認めざるを得ない……)


正直に言うと、魔王は胸より尻派だった。この尻が女の子のものだったならばすこぶる興奮したことだろう。

だがこれは野郎のケツだ。そこを忘れてはいけない。


(男のケツに屈するなどあってはならないことだ。魔王としての矜恃を忘れるな! だが、ちょっと触るくらい……。いや、しかし……!)


いつまでも揺らいでいると、近くにいた強面の側近が声をかけてきた。


「魔王様。ここは一旦勇者の言う通りにするのも手かと」

「な、なぜだ」

「物は試しって言うでしょう。勇者を今ここで殺してしまえば魔王軍にとっても大きな損失だと思うんです。プリケツチートを魔王軍で独占することこそ人間どもへの復讐になるのでは?」

「一理あるな」


魔王は一瞬納得しかけたが、すぐに鋭い視線を向けた。


「……待て。なぜお前は勇者の肩を持つんだ。前まで『人間は皆殺しだ!』が口癖だったくせに」

「それは若気の至りというかぁ……」

「……怪しいな。さてはお前もケツのサブスクユーザーか!?」

「あっ、バレました? ちなみにさっき言ってたレビュー書いたの僕です」

「貴様ァ!!」


魔王は玉座から降りて側近の胸ぐらを掴んだ。側近はヘラヘラと笑っている。


「あの尻に触れたら殺すとか物騒なこと考えられなくなるんですよ〜。エヘへ〜」

「お前そんなキャラじゃなかっただろ!? 己を見失うな!!」


魔王と側近のアホみたいないやり取りに女性陣の視線はますます冷たくなっていく。


(ああ、そんな目で見ないでくれ……)


「――――さて、どうする?」


どこからか声が降ってきて、魔王は天を仰ぐ。

いつの間にか勇者が我が物顔で玉座に座っていた。

勇者はフ……と意味ありげな笑みを浮かべる。


「世界を滅亡させ、至尊の宝であるこのケツに触れる機会を永遠に失うか――或いは」


勇者は己のヒップラインを指先でなぞる。やけに緩慢で艶かしい動作だ。


「世界を滅ぼさず、このケツと共生するか。二つに一つだ」

「ぐぬぬ……」


勇者に挑発的な視線を向けられ、魔王は唸る。

側近は魔王の腕に縋った。


「世界の滅亡とかやめときましょうよ! 魔王もあの尻と向き合えばそんな邪念はたちまち消えていきますから!」

「何を言って……」

「俺も側近様と同意見です!」

「僕も!」

「俺もです!!」


いつの間にかわらわらと魔王の部下達が集まって魔王を取り囲んでいた。

部下達は口々に告げる。


「我々にはケツと共生していく道もあると思うんです!」

「世界の滅亡とかぶっちゃけもうどうでもいいです」

「一回だけ触ってみてください! トぶぞ!」

「なんだこいつら。まさか全員プリケツサブスクユーザーか!?」


魔王は部下達にもみくちゃにされ、身動きが取れなくなってしまう。

そのとき、玉座から笑い声が降ってきた。


「フッハハハハハハ!! 見たか、魔王よ!」


勇者は邪悪な笑い声を上げると、高みから愉悦の表情でその光景を見下ろした。


「魔王といえど支持者がいてこそ王として君臨できるんだ。既に魔王軍の七割は我が尻の虜。俺がこの城を支配するのも時間の問題だな」

「これが……プリケツチート……!」


魔王はなおも部下達にもみくちゃにされている。魔王は必死にもがき続けた。


「魔王よ。お前に残された選択肢はもう一つしかないんだ。この世界を滅亡させないと誓い、この世界と――そしてこのケツと共生すること。ただそれだけだ」


勇者が指を鳴らすと部下達は一斉に離れていく。

そしてボロボロになった魔王だけがその場に残された。魔王は絶望の面持ちで両膝を床に付いた。


「くっ……男のケツなんかにこの俺様が負ける……だと!?」


そう言うとがくり、と項垂れる。

玉座から見下ろす勇者。俯く魔王。完全に形勢逆転だ。


ちなみに女性陣はというと、もうこの茶番劇に飽きて帰っていった。


魔王はしばらく呆然としていたが、やがて決心が着いたのか、絞り出すようにこう答えた。


「わかった。人間界は滅ぼさない。俺達はケツと共に生きていく……」

「よくぞ言った」


勇者はすくっと玉座から立ち上がり、己の尻を突き出した。


「さあ、このケツに跪け」


勇者の言葉が部屋全体に響く。

その瞬間、魔王の身体から力が抜けていった。


(俺の負け……か)


魔王は静かに目を伏せる。

その瞬間、過ぎ去った日々の光景が走馬灯のように頭の中を流れていった。


自分はかつて、無力な人間だった。生まれ持った醜い容姿から忌み嫌われ、周囲からはひどい扱いを受けてきた。そしてある時、耐えきれなくなった自分は人間界を捨てて魔界に逃げ込んだ。

魔界で戦いに明け暮れるうちに自分に従う魔族の仲間ができた。さらなる強さを求めて禁忌の術にすら手を出し、とうとうその身体は人間のものではなくなった。だが、後悔はなかった。


そうして魔界の王として君臨するまでとなった。自分を苦しめた憎き人間どもを滅ぼす。ただそれだけを願って――


(……だが、まさかこんな形で我が野望が潰えるとはな……)


魔王は小さく笑う。悔しいが、最後は潔く退こう。

魔王は跪き、静かにこうべを垂れた。


「私の負けだ」


こうして世界の平和は守られたのだった――――。






「ちなみに一個だけいいか。勇者よ」

「敬語使え。あと勇者『様』だろ」

「くっ……」

「今は俺の尻に敷かれる立場だという自覚を持て。文字通り、な」


勇者は玉座に寄りかかり足を組む。

魔王は屈辱を感じながらもその言葉をのんだ。


「一個だけいいですか勇者様」

「なんだ魔王」


魔王は真摯な瞳で勇者を見据える。

そしてこう告げた。


「一回だけケツを触らせてください」

「!」


敗北を喫した魔王にもはや失うプライドなどない。今こそ、己の心に正直になるときだ。


「…………」


勇者はじっと魔王の顔を見つめた。

魔王の瞳はひたむきで、そこからは強い意志が感じ取れた。


「ふむ……」


勇者は悩むようなそぶりを見せたが、やがてふっ、と表情を和らげる。

それは先程までの嘲るような笑みとは違い、聖母のような慈愛に満ちた微笑みだった。


「いいだろう」


勇者は玉座から立ち上がり、くるりと背を向けて尻を突き出した。


「さあ、触るがいい」

「失礼します」


魔王はおそるおそる手を伸ばす。

指先がその尻に触れた瞬間、目の前に青空が広がっていくような錯覚を起こした。


「……!」


果てしなく広がる草原の中、魔王は人間だった頃の姿で佇んでいた。

陽光が身体を包み込む。全身を澄んだ風が吹き抜けていく。

さわさわと草の揺れる音を聴きながら魔王はゆっくりと目を閉じた。


(温かい……)


これまで味わった辛さや苦しさ、怒りや悲しみ全てが消え去るようだ。


魔王はその温もりに身を委ね、少年のようなあどけない笑顔を浮かべながら呟いた。


「やわらけえ……」

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