今日も君は夢を游ぐ

うり北 うりこ

今日も君は夢を游ぐ


 ぽたり、ぽたり、と一定のリズムで落ちていく。その管の先にある腕は、白を通り越して青白い。今にもポキリと折れてしまいそうな腕に刺さった針。腕にある痣は、繰り返す点滴でできてしまったものだ。

 

 坂下ユウリが目を閉じたまま、この世界を拒絶してから三年。毎週末に僕は坂下に会いに来る。そのことはずっと変わらないけれど、坂下の病室にいる時間は確実に減っていた。

 

「坂下は、何で自殺なんかしたんだ?」

 

 この質問を何度したことだろう。答えなどないことは明白で、僕の言葉はトゥントゥンと鳴るモニター音と共に流されていく。

 僕は坂下に触れようと手を伸ばして、やめた。僕たちの関係は気軽に触れあえるものではない。どこまでも遠くて、隔たれたもの。


 けれど僕は今日、その関係を破る。

 

「坂下、ごめんな」

 

 パイプ椅子から立ち上がり、飾られたいつもの笑顔の坂下の写真を見る。 

 坂下が自殺をする直前の写真は、何故? と聞きたくなるほどキレイに笑っている。

 僕よりも友達がたくさんいて、みんなが羨ましがるような恋人だっていて、先生からの信頼も厚かった。人生の勝ち組としか思えないのに、自殺をする理由は何なのだろう。


 きっと僕には分からない、とても深い闇があるのかもしれないし、案外大したことではないのかもしれない。

 僕は知りたかった。坂下が何を苦にしたのかを。何が坂下を追いつめたのかを。知ったからって、どうするわけでもない。ただ、知りたいのだ。


「会いに行くよ」


 僕は渡されたそれをリュックから取り出し、坂下と僕の腕を繋いだ。スイッチを押せば、小さな針が腕に刺さり僅かな痛みを感じたあと、ぶつりとテレビの電源を落としたかのように目の前が真っ暗になった。



「内藤! 内藤ってば!!」


 この声って誰だったっけ? 随分と前に聞いたことがある気が……。


「坂下!?」

「あ、起きた。久々だね。何しにきたの?」


 何しにきたの? って。ここに来たのが僕が初めてじゃないみたいだ。


「内藤も私に起きろって言いにきたの? それとも、自殺の理由が知りたい?」

「僕は……自殺もだけど、坂下ユウリを知りたくて来た」


 自殺の理由も知りたいけど、それだけじゃ本当の意味で僕の知りたいことは理解できないだろう。


「何それ、変なの。いいよ。何が聞きたいの? 折角、とんでもなく高いお金を払って来てくれたんだもん。答えるよ」

「うーん。じゃあ、坂下ユウリの好きなものは?」

「何それ。内藤って変わってるね」


 そう言いながらも坂下は丁寧に答えてくれた。それから僕は坂下の子供の頃の話や、苦手なもの、楽しかったことなど思いつく限り聞いていく。


「将来の夢は?」

「将来も何も自殺してるんだけど」

「うーん。自殺したからって夢がないとは限らないよね。ないなら、子供の頃の夢でもいいよ」


 あれ? 何だか様子がおかしい気がする。何だろう。笑っているのに、笑っていないような。

 そうだ。僕は坂下をこの笑みで気になり出したんだ。あまりにもいつも同じに、作られたように笑う。まるでそれが正解だと言わんばかりの笑い方。


「笑いたくないなら、笑わなくていいよ。僕は侵入者だ。それなのに、話に付き合ってくれている。坂下は僕を拒否する権利があるんだから」

「私、ちゃんと笑えてない?」

「笑ってるよ、寸分の狂いなく。昔見た、最初に違和感を覚え始めた頃の笑顔だ。いつしかそれが坂下の普通に思えて気にならなくなってたけど。でも、さっきまでは本当に楽しそうだったから……。嫌な思いさせてごめん」


 長いまつ毛で何回も瞬いたあと、坂下の体は急に縮み出した。


「坂下!?」

 

 大学生だった坂下は、今は小学校の高学年くらいだろうか。坂下の意識の中に潜り込んだにしても、自由度が高すぎる。


「あのね、私の夢はくだらないんだって。パパもママも現実を見なさいって言うの。そんなにダメなのかな? パパもママも本を読みなさいって言うくせに、書くのはダメなんておかしいよね?」


 しくしくと泣き出した坂下におろおろとしていると、今度は中学生になった。制服を着て、破れたノートを抱えている。その目には涙が溜まっていて、今にもこぼれ落ちそうだ。


「勉強も運動も頑張った。言われた通りの成績を出したのに、趣味で書くことも許してくれない。こんな子供で恥ずかしいって言うの。私には才能がないんだからって。読みもしないで、勝手に私の部屋に入ってきてお母さんがノートを破っちゃった。私が小説を書くとお母さんがお父さんに怒られるんだって。私が全部悪いんだって。そうなのかな? 私のせいなのかな……」

「そんなこと──」


 僕の声は届かないまま、またしても坂下の体は大人に近づいた。今度は高校生だ。疲れたような、諦めたような表情をしている。


「公募が通ったの。これでお父さんもお母さんも認めてくれると思ったのに、お父さんが出版社に抗議に行っちゃった。親の承諾をもらわなければ、未成年の私の本は出せないみたい。携帯は取り上げられて、パソコンも自分の部屋で使わせてもらえなくなっちゃった。今まで書いた小説のデータも消された。お母さんはいつも私を監視してる。もう、諦めた方がいいのかもしれない」


 そして、坂下は僕のよく知っている大学生の坂下になった。


「父が、私の書いた小説のデータをまだ持ってたの。それを、父が書いたものとしてデビューした。信じられる? 実の父が娘の作品を盗作したなんて。父は社会での地位もあるし、きっと誰も私の言うことなんか信じてくれない。それに私が小説家になると、父の文章に似てると言われる。そりゃそうよね、父が書いた小説は私が生み出したものなんだから」


 大学生になった坂下は笑っている。辛い話をしているはずなのに。


「なんで笑うの?」

「そこは辛かったねっていうところじゃない?」

「そうかもしれない。だけど、それを言ったからって坂下は救われないだろ。それに、言った瞬間に僕を追い出すよね?」


 何も答えないところを見ると図星だったようだ。


「調子狂う」

「それはお互い様じゃないかな」


「ねぇ、なんで自殺したのか分かった?」

「全く。だって坂下諦めてないよね」

「内藤、こわい」

「何でだよ」

「だって、エスパーじゃん。どう見ても家族に裏切られたあげく、夢に破れて自殺した人に見えるでしょ?」

「別に。坂下なら、昔の自分の話を越えるものを書いてやる! って思いそうだな……って思っただけ」

「やっぱりエスパーじゃん」


 そう言って笑う坂下にばれないように小さく息を吐く。どうやら、少し緊張していたらしい。


「内藤なら教えてもいいかな」

「何を?」

「私の小説家としての名前」

「……は?」

「いやー、便利だよね。意識不明と診断されている状態でも脳内で書いたものを送れるんだから。科学の進歩に感謝だわ」


 まさか、と思う。坂下が自殺した理由。それは──。


「小説を書くためか?」

「ん?」

「誰にも邪魔されずに小説を書くために自殺……意識不明の状態になったのか?」

「三年前は今よりも技術が進んでなかったから成功する確率は低かったけどね。執念の勝利だね」


 ピースサインをして笑う坂下に毒気が抜かれる。


「それじゃあ、起きてはこないな。邪魔されたくないんだろ?」

「そうなんだよね。そうなんだけど、内藤に会うには起きなきゃだよね」

「は?」

「内藤に興味わいちゃった。是非、観察したい」

「観察って……。どこにでもいる平凡な人間だよ」

「平凡な人間は大金払って友達でも恋人でもない人に会いに来たりしないよね。何? 私のこと好きなの?」


 好き? 僕が、坂下のことを?


「……ないかな」

「真面目に考えた挙げ句、そういう反応されるのが一番傷つくんだけど。告白してもないのに、なんでフラれるわけ?」

「そんなの知らないよ。そもそも、傷ついてないだろ。坂下が僕に持ってる感情なんて、昆虫や植物の観察と似たようなもんなんだから」


 ゲラゲラと大口を開けて坂下は楽しそうに笑う。うん、僕はこういう坂下を見てみたかったんだ。


「坂下、有名になってよ。どこにいても坂下の作家としての名前が聞こえるくらいに」

「何? 遠くに行くの?」

「ちょっとね。だから、坂下の僕を観察したいっていう願いは叶えてあげられないんだ。ごめんね」

「私の執念を甘くみない方がいいよ」

「確かにね。だけど、もう二度と会えないことを願ってるよ。じゃあね、坂下。目覚めない坂下に言うのも変だけど、元気でね」

「え? ちょっと待っ──」


 僕は目覚めるとその足で協力者の元へと向かう。坂下の家族の許可もなく、意識のなかに潜るなんて違法行為を手伝ってくれた人の元へ。


「決めたよ。坂下にあげることにした」

「後悔はないのか?」

「うん。坂下にならいいかなって。最初はあげるつもりなんかなかったんだけど、面白そうだから」

「君の基準も変わってるね」

「そうかな? きっと坂下ならどこからでも聞こえるくらい有名になって、僕を楽しませてくれそうだし」


 そう答えたあと、僕は肝心なことに気がついた。


「坂下に名前を教えてもらうの忘れた」

「桂月 樹だ」

「けいづき いつき……。月桂樹が名前の由来かな。うん、坂下にぴったりだね。これで僕の方の準備は完了だ」

「話したい相手とか、会いたい人とかいないのか? おまえの方はまだ数ヵ月の猶予があるんだぞ」

「別にいいよ。どうせこれも違法なんでしょ? 早い方がいいんじゃないの? そのつもりで準備しているくせに」

「バレたか……」


 まったく、僕があげないって選択肢をとるなんて思ってなかったわけだ。


「それじゃ行こうか。失敗なんかしないでよ。一つしか持ってないんだから」

「分かってるって」

「そうだ。坂下に僕の心臓を移植したこと言わないでね。自分が運良く意識不明な状態にだけなれたって思っているみたいだから。いつ心臓が止まってもおかしくなかったなんて知らない方が幸せでしょ」


 僕は手術室へと向かう。もう二度と目を開けることはないだろう。

 麻酔で薄れていく意識のなか、最後に脳裏に映ったのは本当に楽しそうに笑う坂下だった。




 ※月桂樹の花言葉:栄光、勝利、栄誉、裏切り、私は死ぬまで変わりません


 

 

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