なかったことにしてきたものに


「本題に入る前に、二つのことを約束してほしい」


「はっ………………な、にを? です、かな?」


 本当は「はいはい!! 聞く聞く聞く聞く!! なんでも聞く!!」と飛びつきそうになったが、ギリギリでまだしぶとく残っていた理性がストップをかけた。


「ふう……ふうー…………」


 落ち着け……落ち着け……。


 目の前にいるのは無害そうな少女の姿をしているとはいえ、かなり怪しい存在だ。

 いろいろと麻痺してふにゃふにゃになった脳みそでも、そんなことくらいは判断がついた。うおおお新しいイベントだあああ!! といつまでもはしゃいでいるわけにもいかない。

 

 そりゃ、新展開は嬉しい。死ぬほど嬉しい。

 が同時に…………恐い。


 もし、これが俺をさらなる罠に嵌めるためのものだったら? 今まで気がついていなかっただけで(たぶんあり得ないが)、これすらも繰り返されるループの一部に過ぎなかったら?

 また、大きな失望を与えてくるだけのものだったら――?


「……落ち着いた? もう喋ってもいい?」


 気遣いと呆れの中間みたいな表情を見せる少女に、俺はなんとか頷く。


「ひとつめ。

 わたしの正体を詮索したり、わたしの存在を誰かに言ったりしないこと」


「…………」


 いきなり怪しい。とんでもなく怪しすぎる。これが他人事なら「初対面でそんなこと言ってくる奴からはねえ、なにも考えずに猛ダッシュで逃げた方がいいですよ」とアドバイスするに決まっていた。


 ……しかしまあ、肯定的に捉えるなら、これは俺が不利になる条件というより、この少女が条件に思えなくはない。


 ……いや、待てよ。

 そもそも「協力する」とは言っていたが、具体的になにをしてくれるのか聞いてからのほうがいいんじゃないのか? 世界がループしてるって、この少女は気がついてるのか? 協力っていうのが、ループから抜け出すためとかじゃなくてアンブレラを殺すための協力って意味だったら――。


「慎重なのはいいことだけど……断れる状況にないんじゃないのかな?」


 ……いやまあ、それはアンタ、その通りなんだけどさあ。

 お前はもっと自分が怪しい存在である自覚を持ってくれよ。なんで俺が異常に疑い深いヤツ、みたいになってるんだよ。


 釈然としないまま頷いたが、少女はまだなにか不満そうな顔をしている。

 いや不満というか……なんだろう。「ないわー」とでも言いたげな表情。


「オーケー。

 じゃあ、ふたつめ。いますぐに、部屋の外を確かめて」


「……は?」


「いま、すぐに」


 なんなんだこいつは、と思いながらも従う。

 ……こんなに流されっぱなしでいいわけ? とやはり頭のどこかで思うが、少女の言うとおりどうせ俺に他の選択肢はないのだ。


 しかし、部屋の外を確かめろ……と言われてもねえ。この時間に起きるイベントは何もないし、そもそも生徒が出歩いていない。まだ心が折れていない周回でいろいろ見て回ったから、断言できる。

 この世界で俺が知らないことなど、もはやないのである……少なくとも、俺の周りでは。


 まあ、なにもないのを確かめればいいんでしょ――そう思いながらドアを開けて、俺は悲鳴をあげそうになった。


 人影が、立っていた。


 ぎゃあ、おばけ!!

 と臨戦態勢に入ろうとしてしまったが、何のことはない、それはルネリアだった。


「……あ…………」


 彼女にしては珍しく、小さな驚きの声をあげて緩慢な動作で俺の顔を見る。

 開けはなたれたドアから漏れた部屋の明かりが、その顔をわずかに照らす。


 彼女はほっと安堵したような表情を見せて――しかし、何かを恐れるかのようにすぐに俯いてしまう。


「……申し訳ございません。出過ぎた真似を致しました」


 人目がないのにも関わらず、ルネリアはよそ行きの丁寧な口調で、恭しく腰を折った。


「どうして……」


 こんな時間の、こんなところに――という愚問を危うく口にしかけて押し留まった。


 何言おうとしてんだ。

 馬鹿か。

 分かるだろ。


 決闘しないとか急に言いだして、青白い顔で飯も食わずに部屋に引きこもる俺が心配だったから、以外になんかあんのか。


 冷たくされても、邪険にされても、用意した飯を食べてくれなくても、その理由を教えてくれなくても……ただ俺が心配で、でも拒絶されて、どうしていいか分からなかったからだ。


 ……毎夜毎夜、ルネリアはこうしてここで、途方に暮れて立ち尽くしていたのだろう。


 俺は、まったく気がつかなかった。

 いや……彼女がどう思い、なにをしているかなど考えようともしなかった。


「ごめん……」

 

 彼女の主観では、たった一日の出来事だとは分かっている。

 それでも――。


「……ごめん、ルネリア」


「いえ、アルくんは悪くないです。命令されたのに、私が勝手に」


「違う、そうじゃないんだ」


 思わず彼女の肩を掴み――それがずいぶん冷えていてぎょっとする。

 

 ……俺は、自分を恥じた。


 どうせ“なかった”ことになるからといって、ルネリアをぞんざいに扱ったこと。

 このループから抜け出すことを諦めてしまったこと。


 俺が“明日”を諦めるということは、俺は永劫に“アルター=ダークフォルト”であるということであり、ルネリアが永遠に俺の奴隷だということに他ならない。


 ……にも関わらず、俺は惰眠を貪ったり筋トレをしたりしていた。

 まだやれることはあったのに、泣きべそをかいて布団を被ってやり過ごそうとしていた。


 たしかに、理不尽な状況に放り込まれた自分を哀れむのは気持ちいいし、他人に当たり散らすのは自己陶酔感を増してくれるかもしれない。誰がどう見ても、心が折れてそういう風になっても仕方がないかもしれない。


 だけど。

 

 そういう人間になりたくないから、そういう人間なんかじゃないと胸を張りたかったから――俺は、ダークフォルト家と縁を切りたいんじゃなかったのか?

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