プロローグ⓪


 その日。


 剣術の授業中、いつもは気だるげに時間を潰しているだけのアルター=ダークフォルトが、どういう風の吹き回しかセロのところへとやって来て、


「――お手合わせ願おうか。セロ=ウィンドライツくん?」


 と、軽薄な笑みを浮かべて、彼の胸元に木剣を突きつけた。


「えっと……ダークフォルトくん?

 彼はいま、私の相手をしてもらっているのだけれど」


 一歩前に出てそう控えめに抗議するのは、ロミリアだった。アルターは口元をより一層歪め、慇懃無礼に腰を折る。


「ああ――申し訳ない。

 ……おい、相手をして差し上げろ」

 

「かしこまりました」


 手振りに応え、緑の首輪をした少女がおずおずと前に出てくる。話は済んだ、とばかりに視線を逸らすアルターに、ロミリアはなおも食い下がる。


「ちょっと、勝手に話を進めないで――」


「ああ――重ね重ね申し訳ない、クレスト嬢。やはり学友と言えど、穢らわしい奴隷相手ではご不満かな?」


「っ! ルネリアが嫌とか、そういうわけじゃなくて……!」


「いいよ、ロミリア。ほら、君にずっと僕の相手をしてもらってるのも悪いし」


「でも――」


 だめ、なにか企んでるに違いないから――そう言いたげなロミリアの視線には気がついていたが、セロは笑顔でその誘いを受けた。

 なにはともあれ、授業を真面目に受けるのはいいことだ――などと、そんな呑気なことを思いながら。


「ハッ……なるほど、ではこれはどうかな?」


「む。やるね」


 意外にもその剣筋は、授業で彼が見せていた冷笑の態度からは程遠い。多少なりとも鍛錬をしている人間のそれである。少なくとも、この授業で手合わせした他の生徒たちよりは遙かにマシだ。

 しかし、たかが剣術の授業と手を抜いているのは確かだろう。筋と才は確かなものがあるが、力はあまり籠もっていない。


 ――少し、本気を見たくなった。

 

 緩く受け流すだけだった木剣を、強く弾き返す。カッ、というひときわ大きな音と、セロがアルターの首元に剣先を突きつけたのは同時だった。


 不穏な静けさが落ちる。


 誰もが、その様子を見ていた。そして誰もが、次に来るであろう“怒り”を予感していた――。


(……違う。期待しているんだわ)


 ロミリアは奥歯を強く噛んだ。

 二週間ほど前から、無能力者に関することにおいては、アルターに追従するような雰囲気が蔓延していた。それは無論、嫌悪感もあるには違いない。

 だがそれ以上に、何か憂さ晴らしを求めるような仄暗い空気を、ロミリアは感じ取っていた。


(助けなきゃ……!)


 いつでも魔術を起動できるよう、ロミリアはこっそりと魔力の揺らぎを作ろうとする。

 セロにいくら剣術に心得があっても、無能力者である以上“剣士”ではない。激昂したアルターがなりふり構わず魔法を使ってくればひとたまりもない……そう判断したのだが。


「く、は……。はははっ……! 魔術の使えぬ無能力者ミュートレイスである分、剣術の方は多少ということか」


 しかしアルターは、あくまでそう嘲っただけだった。

 どういう理屈? とやや困惑する向きもなくはなかったが、それでもさざ波のような嘲笑がそこかしこであがる。


「だが、悲しいことだな……。いくら剣の腕が立てども、魔術が使えなければ実戦では何の意味も成さん。

 ……お前は一体、なにをしにこの学園に来たんだ? 棒きれを振り回すためか?」


 その嫌味に、またいつものように曖昧な笑みを浮かべるだけかと思いきや……セロは表情を消し、背を向けた。


「……君にそれを教える義理はないよ、アルター=ダークフォルトくん」


「……あ?」


 思わぬ反撃に、アルターは不快そうに眉を顰めた。


「オイ……それは、どういう意味だ?」


「……なんでもないよ。それに――棒きれを上手く振り回すことが最適となり得ることだって、あると思う。たとえばほら、今とか」


 後に残ったのは再びの沈黙……ただそれだけだった。

 しかしそれは紛れもなく、怒気を孕んだ沈黙だった。



「初級魔法も覚束ない無能力者ミュートレイス如きが……」


 背後から聞こえてきた苛立たしげな声に、セロは振り返った。


 前髪を上げ、その目つきの悪さを遺憾なく発揮している男が、まさに胸ぐらを掴まんという勢いで詰め寄ってきていた――。

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