濃すぎる一日の終わりに、温かいパンを。

 濃すぎる一日を終え、自室でパンを囓る。


「冷たいよう……かたいよう……」

 

 俺だって基礎の基礎的な魔法くらいは覚えがあるので、パンをちょっと炙ったりくらいはできるのだが、寮内での魔法は禁止されている。


 じゃあ共用キッチンを使えばいいじゃんという話なのだが、台所とアルター=ダークフォルトのパブリックイメージがちょうど逆位相にあるので、人目のある今は使えないのだ。普通に不便で困っています。


 どうにかして料理好きという属性を付与できないだろうか、とありもしないプランを練っていると――自室のドアが開いた。


「――お腹空いてたんですか?」


 大皿などを載せた盆を抱えた銀髪の少女が、ぱちくりと瞬きをしている。

 ……それは、紛れもなくルネリアだった。


「お、おお……。

 てっきり、今日は来ないものかと……」


「アルくんに冷たいパンをもそもそさせるわけにはいきません」


「もうすでに、ちょっともそもそしちゃった……」


「温めてきてあげますから」


「…………あのさ、ルネリア。

 その、今朝のことだけどあれは――」


「おおかた、アンブレラ様の薬の効能かなにかでしょう」


「そうなんすよぉ……!」


 俺は「これ以上勘違いが加速しないでくれ」などと祈っていた自分を恥じた。

 やっぱこいつすげえや!

 

 一分もかからず、ルネリアが戻ってきて暖かいパンを渡してくる。

 ありがとねえ。あたたかいねえ。うれしいねえ。

 

 ふたりで食卓を囲む。

 冷たいパンを囓るばかりだったこの部屋には、今やごろごろ野菜のスープまである。QOL爆上がりだ。


「ところでアルくん。

 これはべつに気にしてはいないんですが」


「本当は気にしているとき以外あり得ない前置きだが、どうした?」


「どうしてイービルジーニアス様にナンパされているときに助けてくれなかったんですか?」


「…………すんません」


 手をついて謝る。

 いや、見捨てる気はなかったんだよぉ……。

 っていうか、俺がいたことに気がついていたのか。まあ、そうじゃないかと思ってはいたが。

 

 ふう、とルネリアが息を吐く。


「許してあげますが……。

 聞こえていた通り、なんだか妙なことになってしまいました」


「ああ、あのワルダーってやつのせいだな」


「ええ。セロ様の動向を探るべく、近くの席に座ったのが裏目に出たようです」


「まさかセロの隣に、あのワルダーがいるとはなあ」


「逆に言い換えれば、彼のことをよく知る良い機会に恵まれたとも言えますが……」


「ああ、もっと知りたいよな。ワルダーのこと……」


「……あの、ちょっと待ってください。

 イービルジーニアス様のことが気になりすぎでは?」


「そりゃ気になるだろ!

 あいつは逸材だ……ちゃんと嫌な奴なんだ……。

 上手く誘導してやれば、良い悪役になるぜぇ……」


「いつから悪役ブリーダーになっちゃったんですか?」


 どうにかしてワルダーくんを引き込めないか思考を巡らせていると、「それで、明日の件ですが」と話が戻る。


「……私は、出かけるべきでしょうか」


 わざわざ訊いてくるあたり、実に気乗りしなさそうである。

 表情こそつんと澄ましているが、やだなあという雰囲気が出ていた。食も全然進んでない。


「そんな嫌なら別に行かなくていいんじゃないか?」


「いえ……。

 アルくんの…………ご命令と…………あれば……」


「そんな声を絞り出すほどに」


 死にかけのアルパカでももっと気力に溢れた声を出すよ。


「ワルダーくんは良い奴……ではまったくないが、見込みのある男だ。魅力的な奴なんだ!」


「いえ、イービルジーニアス様のことが嫌なわけでは…………それもまあまああるのですが」


 まあまああるんかい。


「……この学園に入って、初めてのお休みですから。

 アルくんのお世話に一日を割く予定だったんです」


「俺の知らない謎の予定がいつのまにか組み込まれてるな」


 無理矢理にでも街に行かせたほうが健全な気がしてきたぞ。

 ルネリアはパンを一口囓り、飲み込む。また一層、嫌そうな顔をしていた。


「しかし実際、イービルジーニアス家のご長男様からのお誘いを一度受けてしまった以上、行かざるを得ないとは思います。

 ……不覚を取りました」


 珍しく苦々しげな顔をしているルネリア。

 というか、


「イービルジーニアス家? あいつ、やっぱり貴族かなにかだったのか?」


「豪商……というのでしょうか。

 イービルジーニアス商会といえば、冒険者関連物資の交易路のほとんどを独占する大資本です」

 

 イービルジーニアス商会!?!?!?

 なんてあくどそうな商会なんだ……。絶対悪いことしてるだろ。はやく摘発とかされてほしい。


「……しかし、本当にそんなすごい奴だったんだなあ」


 ダークフォルト家なんて怖くないぜえ? とフカしているだけかと思ったが、実際にそれなりの家柄らしい。


 ワルダー=イービルジーニアス……ますますお前とM&Aしたくなってきたぜ……。

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