信ずる神を冒涜せよ。


「――神への冒涜だッ!!」


 アンブレラが話して十分もしないうちに、耐えかねたような罵声があがった。

 ワルダーくんの衝撃も忘れ、何事かと声の方を見ると、男子生徒が慄然と立ち上がっていた。


「――うん、そうだよ。だから最初に言ったんだ。“敬虔な信徒の皆さんは聞かないほうがいい”って」

 

 眼鏡をかけたパラソルと名乗る教師――どう見てもアンブレラ――は、淡々とした態度を崩さない。

 普段学園長室で話す彼女の姿とはまた違う、やや冷たさも感じる雰囲気だ。

 

 もしかして本当に別人……いや、そんなわけないか。

 パラソル=ペースメイカーとかいうアンブレラ=ハートダガーのちょうど逆な名前な時点で、そんなわけがあるはずもないんだよな。間違いなく、アンブレラ本人である。

 

 ただ、誰も疑問に思っていなさそうなあたり、アンブレラが衆目の前に姿を晒すことはほとんどないのだろう。その姿までは周知されていないようだ。


「……ちゃんと話しておこうか」


 しばし宙空を見つめ、アンブレラ扮するパラソルは語り出す。


「学園長であるアンブレラ=ハートダガーが“治癒魔法”を提唱する前、治療といえば即効性に欠け、リスクの高い外科げか的手法か、神聖魔法――すなわち教会が管理する治癒術のスクロールしか存在しなかった……」


 そんな中で生まれた治癒魔法は、さぞや衝撃的だったことだろう。

 アンブレラって凄いんだなあ。分かってはいたが、実際やったことを聞くとやはりそう思ってしまう。


 当然、“治癒”は神の御業であるという反発もあったようだ。……というか、今でも結構聞く話だな。冒涜的とかなんとか。治りゃなんでもいいんじゃないのと思うんだが、それがそうでもないらしい。


「特に教会内部では相当揉めたって聞いてる。……けれど、複雑な治癒は魔法じゃできない。それに一般化すれば、複製不能で限りのあるスクロールの消費を抑えることもできる――」

 

 ……結局、教会側にもそれなりの利があったんだよね、とアンブレラは皮肉そうに唇をゆがめた。


 とはいえ、アンブレラは依然として教会から認められたわけじゃないし、むしろ嫌われているらしい。

 まあ、教会の利益と優位性を壊す可能性がある危険人物だからだろう。特製のとんでもない薬を説明なしで飲まされた身としては、教会の肩を持ちたくもなる。なにかあったら教会の力になってあげたりしたい。


「そして今日、“治癒魔法”のを知る私がこの学園で授業を持つということ――これはそのバランスを大きく逸脱する行為なんだよ」


 なるほど、いまアンブレラが偽名を使っているのはそういうことか。

 というか、今年が「治癒魔法概論」の初授業なのか。同じ初授業でも、契約学とは集まりが雲泥の差だな。

 やはり治癒魔法はみんな興味があるようだ。それなのに、今年からなのはなにか理由があるのか……?


 さておき、治癒魔法を使える人間を増やすのはいいが、その探求者を増やすことは“異端者”を生み出すことに繋がる……。

 というのが、教会の判断らしい。


 よく分からん。

 まあ、実利的に考えると、あんま治癒魔法が発展すると教会の利益が下がり過ぎるだろ! バカ! みたいなことか?


「……想定していた以上に、分かっていない人が多いみたいだね。はっきりと言葉にしておこう。この授業を取った――その事実だけで教会からマークされる要因になり得る。将来的な安全までは保証できない。だからもちろん、終わりまで聞かずに今、すぐに出て行ってもいいんだよ」

 

 そう言っている間に、何人かの生徒が立ち上がって講堂を出て行く。

 意外だったのは、ワルダー=イービルジーニアスくんもそのひとりだったことだ。

 お前、敬虔なる信徒だったのか……ワルダーなんて名前のくせに……。


 しかも去り際に「十一時に正門前だからなッ」とセロくんとルネリアに念押ししていた。もうなんなんだよあいつ。はやく立ち去れよ。

 

 ちなみに、ルネリアとセロくんはまだ授業を聞く気のようだ。

 俺もまだ席を立つ気はない。もはや治癒魔法に興味があるというより、アンブレラが何を言いたいのかに興味があった。

 “稀代の魔女”とまで呼ばれ、いつまでもようとして掴めない彼女の、核心のようなものが見える気がする。危険を冒し、偽名を名乗ってまで授業をするその熱意の理由が知りたい。

 

「この授業では治癒魔法の技術的な部分ではなく、その根幹に関わる部分を教えることになる」


 人口密度の減った教室に、アンブレラの声が静かに響く。


「治癒魔法は一般魔法と同じく、魔力マナの活用技術に過ぎない。今や冒険者を中心に治癒魔術師ヒーラーなんてものがいるように、ある程度の魔法技術を持った人間なら習得は容易なんだよ」


 けれど、とアンブレラは続けた。


「そのにはある種の狂気が必要だ。たとえ仮に教会を恐れなくとも、心に信仰が有る限り最奥には達しない。治癒魔法を私から学ぶのはやめておいた方がいい。実用的な技術だけなら、中級魔法程度を使えるようになればあとは応用するだけだ。冒険者の治癒魔術師を師に仰いだ方がいいよ」


 その言葉で、ルネリアが逡巡しているのが伝わってきた。今すぐギルドに行って教えを請いに行こうかと考えているに違いない。


「だけど誰かを救うためなら、どんな代償であれ払う――そう強く思えるのなら、素質はあるよ」


 どうするんだろう、と背後から様子を伺う。

 ルネリアはピンと背筋を伸ばしていた。背筋ってこんなに伸びる? というほどだ。師匠、と呼びだしそうな雰囲気すらある。そんなに?


「まあ、それは言うほど簡単なことじゃない。考古学が神の痕跡を詳らかにし、刻まれた初期魔力の波動アルケー・メィラを発見し、創造主の実在を明らかにし……そういった実証を抜きにしても、この世に生まれた人間はすべからく神が我々を見守っていると信じている」


 信仰以前の本能、とアンブレラは表現した。


 たしかに、そうだろうな。俺にはイマイチぴんと来ないが、それが世間一般的ってやつだ。少なくとも、授業開始から今までの生徒の減りを見るとそれは確かだろう。


「私が求めているのは、惑う我らを慈悲の眼差しで見つめる神のその両眼りょうのまなこに、必要とあらばナイフを突き刺すことができる人間。その柔らかなかいなを振りほどき、心臓を抉れる人間。私はそんな狂気を持った


 その言葉で、更に何人かが立ち上がった。信ずる神に唾を吐かれた怒りというより、「こいつ大丈夫か?」という顔をしている。

 まあ、確かに世の大多数の人の反応はそれが正しい。むしろ、俺のような人間の方がおかしいのだ。たぶん、生まれ育った実家がおかしいからだろう。おお神よ、そういうわけなのでどうか赦しとかを頼めるか?


「そうそう、次回の教室は変更になるからね。

 三号棟の地下、三番室。小さな教室だけど、それで充分だと思うから」

 

 終わり際、アンブレラが伸びをしながら言った。

 周りを見渡してみると、講堂には数えるほどの人しかいない。しかもそのうちの大部分も不安そうな顔をしている。次回以降も授業を受けるのは、ほんの数人だろうと思われた。


 セロくんに見つからないように、結局俺はルネリアに声をかけず、早めに席を立ち出入り口へ向かった。

 アンブレラという人物の一端が分かる面白い授業だったが、俺は彼女の言う「仲間」にはなれそうもない。

 

 ……そんなことより気になるのは。

 明日、本当に三人で遊びに行くのか? という点に尽きるのだった。 


 アンブレラには悪いが、治癒魔法の真髄よりそっちのほうが気になって仕方がない。


 一体なんだったんだ、ワルダー=イービルジーニアスくんは……。


 あいつのこと、もっとよく知りたいぜ……。

 そしてできれば、俺と役割を変わって欲しいぜ……。

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