濃すぎる一日にナンパの追加を。
寮に戻り、制服へ着替えた俺が向かったのは「治癒魔法概論」の授業であった。
治癒魔法とはなにか?
詳しくは知らないが、たぶん治癒する魔法だろうな。
力が欲しい……。
セロくんに切り刻まれても、アンブレラに妙な薬を飲まされても、どうにか自力で応急処置できるくらいの便利パワーが……!
「ひっ」
「アルター=ダークフォルトだ……」
「な、なんて邪悪な面構えなんだ……」
よほど切実な顔になっていたのか、授業が行われる講堂に入ると周囲から悲鳴が上がった。
い、いかんいかん。今はただ授業を普通に受けたいだけだ。セロくんいじめパート以外で、必要以上に目立ちたくはない。
邪気を抑えこみ(出しているつもりはないのだが)、なるべく人の顔をするよう心がけて(人の顔なのだが)、こそこそと移動する。
右列の端のほうにようやく一人分空いている長椅子を見つけ、俺はそこに滑り込んだ。大人数が集まると予想された授業で使う講堂である。天井は高く、照明がわずかに届いていないためか、このあたりは少し薄暗い。
「――君もさ、普通に女子寮に住んでるんだろう?」
あり得ないことを突然言われて仰天しかけたが、俺に話しかけているはずもない。
ちょうど前の席に座っている男が、その隣に座る女子生徒に熱心に話しかけているのだった。
「だったらまだ、街にはあまり出てないんじゃないか? 明日なら、君もさすがに休みだろう? よければ僕が案内してあげるよ。冒険者やってたこともあるし、あのあたりには詳しいんだ。そうそう、こう見えて僕、一応“星付き”だしわりと顔もきくんだよ――」
流れるようなナンパ口上である。これだけ口が回れば、主婦に包丁十本のお得セットを買わせることなども可能だろう。
しかも顔もなかなか整っている。たぶん。横顔がかろうじて見えるくらいだが。
「ご無礼を平にご容赦ください。卑しいながらも、ご主人様にお仕えする身でありますので……」
まるでルネリアみたいな声でルネリアみたいなことを言う卑屈な子だなあ、と思ってよく見てみると、それは見まごうことなくルネリアだった。流れるような銀髪と、首に緑色の首輪が見える。
そ、そうか。
そりゃ声くらいかけられるわな。ルネリアは度を超えた美少女なわけだしなあ。
しかしまあ、あのアルター=ダークフォルトの奴隷だと周知されていればナンパなどされないだろうが……と思っていると、
「ご主人様……アルター=ダークフォルトか」
と、男子生徒は嘲笑を交えて言った。知ってたんかい。アルター=ダークフォルトって名前、案外そんなもんなのか……?
「なんだったら、彼には僕が話をつけてやってもいい。君をぜひ買わせてくれってね」
……いくらなんでも、そこまで大口を叩いて大丈夫なのだろうか。
この男子生徒自身、よほど爵位の高い貴族かなにかなのだろうか。
そして俺は、いつ話に割り込むべきなんだろうか。
「君が手に入るのなら、金などいくらでも惜しくはない。
だがまあ、それはゆくゆくの話だ。ひとまず明日、街に出かけるくらいは君のご主人様も許してくれるだろう? いい飯屋を知っていてね――」
「――それ、ご一緒しても良いかな?」
そろそろ止めに入るか……と息を吸ったそのとき、とんでもなく空気が読めてない台詞が割り込んできた。
ナンパ男の隣に座っているそいつは、頭を掻いて「もし良かったら、だけど」などと照れたように言っている。
「……なんだ、お前は」
当然の疑問を、ナンパ男は口に出した。虚を突かれたような表情は、すでに不快そうなそれに変わっている。
……そして俺は、その誰何の答えを俺は知っていた。どうせ見えないだろうが、思わず俯いて顔を隠す。
空気の読めてない男子生徒は、笑顔でこう名乗った。
「――僕はセロ=ウィンドライツ。
キミの名前は?」
……そう、セロくんなのだった。
なにやってんだお前ェ! 俺の近くで変なイベント起こすな!
こっちは朝からトラブル続きなんだ、これ以上妙なことが起きたら過労で倒れちまうだろうが!
「……これはこれは、ご丁寧にどうも。
僕はワルダー=イービルジーニアスだ」
ワルダー=イービルジーニアス!?!?!?
なんて悪そうな名前なんだ……。
セロくんの登場より、そっちのインパクトの方があるじゃねえかよ……。
「……ではセロくん、邪魔をしないでもらえるかな?
僕は今、彼女と話をしているんでね」
「そう? あまり会話にはなっていなかったようだけど」
「お前……」
剣呑な声。と思いきや、肩がわざとらしく揺れる。
「ウィンドライツ……。……そうか、思い出したぞ。
たしか、
そう呟き、ワルダーは嘲笑し囁くように言う。
「学園生活を平和に過ごしたいのなら……静かに息を潜めているべきだと僕は思うがね。
…………邪魔なんだよ。キミのような欠陥品は、あまりしゃしゃり出ないほうがいい」
……ちょ、ちょっと待って?
なんか俺より悪役に適してる奴が登場してないか?
「その必要はないと思うな。僕はここの生徒だし、それは
……だから、お金で買うとかどうとか、そういう話はここですべきじゃない」
「……奴隷相手にお優しいことだねえ。底辺同士の仲間意識でもあるのかな?」
「彼女とはクラスメイトだからね。
でももちろん、僕はキミとも仲良くしたいと思っているよ」
「ッ…………」
おいこれもう俺がいじめなくても話が回るだろ。
なあ、これからはワルダーくんに悪役を任せないか? いいよね? アルターとワルダーってなんか似てるし。
ちなみに
このくだり、俺が入るとややこしくなりすぎる。パワーバランスがおかしなことになってしまう。
心の中で声援を送ることしかできねえ。
頑張れワルダー! 俺のポジションを奪うんだ! もっと嫌なこと言え! 差別しろ!
「無能力者の分際で……僕と仲良くだと……?」
いいぞ! 次は自分の高貴さをアピールだ! 根拠なく人格否定とかもしろ!
「だったら…………何時待ち合わせにする?」
それから権力をちらつかせて――んっ?
「えっ?」
あのルネリアでさえ、演技を忘れて素っ頓狂な声をあげていた。
ワ、ワルダー=イービルジーニアスくん……?
ど、どうした? 俺とルネリアの聞き間違いだよな?
なんか普通に遊びに行こうとしてるような台詞が聞こえたんだが……まさかな?
ワルダー=イービルジーニアスとかいう名前の奴がそんな…………嘘だよな?
「お昼前とかがいいんじゃないかな。美味しいお店、知ってるんだよね?」
セロ=ウィンドライツくん?
嘘でしょ? 君はなんで普通に会話を続けられるの? 俺、お前が一番怖いよ。ちょっとはビックリしてよ。
「ああ……覚悟しておけ、
「楽しみだね、ルネリアさん」
「……あ、はい…………」
呆気に取られながら曖昧に頷いたルネリアが我に返り「いえ、お待ち下さい――」と言いかけたところで、カンカンカン! という木槌の音が響いた。教師が授業開始を告げる音だ。男子二人が仲良く前を注目する。しかも真面目なのかよ。ワルダーくんにはとことんがっかりだよ。
「――はいはい、静かに。授業を始めますよー」
教師は、小柄な女性だった。
桃色に近い色素の薄い髪色を揺らし、教壇に立って生徒たちを見回す。
「治癒魔法概論を担当する、パラソル=ペースメイカーです」
どんな名前だよ。ワルダー=イービルジーニアスが霞むだろ。
……というか、それは。
なぜか眼鏡をかけた我らが学園長、アンブレラ=ハートダガーだった。
なにやってんのあの人。
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