奴隷と主人の優雅な朝。
「――様、アルター様」
聞き馴染みのある声に聞き馴染みのない呼び方をされ、意識がゆっくりと浮かび上がる。
「……朝でございます」
シャッ、とカーテンを開ける音がするが、寝起きで薄ぼんやりとした視界の明るさは大して変わらない。
不審に思い首を動かして窓の外を見るが、案の定、空にはまだまだ夜闇が残っていた。
「嘘だろ……言うほど朝か……?」
俺はゆっくりと身を起こし、呻きながら抗議した……のだが。
「…………」
「…………? なあ、聞いてる?」
いつもならここで「定義にもよります。私は朝だと思ったので起こしたのです」とかしれっと言ってくるはずのルネリアが、決して目を合わせようにしながら黙っている。
え、なに……? 怖い怖い。なんで無言なんだよ。
「ル、ルネリア……? なんで無視するんだ……?」
「…………」
……しかし再び無言である。
なんだ? なにか……なにか様子がおかしい……。
思い返せば、さっきの「アルター様」とかいう呼び名からしておかしいのである。
しかも目も合わせない、徹底した「恐れ多いことでございます」みたいな態度。こんな様子のルネリア、初対面のとき以来見たことないぞ……。
「ど、どうした? これじゃマジでお前が奴隷みたいじゃん……」
「マジの奴隷ですけど!?!?!?!?!?」
「あ、よかった」
俺は安堵した。このキモいブチ切れ方は、どこからどう見てもいつものルネリアである。
もしかして――。
「おまえ、すでに“役”になりきってるのか……?」
「…………マジの奴隷なんですけど」
「分かった分かった! ごめんて!」
拗ねっぱなしなので平謝りする。
ふう、とルネリアは腰に手を当て、小さく息を吐いた。
「……アルくんもちゃんとやってください。
これから多くの人を欺き、演じなければならないんですから」
「あー……それは分かってるけどさあ……」
俺は嫌々ながら、ベッドサイドテーブルから紙の束を引き寄せ、「可哀想な奴隷ルネリア」のキャラ設定を開く。
……まあだいたい、言葉遣いを堅くして、後はおどおどしてれば良いという感じのことが書かれていた。
その文量、実に三行である。
対して、次ページの俺の方はというと……。
「見ろ! これを!」
「……小さすぎて見えません」
「だろ!?」
そこにはみっちりと細かい字で、「暴君アルター=ダークフォルト」くんの行動パターンや台詞が書き込まれている。
……頑張って一ページくらいは読んだものの、残りが三十ページくらいあることに気づいて絶望したのが昨晩最後の記憶だ。こんなものを一生懸命読むくらいなら、教科書のひとつでも予習しておきたい。年号とかを覚えたい。
パラパラと紙を捲っていたルネリアは「なるほど」と頷いた。
「……基本的には“傍若無人な血統主義者”という感じのようですね」
「つまり、シュトルツをやればいいんだろ」
一番上の兄の、嫌らしい顔とだらしない体型が思い浮かんだ。
ルネリアも想像したらしく、嫌そうな顔をしている。
「……どんなアルくんでも受け入れる準備はできていますが」
「俺が嫌なんだよ……。だから、せめてルナリアの前だけは気を抜かせてくれ。
じゃ、おやすみ……」
「だめですよ。
……あ、いえ、私の前でどんな姿になっても良いのですが。二度寝はだめです」
「ええ……なんでぇ……?」
布団を剥ぎ取られ芋虫のように丸まった哀れな俺に、ルネリアの声が降ってくる。
「なぜなら、これから特訓をするからです」
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