プロローグ②
この国で“魔術師”という言葉が「魔法と剣術に秀でた者」を指すようになって久しい。
ゆえに、その戦闘技能を競い、測るためにオルド魔術学校には「訓練場」という名の闘技場が存在している。
フィールドを包み込むように設置された直径一〇〇メートルほどの魔術障壁に守られた観客席には、放課後だというのに、第二訓練場には生徒たちが観客として押し寄せていた。
決闘自体、学園祭や学期試験などのイベントを除けば年に数回起こるかどうかと言った類いのものだ。
その上、あのダークフォルト家の子息に挑戦状を叩きつけたのが――。
「
「勝ち目がないっていうか……むしろ死ぬ気なのか?」
「でもあの無能力者、剣術の授業じゃダークフォルトに勝ったって話だぜ」
「実践じゃ話が違うよ。それに、魔法なしじゃいくら強くてもね……瞬殺だよ」
「でも、ダークフォルトも奴隷なんか連れてさ……」
「ああ、あのすごく可愛い子ね」
「ちょっとあれだよね。時代錯誤だよね……」
そんなささやきが飛び交う最中、「セロ!」と少女の声が、フィールドに向かう少年の背に呼びかける。
ロミリアだ。群衆を掻き分けてきたからか、息が上がっている。
「決闘なんて……どうして……!」
「力を持つ責任を、教えるために」
背を向けたまま、セロは答えた。
「え……?」
普段の穏やかな声とは違う、芯の通ったその調子にロミリアは一瞬たじろく。
「それに、君を侮蔑した」
「……っ」
息を呑んだロミリアを振り返って、セロは安心させるように微笑んだ。
ロミリアの心臓が不意に跳ねる。それを隠すように「そんなことのために……」と呟いたが、聞こえたかどうかは定かではなかった。
「そこで見ていてくれ。すぐに終わるよ」
セロは彼女にそう言い残して、透明な障壁の中へと足を踏み入れた。
***
「ほー、逃げずに来たか」
アルターは決闘訓練用の木刀を肩に担ぎ、薄く笑った。
ブレザーは脱いでいるものの、貴族の矜持とばかりにネクタイは外していない。
「ルールは分かるな? “降参”の言葉を口にすれば終わりだ。
もちろん、オレに貴様を殺す気はない。ないが――」
両者の距離が近づき――。
アルターが、突然強く地面を蹴った。明らかに不意打ちを狙ったもの、だったが。
「――降参の言葉がないのなら仕方がない、か?」
「……ッ!?」
喉元に向けられた鋭利な突きを、セロは軽く首を動かすだけで躱す。
アルターの顔に浮かんだ驚愕の色が、すぐさま激しい怒りへと変わる。
「無能力者風情がッ……!」
大ぶりだが、力の乗った斬撃をセロは冷静にいなしていく。
――実のところ。
どんなに誹られ、差別されようと、セロはアルター=ダークフォルトという男が嫌いになれなかった。
もともと、その手の感情が希薄という理由もあるが、そのもっとも大きな訳は彼に見える努力の跡だ。
「おらッ……おらおらおらッ」
振り下ろされる木刀を受ける音が、ざわめきの中に響いていく。
シャツ越しにも分かる、よく鍛えられた筋肉。
それに、確かな剣筋。
(……大したものだな)
魔術師の中には、武道を軽んじる者も少なくない。
学園においても、剣術を始めとする授業はあれど、身体能力の評価はさして重視されていない。
しかし――。
“魔術師”として真に強さの頂点を極めようとするのなら、肉体の修練は避けることができない。
――アルター=ダークフォルトは、それが分かっている。初めから頂点を見据えている。そのための努力をしている。
そのことを、セロは彼の剣戟から感じ取っていた。
だからこそ、純粋に疑問に思ったのだ。
「――どうして、そんな風に力を使うんだ?」
「……ッ」
猛烈な剣撃を真正面から受け止め、セロは問うた。なぜわざわざ弱者を脅かし、力を誇示するんだ、と。
アルターの口元が、いびつに歪んだ。
「ハッ――!
これはオレの力だ!
どう使おうと正しい! どう振るおうと許される!」
なぜならば――と、その先は剣でアルターは語る。
それが、力というものだからだ――。
「なら、やっぱり教えてあげないとね」
セロは呟いて、受けた刀を滑らせ柄を絡め取る。
アルターの木刀が、高く宙を舞った。
闘技場を囲む野次馬から、思わずといった声がどよめきになって響く。
「――唱え《つかい》なよ、アルター=ダークフォルト。
君をゼロに戻してやる」
一歩分後ろに跳んで、セロは木刀を構え直した。
アルターの手を離れた木刀が、緩く回転しながら地面に落ちきる、その前に――。
「――――死ね」
色を喪った声が、不吉に囁く。
先ほどの剣戟がおままごとに見えるほどのスピードで、アルターが迫る。
木刀はいわば、リミッターだった。
本当に力を込めるには、それはあまりに脆すぎるから。剣術の型を保つためには、剣は振り下ろされるだけなく止め、返さなければならないから。
今はもう、違う。
魔力による身体能力強化。
そして今まさに突き出さんとしているその手は、触れただけで怪我では済まないほど複雑に重ねられた魔術付与が――。
「――本当に、大したものだよ」
「………………は?」
アルターが、見たもの。
――それは、空だった。
夕闇に塗りつぶされた空。
それから、闘技場の観客席が逆さに見え、地面が――――。
地面が、急速に迫ってくる。
「ぶッ…………!!」
なにが起きたのか理解できないまま、地面に顔から叩きつけられる。
しん……と静まりかえった闘技場に、やがて音が戻った。
「な…………」
「なんだ、今のッ……!?」
「あの無能力者、本当に魔法使えないんだよな……!?」
「どんな反射神経してんだ……」
違う、とアルターは無様な姿勢のまま思う。
真に驚くべきは、手に纏っていた魔術――。
それが、自分の意思に反して消えたことだ……。
「――それはたしかにキミの力だ。
でも、もう二度と、いたずらに人を傷つけるために使わないこと。それを約束してほしい」
アルターが立ち上がらないことを確認して、セロはそう言葉を投げかけた。
立ち上がろうとするその肩がわずかに震えたのを見てから、セロはいつものように笑って、
「それじゃ――降参するね」
と、宣言した。
静寂がどよめきになり、それが大きなうねりとなって第二闘技場を振るわせた――。
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