12・一番目の姉の婚約者と仲良くなった


 翌日の朝食も、ミアはフローラと一緒に小食堂で食べた。昼食・夕食はマナー講師につきっきりで小言を言われながらだったので、食べた気がしない。

 一階端の自室でミアが手紙を書いていると、庭側の窓がコンコンとノックされた。顔を上げると、白い帽子をかぶったフローラが手を振っていた。今日は庭を案内してもらうことになっていた。

 マナー講師の厳しさに「もうかえる」とガウにまた泣き言を書きたくなっていたところだが、フローラの愛らしい笑顔を見るともうちょっとがんばってもいい気がしてくる。


 この部屋は庭に向けてテラスがあって、玄関を通らず庭にすぐ出られる仕様だ。最初は隅っこに追いやられたといじけたミアだが、開放的なので今では気に入っている。客人を多く招いて晩餐会を開くことがあるので、客室としてたくさん部屋があるのだそうだ。


「このお部屋、私はミアが来ることになるまで入ったことがなかったの。住み心地はどうかしら」

「自分ちなのに入ったことない部屋があるんだ……」


 どんだけ広いんだとミアは驚愕したが、フローラは「まだたくさんあるわよ」と涼しい顔だ。


「ドロテアお姉様なら全て把握してらっしゃるわ。ドロテアお姉様はすごいわ。この広いお屋敷すべてに目配りしてらっしゃるのだもの」

「公爵は管理してないの?」

「お父様は宮廷に出仕してらっしゃるから」

「じゃあドロテアお姉様がお嫁に行っちゃったらどうすんの? アンネリーゼお姉様がやるの? あ、でもお妃様になるのか」

「ドロテアお姉様にはお婿さんが来られるのよ。バーマイヤー侯爵家ご次男のアウレール様。お歳は二十二歳で、とっても素敵で優秀な方よ」

「あっなるほど入り婿かぁ。そっか、ドロテアお姉様も婚約してるんだ」


 一番目の姉も二番目の姉も婚約している。

 ということは、フローラも?


「私の婚約者が決まるのは、精察の儀が終わってからよ」


 ミアの疑問が顔に出たのか、フローラは言った。


「せいさつのぎ?」

「聖女精察の儀。聖堂で、聖女か聖女でないか見極める儀式よ。十六歳の誕生日がある月の翌月に行われるの。力が早く発現しそうならもっと早まるけれど、予兆がなければ十六歳の誕生月翌月なの」


 そういえばあのクズ商人が言っていた。「儀式で聖女と認められたら、すぐに嫁ぎ先が決まる。上位貴族のご令息が聖女を娶ろうと順番待ちしている」と。

 気持ちの悪い話だ。ミアはトンズラするから関係ないが、フローラが順番待ち男のものになるなんて嫌である。


「精察の儀は貴族の娘はみんな受けるの。ミアも受けることになるわよ」

「わたし、やんないよ」

「どうして?」

「絶対に聖女じゃないもの」

「それなら、私もだわ」

「……えっ?」


 ミアはフローラの顔をまじまじと見た。絶対に聖女じゃない? フローラが?

 そんなバカな。

 どこからどう見たって清らかな聖女の卵だ。アンネリーゼなんかよりずっと聖女らしい。


「私は聖女の資格がないもの……。私が聖女の力を授かるわけがないわ」

「聖女に資格が要るの?」

「要ると思うわ。私は失格なの」


 フローラはさみしそうに微笑んだ。


「アンネリーゼお姉様が合格でフローラが失格ってありえないんじゃない? なにそれわかんない。どういう基準?」

「アンネリーゼお姉様はなにも悪くないわ?」

「えええええ~っ?」

「どうしてそんなにびっくりするの? アンネリーゼお姉様は誰の命も奪ってないわ」

「そりゃ命は奪ってないでしょうけど。それが基準? それならフローラだって奪ってないでしょ」

「奪ったわ。大聖女の……。ごめんなさい、こんな話するつもりじゃなかったの。さあ、行きましょう。いいお天気で紅葉がきれいよ」


 ——大聖女の。


 それは、三姉妹の母親のことだろうか。フローラが言っているのは、彼女の出産で大聖女と呼ばれた母が命を落としたことだろうか。

 そんなのフローラのせいではない。誰のせいでもない。仕方のないことじゃないか。

 ミアはそう言いたかったが、フローラがらしくもなく駆け足で行ってしまったせいで、言葉にすることはできなかった。




 カレンベルク公爵邸の庭は広大で、訪れた者はここが王都の中心街だということを忘れそうになる。

 王都にこれほどまでに広い敷地の所有を許されているのは、カレンベルク家が古くから優れた聖女を大勢生み出しているからだそうだ。それは王族や大貴族と密な縁戚関係にあることを示している。貴族は聖女を娶りたがるからだ。

 地方に領地もあるし、当主は宮廷での役職もあるのだが、なにより「聖女」の産出でのし上がった家系である。

 そのせいか、屋敷の意匠や庭園の造りも女性が好みそうな繊細優美な印象だった。


「ここは薔薇の東屋よ」


 ぽつぽつと咲く秋薔薇に囲まれた東屋にフローラと並んで腰を下ろし、ミアは白壁のカレンベルク邸を眺めた。

 絵のようだなあとぼんやり思うが、ミアに風景画の趣味はない。

 東屋からミアの部屋前までそこそこ直線距離がある。体力づくりには庭園の周辺を走ればいいとして、ダッシュの走り込みはテラスからここを目掛けて走ればいいかもしれない。


「秋も風情があって素敵ね。春は薔薇がもっともっとたくさん咲いて、とっても華やかなの。明るい新緑に映えて夢のようにきれいよ」


 フローラが頭上の木々に視線を巡らす。

 ミアもつられて見上げ、懸垂できそうな枝はないかと目を凝らす。由緒ある屋敷だけに庭園の木々も大きく育っていて、なかなか程よい高さの枝がないのだが、東屋の屋根からならいい具合に届きそうだ。いちいち木に登るより東屋の屋根に飛び乗るほうがはやい。


「ここ、いいね~!」

「うふふ。ミアが薔薇の東屋を気に入ってくれてよかったわ。お気に入りの場所なの。正面玄関から距離があるから、お父様やお姉様方はあまりここへいらっしゃらないのだけれど」


 そりゃますますいいね~とミアは思った。もちろん口には出さなかった。


「でも植え込みの向こうへは一人で行かないでね。庭園は警備がしっかりしているけれど、念のためお屋敷から見て目が届かない場所へは行かないでね。危ないかもしれないもの」

「植え込みの向こうはお屋敷からみえないの? 上の階からも?」

「ええ。木がたくさん繁っているから」


 植え込みの向こうに剣の練習ができる場所がないか探してみようと、ミアは心に留めた。


「木刀欲しいな……」

「えっなにかしら、欲しいものがあるの? ミア」

「えっ、あっ、飲み物がほしいな~なんて!」

「あらそうね、きっともうお茶の時間だわ。ミアと一緒にいると時間が経つのがはやいわ。楽しいからね、きっと。うふふ」


 フローラが軽やかに立ち上がり、お菓子を思い浮かべたミアのおなかがぐーと鳴った。




 木刀を自力で手に入れる当てはなかったが、代わりにミアは古い庭ぼうきを手に入れた。道具小屋の裏に打ち捨てられていたのだ。庭師のおじさんが花壇の柵の修理をしていたので、持って行って程よい長さに柄を切ってもらった。

 庭師のおじさんに「嬢ちゃん誰?」と訊かれたので「ミアでーす」と素直に名乗った。名乗ったら、おじさんはますます「誰?」と言いたそうな顔になった。腹違いの四女の名前は、使用人すべてに知られているわけではないようだ。


 体がなまるので、ミアは早いところ魔物討伐の鍛錬を再開したかった。

 そうかと言ってあまり目立ったことをすると、ドロテアに怒られるに違いない。

 屋敷の窓から見えない場所で素振りすることから始めて、様子を見て走ったり懸垂したりあれこれ始めるつもりだった。


 というわけで、ほうきの柄を持って薔薇の東屋の植え込みの向こうへ足を踏み入れたミアだったが——。


 なんと先客がいた。


「お兄さん誰?」


 ミアがほうきの柄で防御の構えをとると、植え込みの陰にしゃがんで屋敷を伺うようにしていた若い男があわてふためいた。


「あやしい者ではありません!」

「あやしい者はそう言うでしょ」


 ミアが防御の構えから攻撃の構えに態勢を変えると、若い男は両手を上げて降参のポーズになりながら「僕はアウレール・バーマイヤーといいます」と名乗った。


「アウレール・バーマイヤー? あれ、なんか聞いたことある名前だな……」

「でしょう? 僕この屋敷ではまあまあ知られてるんで」

「新参者のわたしが聞いたことあるくらいだもん、そうですよね」

「新参者? ということは、あなたはミアさん?」

「はい。ミアでーす」

「どうもどうも。おうわさはかねがねドロテアから」

「ドロテアお姉様から? ……あーっ!」


 フローラが言っていたドロテアの婚約者、バーマイヤー侯爵家次男アウレールではないか?

 しかしなぜ、この家の婿養子になる予定のご令息が、こそこそ植え込みの陰から屋敷を盗み見る必要があるのだろう。

 ミアは怪訝な顔で、穏やかな佇まいのアウレールを眺めた。カレンベルク公爵もおとなしそうな男だが、この男もだ。大貴族の男にはこういう優しげなタイプが多いのだろうか。それとも女性上位のカレンベルク家だからだろうか。


「ドロテアお姉様の婚約者がこんなところでなにやってんです?」

「実は、アンネリーゼに見つかりたくなくて」

「アンネリーゼお姉様に? なぜ?」

「苦手で」

「苦手って。なぜ?」

「……そこは追及しないでもらいたく」

「誘惑でもされるんですか?」

「!」


 アウレールの目が点になり、苦笑いに変わった。


「うわー、見境がないなーあの人」

「待って待って。僕は肯定してないよ?」

「わたしが図書室のバルコニーから見た、アンネリーゼお姉様と騎士の話聞きます?」

「……一応聞こうかな」


 ミアは「アンネリーゼ劇場禁断の愛の巻」の一部始終を語った。脚色はなしだ。


「これって絶対アンネリーゼお姉様が騎士を弄んでるんだと思うんですけど、どう思いますー?」

「弄んでるって。君いくつ?」

「十歳ですけどなにか」

「ませてるなあ」

「アンネリーゼお姉様ほどじゃないですよ。十五歳でしょ。普通十五歳でお姉さんの婚約者を誘惑します?」

「誘惑されたって言ってないでしょ、僕」

「ふーん。じゃあ、されてないことにしておきます」


 アウレールが困ったように笑った。話しやすい人だとミアは思った。少なくとも、ドロテアよりは。


「それはそうと、君はこんなところでなにやるの?」

「魔物討伐の鍛錬です!」


 ミアは胸を張って答えたが、すぐに「内緒にしといてくださいよ」と付け加えた。

 素振りを披露すると、アウレールが「すごい! 風を切る音がすごい! 身のこなしもかっこいい! 君は本物だね!」と盛大に褒めたたえてくれて、大変良い気分になった。


 最初に思ったより、この屋敷も怖い人ばかりではない。

 今のところ恐ろしいのは、一番目の姉と二番目の姉とマナー講師だけだ。二番目の姉アンネリーゼはミアに興味がなさそうだし、接点さえ持たなければやりすごせるだろう。


 なにごともなく、接点さえ持たなければ。



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