11・二番目の姉、禁断の愛?
ミアは公爵家一階、西端の部屋で朝を迎えた。
メイドがカーテンを開けると、南向きの窓から朝日がさあっと差し込む。きのうは真っ暗で見えなかったが、テラスに面した窓の向こうは広い広い庭園だ。
大きなベッドを転がるように降りて、ミアは窓に駆け寄った。
「わあ!」
陽光に輝くだだっ広い芝生と、芝生を囲んだ秋色の木々が見える。
「こんなに広い庭でなにやるんだろ? 乗馬?」
「乗馬は庭園でなさいません」
メイドがてきぱきとベッドを整えながら答えた。
「宴会とか? ダンス?」
「宴会もダンスもなさいません。そうですね……お散歩なさいます」
「散歩だけ? もったいないなあ」
きれいな庭だけれど、広いばかりで散歩してもあまり見るものがない気がする。並木の向こうにはもっと楽しいものがあるのだろうか。たとえばブランコとか。
「隅っこで鍛錬してもいいかなあ」
「何の鍛錬ですか?」
「魔物狩りの」
ミアがえいやっと剣をふるう真似をしたら、「ご冗談を」と真顔で受け流された。
「そのようなマナーでは公爵家の食卓につかせるわけにはまいりません」
朝食の席は、なぜか一番目の姉ドロテアとふたりっきりだった。巨大なテーブルの向かいの席からじっと視線を注がれ、食べづらいなあと思っていたらいきなりこう言われた。
「この子の食事は小食堂に運びなさい」
ドロテアの命令で、ミアは食べかけの皿を取り上げられた。
「明日からマナーの先生をお呼びします。先生の指導を受け、淑女らしいマナーが身に着いたら一緒にいただきましょう」
「……」
せっかくおいしく食べていたのに。パンくずだけ残っているテーブルをミアはうらめしい思いで見つめた。食欲が引いてしまったではないか。
メイドが運ぶ皿の後について、とぼとぼと部屋を移動する。
巨大テーブルの真っ白いクロスが緊張感を醸し出す大食堂より、四人掛けの木製テーブルがあるだけの小食堂はこじんまりしていて気楽な雰囲気だった。もうずっとこっちでいいとミアは思った。
冷めかけたポタージュをズルズル啜る。
きついまなざしで観察されながら食べるよりましだが、一人の食事はさみしい。
(やっぱりガウに手紙書こう。「かえります」って……)
三番目の姉がどんなに歓迎してくれようとも、ここは自分の居場所ではない——。
「おはようミアさん。こちらにいらしたのね」
澄んだ声が静けさを破った。入り口を見ると白い薔薇の妖精さんがいる。
「朝食をご一緒しようと思って。ドロテアお姉様に伺ったらこちらだっておっしゃるから」
メイドの手により、ミアの向かいにフローラの食卓が整えられていく。
フローラは席にすとんと座ると、「いただきましょう」とミアにほほえみかけ、美しい所作で食事を始めた。ドロテアの前で食べていたときは何も思わなかったが、フローラに食べ方が汚いとは思われたくない。ミアは必死でフローラの食べ方の真似をした。
しかし、急には上手くいかないものである。
大きなぶどうの粒がミアのフォークから転がり落ち、テーブルの上で一回はずんで、なんとフローラのポタージュの皿にぽちゃんと落ちた。
(——!)
ミアは青ざめた。フローラは目を見開いてぽかんとしている。
「ひっ……ごめんなさ……」
「ふ……ふふふ」
フローラはたまらないと言うふうに口元をおさえた。
「ちょうどスープに落ちるなんて……ふふ、ふふふふ。ふふ。ごめんなさい。おかしくて」
笑っている。楽しそうに。
「自分でもびっくりしちゃった。はずむんだ、ぶどうって」
「私のぶどうもはずむかしら」
あろうことか、フローラは自分の皿から指でぶどうをつまんで、えいっとテーブルに落とした。ぶどうは軽く一回はずんで、ミアのフルーツの皿に入った。
「入った!」
「ねらってないのよ。すごい」
「ぶどうが戻ってきた~」
「では、私がこちらをいただくわね」
そしてフローラはポタージュの中に落ちたミアのぶどうをスプーンで掬って口にした。
「えっ食べちゃった」
「不思議な味」
「いいの~?」
「ドロテアお姉様にしかられるわ」
「ですよねー」
「でも、今は見てらっしゃらないから。ふふ」
「えへへへ」
そのままほわほわと楽しい気持ちで朝食を終え、午後にフローラがダンスのレッスンを終えたら、屋敷を案内してもらう約束をした。
ミアとフローラは図書室にいた。
ミアがそこそこ文字を読めるということで、フローラが小さなころ読んだ本からおすすめを探してくれている。
「なつかしい。ああ、この本もこの本もなつかしいわ。どれにしようかしら……」
ふたりは数十分で打ち解けて、「ミア」「フローラ」と呼び合う仲になっていた。ミアのために本を選ぶと言いつつフローラ自身が楽しそうなので、選書は任せることにして、ミアは一人で広い図書室を散策した。
ふと、どこからか人が話す声が聞こえてきた。
フローラの声に似ているが、もっと無機質で冷たい声だ。フローラの声がメロディーを奏でる楽器だとしたら、この声は鈴とか鐘とかの類だ。聞き覚えがある。
ミアは開き戸が解放されたバルコニーにそっと出てみた。声は庭から聞こえてくる。
「だから、勘違いなさらないでほしいの」
庭木の間から赤い衣装がちらちら見える。声と衣装の色がミアの中で結びついた。二番目の姉アンネリーゼだ。金髪の青年と一緒にいる。
「お嬢様……あの日あなたが私の指先に落としたくちづけは、嘘偽りだったのでしょうか」
「あれは怪我の治療の仕上げに過ぎなくてよ」
「聖女が癒しに口づけを添えるなど、聞いたことがありません」
「聞いたことがないから、わたくしがあなたに与えた愛の証だとでも言うの? あなた、自分の言っていることがわかっているのかしら? わかっていて言っているのかしら? 未来の王妃が自分を愛している、などと」
「私は……あなたを命がけでお守りし……」
「公爵家の騎士なのだから当たり前じゃないの。それに、ただの狼藉者に絡まれただけだわ。あんな小悪党相手に怪我をするなんて。お忍びが知られたら面倒だから、あの場で癒しを与えただけよ」
「口づけは……」
「ただの感謝よ。そんなこともわからないの?」
「あの日以来毎日、私を見つめてくださった熱いまなざしは……」
「熱いまなざし? どんな? ——そうね、こんなかしら?」
ミアは全神経を聴覚に注いだ。
言葉のやりとりはそこで途絶え、聞こえてくるのは風が木の葉をゆらす音だけになる。
(なにが起こってるんだ、なにがっ)
木が邪魔で、寄り添った二人に大きな動きがないということしかわからない。もどかしい。全部見せろ。
「あぁお嬢様……アンネリーゼ様……。いけない……」
「あら。本当はこうするのがお望みだったんじゃなくて?」
「私は……そんな……」
「口づけは指先でいいの? よくないわ……」
「あっ……」
またしても数秒の沈黙。
「ね、ただの感謝の気持ちよ。勘違いしないでね……。あなたは騎士で、わたくしは王子様の婚約者。一線さえ越えなければ、あなたは、わたくしの、大切な大切な騎士よ——」
「ただの感謝」「勘違い」の言葉を、会話の意味上では突き放す言葉を、アンネリーゼは愛の言葉のように甘くささやいた。そして「大切な大切な騎士」の部分は切々とした調子だ。傍で聞いていると手玉にとってるとしか思えないが、アンネリーゼに惚れているであろう騎士からしたら、「お嬢様は自分に恋して衝動が止められないが、王子の婚約者であるから恋心を告げるのは許されない」みたいに映るのではないか。
「わたくし、もう行くわ」
アンネリーゼが早足で場を離れようとする。
「アンネリーゼ様っ」
騎士の声に、アンネリーゼは立ち止まった。
「一生お守りします。我が命に代えてでも」
アンネリーゼはそこでとびきりの美しい笑顔でも見せたのだろうか。ミアの位置からは見えなかったが、お嬢様が立ち去っても、金髪の騎士はその場にずっと立ち尽くしていた。
ミアは音を立てないようにそうっとバルコニーを離れた。
またしてもすごい場面に遭遇してしまった。アンネリーゼ劇場「禁断の愛の巻」だ。
二番目の姉は本当に十五歳なのだろうか。貴族ってこわい。
(ていうか本当に聖女? 魔女なのでは)
いやいや、アンネリーゼは本当にあの騎士を愛しているのかもしれないし? ここは是非キュプカ村のおねえさんたちにあらましを語り、みんなの意見を聞きたいところだ。未来の王妃というビッグな存在だから、大盛り上がりに違いない。ああしゃべりたい。しゃべりたい。
ミアがうずうずしながらフローラの元へ戻ると、三番目の姉は子供向けの本に見入っていた。ミアに気付き、キラキラした瞳でこちらを見てくる。
「ミア、これどうかしら? 厄介者の悪い魔物がね、小鳥の卵をあずかってしまうところからはじまるの。心温まるお話よ」
(うっ)
さっきまで下衆なこと考えてましたすみませんでしたと、ミアは心の中で清らかなフローラにあやまった。
フローラはアンネリーゼの行いを知っているのだろうか。怖くて訊けないし、知っていたとしても話のネタにして盛り上がるなんて絶対に無理だとミアは思った。
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