10・三番目の姉これぞ聖女
ミアのための部屋が用意されているということで、当主の後について長い廊下を行く。東西に翼を広げたように横長の屋敷の、西の端に向かっているようだ。
屋敷の中心部から端に向かうにつれ廊下の明かりは少なくなり、壁を飾る絵画や調度品もまばらになっていく。静寂に足音が響いて、わびしさを際立たせた。
「長女のドロテアは十九歳で、厳しいところもあるけれど、とても真面目でしっかり者だ。家政の管理はドロテアに任せているんだよ。困ったことがあったらドロテアに言うといい。きっとミアを助けてくれるよ」
「はあ」
カツカツと床石を固く鳴らしていた靴音が、いつのまにかコツコツと床板を鳴らす音に変わっている。中心部に近い廊下はつるつるぴかぴかの高そうな石の床だったが、目につかない端っこのほうは木にして節約しているのかもしれない。長女ドロテアがミアにあてがったのは、正面ホールから一番遠い端っこの部屋。
「次女のアンネリーゼはまだ十五歳だけれど、ハルツェンバイン国で最も力のある聖女になると聖堂からのお墨付きだ。聖女としての認定を受けてすぐに第一王子と婚約したから、聖堂の仕事とお妃教育で忙しくてね。……少し鬱屈がたまっているのだろう」
「はあ」
聖女って思ってたのと違うなとミアは思った。
あれは、村のおばちゃんたちなら「不良娘」って言う。化粧してこっそり夜の街に下りていくおねえさんたちのことだ。怒られるとむくれて悪態をつくところもそっくりだ。王都の貴族にも不良娘っているんだ。聖女にもいるとはびっくりした。
お妃教育を受けているということは、あの不良娘が未来の王妃様なのだろうか。大丈夫なのかハルツェンバイン国は。
でも村のおばちゃんたちは、不良娘も結婚して子供が生まれると大概落ち着くと言っていたから、まあそんなもんなのかなとミアはなんとなく納得した。エリンとクリンの話では、そう言うおばちゃんたちの中にも元不良娘がいるみたいだし。
村娘と公爵令嬢を一緒にしていいのかわからないが、王妃様なんて遠すぎてよくわからないし、正直ミアにはどうでもよかった。
三姉妹の母親、公爵の亡き妻は当代一の聖女で、「大聖女」と呼ばれていた立派な人だったらしい。二番目のお姉様は聖女の力以外は父親に似たのだろう。妻が死んだ痛手だかなんだか知らないが、子持ちのいい歳して冒険者に仲間入りして、ちゃっかり新しい恋までするような人だし。
(その結果が自分かあ……。やんなっちゃう)
もう村に帰りたい。部屋についたらすぐガウに手紙を書こう。「やっていけそうにないからかえります」って。ミアはそう決心した。
ミアの決心も知らず、公爵は娘たちの紹介を続ける。
「三女のフローラは十二歳で、ミアとは一番歳が近いね。きっと仲良くなれると思うよ。フローラは本当に優しい子なんだ。誰にでも優しい。いつもにこにこしていてね」
「はあ」
その「誰にでも」に果たして自分が含まれるかどうか。
長女と次女の態度から予想するとあやしいものだ。きっとお仲間の貴族には誰にでも優しいけれど、田舎者の自分なんかいじめ倒してくるのだとミアは怯えた。
お祭りのとき、意地悪を言ってきた街の女の子たちみたいに。
(あーっ、想像がつく! ドレスの着こなしとかバカにしてくるに決まってる!)
想像だけでげんなりしてきた。ここんちの三女なんかどうせあんなもんだろう。できれば会わずに帰りたい。明日早朝にでも帰りたい。
自分の想像にうちひしがれ、しおしおと後をついていくミアを、公爵は疲れているのだと判断したらしい。「夕食は部屋に運ばせるかい?」と労わるように言ってくれた。
「おねがいします……」
「もう休むといい。フローラは明日紹介しよう」
(いや、紹介いらないです)
と言えるものなら言いたかったが、ミアはこくんと無言でうなずいた。
ミアにあてがわれた部屋は一階西の最果てだった。
さすが大聖女が輿入れした公爵家だけあって、端っこの端っこでも廊下に荒んだ雰囲気はない。調度品は少なめでも掃除は行き届いているようだ。しかし人の気配が全くなく、近隣の部屋も使われている様子はなかった。
ならもう少し中央に近い部屋でもよさそうなものだが……。
(隔離された。うっうっ。すみませんいらない子が押しかけて)
卑屈な気持ち全開で落ち込んでいるミアをよそに、公爵がドアノブに手をかける。
ドアはきしみもなくなめらかに開いた。
「うわっ」
公爵が驚いたような声を上げる。
(ま、まさかカーテンやベッドがズタズタにっ!?)
もういじめられる発想しかない。ミアは青くなって公爵の後ろから部屋の内部を覗き込んだ。
「ほわっ」
部屋の中は明るい色合いの花でいっぱいだった。優しい花の香りが廊下にも漂ってくる。
それだけではない。レースのクロスを掛けたテーブルの上にはお茶の準備が整い、銀のケーキスタンドに愛らしい小ぶりのお菓子が並んでいる。ジャムやドライフルーツをあしらったもの、カスタードが盛られたもの、ゼリーやムースを重ねたものもある。お祭りで見たアクセサリーの屋台のように、色も形も様々でかわいらしい。
ミアは引き寄せられるようにふらふらと華やかなテーブルに近づいた。テーブルの上にも白とピンクを基調にした花が花瓶にこぼれるように盛られ、その花房の下にカードがあった。
〈カレンベルク家へようこそ、ミア様!〉
ミアはカードを手に取り、流れるような美しい書体で書かれた文字を見つめた。
ようこそ、ミア様。
——ようこそ。
予想していなかった歓迎の言葉がミアの心に染み入った。
「フローラのしわざだな? フローラ、隠れているんだろう。出ておいで」
公爵が笑いながら廊下を振り返る。
パタパタと軽い足音がして、入り口から十代前半の女の子がひょっこり顔を出した。
ミアと目が合う。
(かっ……かわいいっ)
女の子は思わず触れてみたくなるような白くやわらかそうなほっぺたをほんのり薔薇色に染め、首をかしげて長い黒髪がサラサラ流れるにまかせている。
そして恥じらうようにほほえんで、ミアを見ていた。
(妖精さんかな、妖精さんじゃないかな、白い薔薇の妖精さんじゃないかな)
ミアは自分の頬がぱあっと上気するのを感じた。
なにこのかわいいいきもの。
「うふふ」
(きゃーっ! 声出した! 笑った!)
女の子はトテテッと部屋の中に入ってきた。薔薇のつぼみをあしらった水色のリボンに白いドレス。
(きゃーっ! うごいた! 歩いた!)
「おかえりなさいお父様。はじめましてミアさん。私はフローラよ」
澄んだメロディーを奏でる楽器のような声がミアの名を呼び、晴れた日の湖面のような瞳がミアの緑の瞳を見つめる。
(きゃーっ! しゃべったーっ!)
「よ、よろ、よろしく」
「あっそうだわ。ミアさん、うさぎさんとクマさんどちらがお好き?」
「はへ?」
「見てもらったほうがいいかしら。クララ、連れてきてちょうだーい」
フローラの高らかな声に、侍女が駆けつける。
侍女は右手にうさぎのぬいぐるみを、左手にクマのぬいぐるみを抱えていた。
「ありがとうクララ。ミアさんはうさぎさんとクマさんどちらがお好き?」
「えっ……どっちもかわいくて好きです」
「よかった! ね、よかったわね、ミアさんあなたたちふたりとも好きだって」
フローラはうさぎとクマに語りかけると、侍女の手から二体のぬいぐるみを受け取り、ミアに差し出した。
「眠るときひとりじゃさみしいかと思って。ミアさん、生まれ育ったおうちを離れて急に王都へ来ることになったのでしょう? 私だったらとてもさみしいわ。だから、ね? このふたりと仲良くしてね。私とも仲良くしてくれたらうれしいわ。とてもうれしいわ」
「あっハイ。もちろん……」
「わあ、うれしい。お疲れでしょ。座って座って。お茶を淹れるわ。お菓子もあるのよ」
椅子を引いてミアを座らせると、フローラが自らの手でティーポットにお湯を注ぐ。
ぬいぐるみのやわらかな感触とかぐわしい紅茶の香りに包まれ、ミアは「これは夢かな?」と考えながら、視界いっぱいに広がる花とお菓子の鮮やかな色合いをぼんやり見つめていた。
「フローラ、ぬいぐるみを渡してしまったら手が塞がってお茶が飲めないだろう? それに、そんなにお菓子を食べてしまったら、夕食が食べられないぞ」
言葉の内容はフローラを咎めているが、公爵の声は笑いを含んで優しかった。
「あら。私ったら。うさぎさんとクマさんはベッドで待っててもらいましょう。お菓子はね、ふふ、大丈夫よ。お茶請けに少し召しあがったら、こちらに移してお好きなときにどうぞ」
侍女の手でぬいぐるみたちは優しくベッドに運ばれる。フローラは棚から蓋のついた陶器のトレーを出してみせた。食べ残したお菓子はここへしまえばいいということだろう。至れり尽くせりだ。
「あっありがとう……ゴザイマス」
「お父様もお席にどうぞ。私もご一緒していいかしら? ささやかな歓迎会よ。私、ミアさんがいらっしゃるのをとても楽しみにしていたの。ミアさんみたいにかわいい方が妹だなんて。私とてもうれしいわ」
(かわいいのはあなたです!)
やわらかくほほえみかけてくれる美しいフローラを正視できず、ミアは視線をさまよわせ挙動不審になりながら「ども」「いやそんな」「わ、わたしも」などとぼそぼそつぶやいた。存在が清らかすぎてどうしていいかわからない。
——これが聖女か。
(いや、三番目はまだ聖女じゃないんだっけ。でも絶対将来聖女でしょ? これで聖女じゃなかったら嘘でしょ?)
第一王子も考え直して、不良娘からこっちに乗り換えればいいのにと、ミアは無責任に考えた。自分ならそうする。
「明日は邸内をご案内するわ。明後日はお庭をご案内するわ。お勉強やダンスのレッスンの合間になってしまうから申し訳ないわ。ふふふ、私とても楽しみなの。ミアさんにお見せしたい場所がたくさんあるのよ」
ミアはお菓子を頬張りながらうんうんとうなずいた。
なぜか公爵も笑ってうんうんとうなずいている。ふと見上げると、侍女のクララもうんうんとうなずいている。公爵も侍女もフローラのことが好きなんだなあとミアは思った。
歓迎の小さなお茶会がお開きになったあと、ミアは部屋で一人になった。一人とぬいぐるみ二体だ。
うさぎとクマを両脇に抱え、あおむけにドサッとベッドに倒れ込む。
ベッドはふかふかだし、ぬいぐるみはふわふわだ。そして部屋にはいい匂いのするきれいなお花がいっぱい。戸棚にはおいしいお菓子がいっぱい。
夕食など食べる気持ちになれそうにないと思っていたが、お茶とお菓子で食欲に弾みがついたのか、今は食事が待ち遠しい。
食事を部屋に運んでもらうまでまだ時間がある。
部屋についたらすぐにガウに手紙を書くつもりだった。「やっていけそうにないからかえります」と。
(……それ書くの、もうちょっと後にしようかな)
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