第二章

9・王都にやってきた


 ミアは今、いいとこのお嬢さんのような外出着のドレスを着込み、馬車にゆられている。こんなドレスを着るような御令嬢は当然、向かいに座る紳士を「お父様」と呼ぶだろう。

 会って間もないおっさんを「父さん」と呼ぶのだって抵抗があるのに、「お父様」だなんて。無理無理。


 というわけで、ミアはまだローレンツ・カレンベルク公爵をまともに呼んだことがない。面と向かっては「あの~」で済ませている。第三者に言うときは「公爵」である。


(どうしてこうなった)


 ミアはドレスの堅苦しさにもぞもぞした。

 ガウは軽く「ミアを預かれ」なんて言ったけれど、こっちの身にもなってほしい。お金持ちのお父さんが迎えに来るのは夢だからいいのであって、現実にキュプカ村を離れたくなんかなかった。王都のお屋敷なんて恐怖しかない。


 ミアは「行かない」と抵抗した。あたりまえだ。

 ガウは「覚醒までの不安定期の間だけだ。いつガクッと気を失うかわからん子を無防備にしておけないだろ。人さらいに狙われてるんだぞ」とミアに言い聞かせようとした。その「人さらい」という言葉に公爵が過剰反応し、ミアがアルホフ商会に誘拐された話に青ざめうろたえ自分を責め、なんかもう大騒ぎになってしまった。


 「覚醒までの不安定期の間」と言っても、もし十六歳の誕生日まで不安定期のままだったら五年以上ある。数ヶ月なら辛抱するとしても、五年半もなんて冗談じゃない。

 そうミアが訴えたら、ガウは言った。

「それならそれで、いい機会だから上流階級の教育を受けてこい」と。

 なんでもガウは、ディーがアルホフ商会を追い詰めた手腕に感心したらしい。豪商の外道っぷりを計算に入れなかったところは青かったとしても、若いのに見どころがあると。教育のあるやつは違うと思ったんだそうである。


「これからの冒険者は腕っぷしだけじゃいかん。知識や人脈がないとナメられて上前はねられる。ミア、おまえは賢い子だ。ギルドのこれからのためにも勉強してこい」


 そう静かに諭すように語られ、ミアも抵抗しづらくなってしまった。

 それでもヤダヤダさみしい村にいたいと駄々をこねていたら、エリンとクリンが無邪気に言った。


「ディーに会えるかもしれないじゃん」

「レディになって見せつけてやろうぜ」


(別にそれが決め手だったわけじゃないんだからねっ!)


 とはいえ、脳内で「ミア、本当にミアかい? 綺麗になったね」と妄想のディーが言うのを止めることはできない。まあ少しくらい受けてやってもいいかな、淑女教育ってやつを、と思わなくもなかった。


(しっかし、軽い旅装だってのにお嬢様服のかったるいことかったるいこと)


 服はがさごそするわ座りっぱなしだわ、窮屈でもう帰りたくなってきた。

 ふと目を上げると、公爵がうるんだ瞳でこちらを見ている。

 ミアにモニカの面影を見て感激しているらしいことはわかったが、重い。それに、勝手にひとりで感激している公爵は母を捨てた男で、王都に家庭があり娘が三人いるのだ。

 公爵がモニカと出会ったのは妻を亡くした後だから、幸い不倫ではない。でも、いくらでも乳母が雇える身分とは言え、幼い娘三人ほっぽらかして自分探しの旅に出るような無責任男なのだ。


(信用できるのかなあこの人……)


 ガウが信じている様子だから世話になることを承知したが、ミアは公爵の人となりなんて信じていない。ミアが頼りにしているのは「領主よりえらいから公爵の屋敷にいれば領主は手が出せない」という彼の地位と、「亡き妻も娘も聖女だから聖女なんて慣れてて屁でもない」という彼の家庭環境だった。


 クソ領主よりえらいというのは好ましい。ざまあである。

 亡き妻も娘も聖女というのはどうなんだろうと思う。正確には、聖女として覚醒しているのは二番目の姉までで、十二歳の三番目の姉はミアと同じく未覚醒らしい。


 腹違いの姉三人にいじめられないといいなあと、ミアは切に願った。




 馬車が王都に入ったのはもう日暮れで、暗くて馬車の窓から王都の街を眺めることは叶わなかった。黒い影のように見える建物が空を圧迫して息苦しい。

 庭園らしき木々を抜け、ひときわ大きな建物の前に馬車は止まった。

 立派なお仕着せを着た従僕が外から馬車の戸を開け、うやうやしくミアの手をとり先導してくれる。ローレンツ・カレンベルク公爵がガウのアジトを訪れてからまだ数日だったが、ミアについての話はついているようだ。


 慣れない華奢な靴によろよろしながら石畳の道を玄関アプローチへ向かって歩いていると、前方から二十歳くらいの女性がランタンを手につかつか歩み寄ってきた。


「お帰りなさいませ、お父様」


(「お父様」。本当に「お父様」っていうんだなあ令嬢は)


 これが「お姉様」かとミアが顔を上げる。年齢的に一番上の姉だ。飾らないひっつめ髪にドレスも地味で、真面目そうな人だった。


(なんてあいさつすればいいのかな。こんばんはでいいのかな)


「こんば……」

「裏口にお回りくださいな」

「どうしてだい?」

「この子を正面玄関から入れる気ですか? 使用人になんだと思われますわ。この子は人にかしずかれる者の顔をしていません。下の者たちが自然とこうべを垂れたくなる顔つきになるまで、カレンベルク家の正面玄関を通すわけにはまいりません」

「しかしなあドロテア……」

「当主みずから公爵家を貶める行いをなさるのですか? 謹んでくださいませ」


 ……きっつ。

 ミアは青ざめた。


(いきなり厄介者扱い! ひえ~)


「仕方がない。ドロテアがそう言うのなら」


 そしてお父様、長女より弱かった。


(なんてこったい)


 ミアの表情は凍った。


 召使い以下の顔した娘は正面から入るなと長女が言うので、ミアたち一行は裏へ回った。

 当主まで一緒にこそこそと暗い通路を進み、奥まった通用口を目指す。使用人用の入り口へ続く石畳にはそこここの隙間に雑草が伸びていて、なんだかわびしい気持ちになってしまった。

 従僕がギイィときしむドアを開ける。公爵に続いてミアが中へ入ろうとしたとき、ふいに先を行く公爵が足を止めた。


「アンネリーゼ。こんな時間にどこへ?」


 咎めるような公爵の声。

 ミアが公爵の肩越しに中を見ると、薄暗がりに目の覚めるような美女がいた。


 白磁の肌にゆるく巻いた濃紺の髪。ランプの明かりが落とす睫毛の影は濃く、赤く塗られた唇が蠱惑的に艶めく。美女が身にまとうのは濃い紅色のドレスで、開いた胸元を隠すようにケープを羽織ろうとしているところだった。


「エッカルト子爵の夜会ですわ」


 挑戦的な視線を公爵に向け、鈴を転がすような美しい声で美女が答えた。


「君は一人で夜会に出ていい年齢ではないだろう」

「正式な夜会じゃありませんわ。それに一人ではなくてよ。侍女がおります」

「正式な夜会でないなら、なおのこと許すわけにはいかない。正面から出られないような外出は取りやめなさい」

「正面から連れてこられないような娘を連れて、よくおっしゃいますこと!」

「アンネリーゼ。彼女はやましい子供では……」

「あら、わたくしはお父様を咎めなくってよ。貴族が妾に子供を産ませるなんてよくあることでしょう?」

「アンネリーゼ!」

「妾腹の子はそれらしく慎ましやかにしていれば、わたくしなぁんにも言わなくってよ。だからお父様もわたくしになぁんにもおっしゃらないでね。マリー、行くわよ」


 美女は侍女に声をかけ、公爵を押しのけるように外へ出ようとした。


「マリー、行ってはいけない」

「あ、で、でも旦那様」


 侍女は美女と公爵を交互に見てうろたえている。


「馬車を出すなと御者に言ってきてくれ」


 公爵が従僕に命じ、従僕は急ぎ足で場を離れた。


「お父様っていつもわたくしの邪魔してばかり!」

「アンネリーゼ、自分の立場を考えなさい。君は聖女で、第一王子の婚約者……」

「そうよ、わたくしは聖女で、未来の王妃よ? 聖堂でおつとめは果たしているし、お妃教育も受けているわ? 自由になる夜くらい楽しく過ごさせてもらえないのかしら?」

「エッカルト子爵は良い評判を聞かない」

「あらやだ。お父様よりましでしょ」

「アンネリーゼ!」

「ああ嫌になっちゃう。興がそがれたわ。——どう? おもしろい? 無遠慮にじっと見ないでほしいわ。わたくし田舎の子って苦手なの」


 美女はミアをちらりと一瞥すると、それ以上の興味はなさそうにすうっと屋敷の奥へ消えた。侍女がパタパタと追いかけていく。


 ミアは美女の消えた廊下の奥を見つめ、ぽかんとしていた。


(すごいところに来た)


「見苦しいところを見せてしまったね」


 しょぼんと小さくなっているこの家の当主に、ミアはなんと答えていいかわからなかった。はいともいいえとも言えない。


 予想以上だった。お姉様たちが。



 ——帰りたい。このまま回れ右をして。

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