8・父さん公爵だった
街へ向かう峠の山道、木々の切れ間から下を見ると、広い街道が見える。
別れの日、ミアはここから街道を見下ろして、ディーを乗せた馬車が行ってしまうのを見送った。黒い大きな箱馬車ではなく、目立たない幌馬車だった。馬車は一瞬で通り過ぎ、騎馬で付き従う騎士たちが続いた。
ディーが何者だったのかは教えてもらえなかったが、住む世界が違うのは分かった。
ディーがいなくなったさみしさはなかなか癒えず、ミアは一日何度もここへ来て街道を見下ろしている。茶色い幌馬車が通るたびドキッとしてしまうが、ディーが戻ってくるはずがないことはよくわかっていた。
「ミア、またここにいたのか」
エリンとクリンがアジトのほうからやってくる。
「かみさんが焼き菓子焼いたから持ってきたぜ」
「うん……」
エリンがぽんぽんと優しくミアの背を叩いた。
クリンはミアを真似て街道を見ている。
「ガウが茶ぁ淹れて待ってる。ほら、はやく行こう。クリンも」
エリンは弟を急かしたが、クリンは街道を見たままだ。眉間にしわを寄せ、なにやら険しい顔をしている。
「どうした?」
「黒い箱馬車がいる」
「なんだと?」
「街道の端に止まってる。この峠道の入り口あたりだ」
ミアは無事救出されたものの、聖女問題は解決していない。ディーと騎士たちはミアがさらわれたのはアルホフ商会の報復だと誤解したまま行ってくれたが、ミアが聞いたのは「えらい人」が自分を手に入れたがっている話だ。
アルホフの言った「えらい人」というのは、どうやら領主様らしい——。
「箱馬車の強欲商人は捕まったんじゃなかったの?」
「アルホフならもう釈放されただろ。金の力か領主の力か知らんけど」
「そんなあ!」
「あいつはただの使いっ走りだろ? 黒幕は領主みたいじゃん。新手の手下だったらやべえな」
「ガウに知らせにゃ」
三人はアジトへと急いだ。
「新手の手下か……。ありえなくもねぇな」
ガウは勢いよく茶を飲み干すと、難しい顔をした。
「次さらいに来たら手の肉食いちぎるだけじゃ済ませない……」
「ミア、闘志を燃やすな」
「頭の中で武器を吟味するな」
エリンとクリンが戦闘態勢に入りかけたミアをなだめる。
「ミア、おまえそこそこ戦えるけどよ、敵さんに大勢で来られたら逃げられねえだろ。それに魔力覚醒期の体調不良があるだろ。興奮したらまたガクッとくるかもしれねえ」
「うーっ。あれさえなければなあ」
「覚醒しきっちまえば昏倒はないんだがな。あれからどうだ? 魔力の予兆は」
「それが、全然ないの。逆にこわい。このまま引っ込んじゃえばいいのに! 引っ込むことってないのっ?」
いまいましい魔力め。キィーッ!となってミアが言う。
「あ、それは普通にあるよ」
「あるある」
「えっ?」
「きざしだけあって魔力覚醒しないパターンだろ? わりとよくあるらしいよ。魔力に躰が対応しきれなくて引っ込むっていう」
エリンとクリンがうなずきつつ言った。
「そうなんだ! あっ、それに母さんの『伝説の聖女』の力じゃなくってさあ、お父さんが魔力持ちならそっち受け継ぐことだってあるじゃない。そうだよ、その可能性忘れてた。どうせなら普通の魔力ほしいな~。火属性とか風属性とかの強いやつ」
「残念ながらそれはない」
ガウが言い切る。
「えーっ、なんで!」
「『聖なる力』と呼ばれる力——いわゆる聖女の力は、女から女にしか受け継がれない分、性質が強力でな。聖女から生まれる全ての女児の父方由来の魔力は、抑え込まれて消えてなくなる。聖女から生まれる女児は、聖女か、ただの人だ」
「ええ~っ……」
ミアの希望は潰えた。残念無念。
「ミアの今後を相談する前に、街道にいる箱馬車を調べに行く。エリンは同行しろ。クリンはここにミアといろ」
ガウが勢いよくアジトの玄関を開け、二人の足音は山道に消えた。
ミアがもらった焼き菓子を切り分けていると、ものの数分も経たずに二人は戻ってきた。
「こんなことってあるか……?」
ガウがらしくなく目を泳がせている。
一体どうしたのだろう? 不思議に思ってエリンを見ると、居心地悪そうにミアからサッと目をそらした。
「なに?」
「あー、いやいや。ミアさん、ちょっと席はずせます? お客さん来るかも」
「ヤダ! エリンが『ミアさん』って言うとき、大体ろくでもないもん」
「もう駄目だ、エリン。時は来た、覚悟を決めるぞ」
ガウが雄々しく面を上げたそのとき、アジトのドアがノックされた。
客人は、このあたりでは「旦那様」と呼ばれる種類の人たちが着る服を着ていた。つまり、金持ちの服だ。
金持ちに違いない客人はきれいな所作で焼き菓子を口にし、「なつかしい味です」と言って、うっとり目を閉じた。銀髪の似合う、場違いに品が良く穏やかな人だとミアは思った。
「うちのかみさんの手作り」
「ああやはり、カレンさんの。カレンさんもお元気にしてらっしゃいますか」
客人はエリンの奥さんを知っているようだ。昔のパーティーメンバーだろうとミアは当たりをつけた。エリンとクリンより年上に見えるから、結構昔のメンバーだろう。ミアが生まれる前かもしれない。
「おかげさんで。子供三人に増えたぜ」
「なんと! それはおめでたい。私もうれしいです。ひょっとしてこちらのお嬢さんはエリンさんの……」
「俺の子じゃねえよ」
虚無顔でエリンが言う。
「ではクリンさんの」
「いや」
クリンも虚無顔だ。
「先生の?」
先生? 誰だ?
「俺なわけねえだろ。『先生』やめろ」
先生ってガウのことか。らしくなくて笑うわと思いつつミアがガウを見ると、イラッとした顔をしていた。
「ではこちらのお嬢さんは魔物狩りの生徒さんですか。お若いですね」
ティーカップを手に客人はのほほんと言った。
「モニカの子だ」
ガウがそう言うと、客人はお茶を飲む手をぴたりと止め、顔を上げた。
なんだろう、傷ついた顔をしている。
「そうでしたか……。モニカさんの。それで、その、モニカさんは今どちらに……?」
ガウは客人の問いには答えず、立ち上がって裏庭へ向いた窓を開けた。窓の外にはモニカの墓標となった大きな石が見える。一見ただの岩に見える墓石の前には、いつものようにミアが供えた花束が置いてあった。
「あれは……?」
細く震える声で客人が問う。
「なんに見える?」
「墓、ですか……。ではモニカさんは」
「この子が赤ん坊のころあれになった。この子はミアっつって、今十歳六ヶ月。腹の中に十ヶ月として、おまえ計算はできるよな。ミアがモニカの腹に入ったのはいついつごろだ?」
客人は蒼白になったが、ミアも蒼白になった。ガウが言おうとしていることに察しがついたからだ。「わたしもいつかお金持ちの上流階級のお父さんが迎えに来るかもしれない」と、自分でも冗談でよく言っていたし。
「モニカはアホだったが、色恋には一途だったよな。おまえが一番良く知ってるか?」
「……はい」
「ならいい。ミア」
呼ばれてミアは客人からガウに視線を移した。
「こいつはロー。おまえの父ちゃんだ」
ついにガウは言い放った。
ミアとしては、再び客人をまじまじ見つめるしかなかった。父だと言われても初対面の知らない人だ。日々の暮らしはさみしくなんてなかったので、父を求めたこともない。ガウとエリンとクリン、三人が父親のようなものだし。
客人は客人で、うろたえて目をそらすでもなく、ミアを見つめてきた。
無言の見つめ合い。
なにか言ってくれ。
そっちが先になにか。
親だろう! なんか言え! とミアがブチ切れそうになったところで、感極まったように客人の目がうるるっと大きく潤みだした。
「モニカさんと同じオレンジの髪です。きれいだ……」
客人の目からボロボロ涙があふれる。
泣かれてしまった。ミアも「あっ、泣くところか」と思いはしたものの、実の父親というものに思い入れがまるでないので無理だった。
困り果ててガウを見たら、ガウは親子の邂逅はもういいかとばかりにうなずいた。
「それでだ、ローよ。けったいな箱馬車で乗り付けたな? 外に従者が複数いるな? 冒険者志願にゃ素性は訊かねえが、おまえまた人生に迷って自分探しに来たわけじゃねえだろ? 本名と身元と用件を言え」
「……わかりました。驚かれるかと思いますが」
客人ローはぐしゅんと鼻をすすり上げ、居住まいを正した。
「私の本当の名はローレンツ・カレンベルク。カレンベルク公爵家の当主です」
「ほー」
「あまり驚きになられない?」
「慣れた……いや」
エリンとクリンは目を見張っているが、ガウは平然としていた。
ミアは「公爵」がどれくらいえらいのかよくわからないので、ぼやっとしていた。貴族だということはわかった。貴族は領主しかわからないし、領主にはいい感情がない。よって、「公爵」にも今のところあまりいい感情が持てない。
「実は、今日はモニカさんのことで……」
「公爵」はおずおずと口を開いた。
ローことローレンツ・カレンベルク公爵の話はこうだった。
封印・解除の聖女が参戦したというゲートルド国ブランケン領での戦の話は、風聞のようなあやふやな形でハルツェンバイン国の宮廷にも知られていた。しかし聖女の人物像の詳細は秘せられており、隣国から伝わってきていなかった。
そこへ聖女を間近に見たというゲートルドからの亡命貴族が招かれ、封印・解除の聖女の人となりが生き生きと語られる機会があったのだ。
亡命貴族が招かれた宮廷晩餐会には、カレンベルク公爵も参加していた。
これはモニカのことではないか?
どうにも、亡命貴族が語るぶっとんだ聖女像がモニカに似すぎている。
モニカは自分の来歴を「ロー」に語ることはなかったが、言葉の端々にゲートルドなまりがあったし、「ロー」はモニカが魔力をふるう大きな魔物狩りに参加させてもらえず、モニカの力を知らされていなかったのだ。
何かあるとは思っていた。
しかし、モニカは「ロー」に何も語ってくれず、「ロー」は何も知らぬまま、遅すぎた恋と自分探しの旅を終え王都に戻ったのである。
晩餐会の間中、カレンベルク公爵はモニカのことを考えて心ここにあらずだった。
その様子をじっと見ていたある貴族がいた。ゲートルドとの国境近い北の地の領主、ヴァッサー伯爵だ。
「うちのクソ領主か」
苦々しくガウが言う。
「ヴァッサー伯爵は野心家で、聖女への執着も強いのです。封印・解除の聖女に心当たりがあるのではありませんかとしつこく問われ、つい、昔会ったことがある人物と似ている気がしたのだと言ってしまいました」
「それだけか」
「誓ってそれだけです。しかしヴァッサー伯爵は私のキュプカ村滞在を突き止めました。私が一年に渡り王都を留守にしていたのは周知の事実ですから……」
「いい歳こいて自分探しなんかするからだ。そういうのは十代で済ませておけばいいものを」
「返す言葉もございません……」
「落とし前はつけろよ」
「そのつもりで参りました。なんとしてでもモニカさんをお守りしようと。しかし——」
「なに、守るものが変わっただけだ」
ガウは目を白黒させて話を聞いているミアを見た。
「おまえ、しばらく王都でミアを預かれ」
第一章 終了 第二章に続く
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