7・ミア、君はしあわせの象徴


 運ばれるミアを見送り、ガウは這いつくばるヤン・アルホフを虫けらを見る目で見下ろした。


「なっ、なんなのだ君らは、断りもなくずかずかと! ここは私の屋敷だ。あの子供は私の保護下にある。子供を返して出て行け……ぐえっ」


 ガウが立ち上がろうとしたヤンの背中を踏ん付けた。


「いたいけな子供縛って殴って何が保護だ」

「殴ってなどいない!」

「言い訳は役場に出頭してからにしてもらおうか。騎士さんよ、こいつ縛り上げてくれや」

「ははっ、縛り上げるだと? この私を? 縛られて役場に突き出されるのは君たちだ! 侵入罪および傷害罪だ!」

「てめえの誘拐と虐待はチャラか?」

「は? 誘拐? 虐待? なんのことだ? 私は私の保護下にある子供に少しばかり仕置きを与えていただけだ。あの子は使用人に乱暴を働いたのでね。怪我まで負わせて酷いものだ。反省が必要だ」

「んだとてめえ。ミアはうちの子だ!」

「子供を労働力として使役する民間魔物討伐隊は社会問題だと領主様も嘆いていらっしゃる。私は搾取される子供に保護を与えたのだ!」


 ヤン・アルホフの言い訳にガウが再び拳を握ったところで、ディーが間に入った。


「アルホフ、ちょっといいか? 俺はアルホフ商会が取る流通手数料は不当に多いんじゃないかと思って、冒険者ギルドと相談して上に進言したんだよ。その直後に冒険者の子供を連れ去るってどういうことだ? これ以上余計な告げ口をするなって、脅迫するつもりだったんじゃないか?」

「なんだそれは! 断じてそんなことはない!」

「ほかにミアを連れ去る理由がある?」

「だ、だから、子供の労働力を搾取する民間魔物討伐隊は社会問題だから保護を……」

「冒険者に支払う素材の価格を上げれば子供まで働かせなくて済むじゃないか。王都との価格差がありすぎるのは、アルホフ商会が安く買って高く売ってピンハネしてるからだろ」

「ピンハネではない、必要経費だっ……!」


 ディーとアルホフの会話を聞きつつ、育ちのいいやつはやることが違うよなとガウは思った。ディーは素材の買取価格の相場に疑問を持ち、流通経路を調べ上げ問題点を発見し、ギルドと相談して王都の大臣に手紙を書いたらしい。今まで領主へ手紙を送っても無反応だったことを踏まえて、王都の大臣へ送るようディーが助言したそうだ。その後、王都の大臣が領主に何を言ったかわからないが、アルホフが焦る事態になったのは確かなようだ。

 ミアが狙われたのは忌々しいことだが、聖女に関係していないならまだいい。


(こいつらに聖女の話がバレたら面倒この上ないからな……)


 ガウはディーと騎士たちを見回した。

 星の数ほど出会いがあったと言っても、こんな雲の上の連中と知り合ったのははじめてだ。人生なにが起こるかわかったもんじゃない。

 何も知らないアルホフが少々気の毒ですらある……。


「ふん! とんだ言いがかりだな。こんなことは領主様が黙っていない。私がどれほど領主様の信頼が厚いか、君たちは知らないだろう。そろそろ領主様からの使いが到着するころかな? そうしたら役場で絞られるのは君たちのほうだ!」


 アルホフは虎の威を借りて自信満々だ。


「アルホフ商会と領主はグルみたいだね。領主の使いは来ないよ。騎士団を見て逃げた」

「は? 騎士団?」


 ヤン・アルホフが今さらながら自分を取り囲む屈強な騎士たちを見た。筋骨逞しいだけではない、王都の気品を漂わせる生え抜きの騎士たちを。


「この者たちは一体……」

「名乗らなくていいよ」


 騎士団を制するようにディーが言った。明らかに騎士団より上に立つ者の口調で。


「ミアを連れてもう行こう。こんなことになってしまって俺が浅はかだった。反省している。ガウさんの機転でミアの居所を突き止めることができたけど、そうじゃなかったらどうなっていたか……」

「反省していただいたならば、申し上げることはございません」


 団員の中でも上役と思われる壮年の騎士が、まっすぐディーを見て言った。


「こいつもふん縛って連れてかないとな」


 転がったままのアルホフをガウが足先で小突く。


「なっ……! 皆の者ー! であえであえー! 曲者だー!」


 なおも抵抗しようとするアルホフの脇にしゃがみ込み、ガウは小声でささやいた。

 王立騎士団、と。


「えっ……」


 アルホフが青ざめた顔でガウを見上げる。

 それではこの少年は?と言いたげにディーのほうへも視線を向けたが、さすがに答えてやることはできなかった。



 第一王子ディートハルト殿下だ、などと。




     *****



 ハルツェンバイン国第一王子ディートハルトは、立ち去ることになったガウの家の部屋を、台所を、廊下や階段を、名残惜しみつつ一人歩いた。

 春の終わりにやってきて、もうすぐ枯葉の季節だ。

 傾いた午後の日差しが板張りの廊下に長く伸びる。

 「ディー」でいられたのはたった半年足らずだった。

 生涯で一番自由だった半年間。

 一番「生きている」と感じた半年間。


 「平民のようなふるまいをする」と散々言われてきたから、自分は王族になんか生まれてくるべきではなかったのだろうとずっと思っていた。

 形式的な剣と魔法の訓練、王子として恥ずかしくない知識をつけるための学業、社交界で恥をかかないためのマナー、あてがわれた名家の学友と聖女の婚約者。

 どれにも熱情は持てず、てきとうにやり過ごしてきたがそれで十分らしかった。

 弟のほうが熱心だから、王位は第二王子が継げばいい。第三王子だっていい。

 王である父にそう言ったら、安易にそんなことを言うな、外に漏れたら政治が荒れるとたしなめられた。


 既存の逃げ道はないらしい。ならば作ればいい。


 半年前、形だけの魔物討伐教練があった。

 王領内の安全な森で、精鋭の王立魔物討伐隊同行の上、わざわざ放たれた魔物を狩る茶番だ。古代の英雄が魔物を斃して拓いた地であるから、この地を受け継ぐ王族の男は魔物討伐ができなければならないらしい。「たしなみとして」の魔物討伐だ。


 ——馬鹿馬鹿しい。


 魔物狩りに命を懸けている者たちが、今でもこの国を支えているというのに。

 王族に生まれると魔物討伐の訓練すらまともにさせてもらえないのか。


 教練で狩ってみたい魔物を事前に訊かれたので、吟味して翼のある魔物を選んだ。

 王立討伐隊の手で先に弱らせた魔物に、一撃を放つよう促される。魔物は衰弱していたが虫の息というほどではなさそうだった。とどめだけ刺せば良いという程度にまで教練が儀式化しているわけではないことは知っていた。

 一か八かの賭けだったが、ディートハルトがまたがった魔物は、彼の望み通り空へ飛び立った。

 王領の森が眼下に広がる。


「あばよ」


 民間の魔物討伐者、いや冒険者だったらこう言うだろうというセリフをつぶやいて、第一王子ディートハルトは冒険者志願のディーになった。



 魔物は弱っていたので風の魔法で押し出すようにして、遠く北へ飛んだ。魔物が力尽きて落ちた地で、無駄に立派な装備を売り払い、ありふれた中古品の装備を手に入れた。

 これでどこからどう見ても一介の冒険者だろう。

 と、自分では思っていたが、ギルドに紹介してもらった冒険者パーティーのメンバーにあっさり「いい家の家出少年」と見抜かれた。十歳の女の子にまで見抜かれた。 さすがに少々落ち込んだ。


 しかし、ディーを受け入れてくれた冒険者パーティーの面々は、ディーを特別扱いなどしなかった。「新人が来たらいつもこうする」という指導を普通にしてくれた。芋の剝き方がなってないと十歳の「先輩」にだって指導された。

 いけそうだと判断されたら危険な魔物だって一人で狩らされたし、無理そうだったら最低限の補助をしてくれた。補助されるばかりではなく十歳の女の子の狩りの補助もした。ディーが王領の森でお膳立てされた魔物と同種の魔物を十歳と二人で狩ったとき、ディーは思った。


 本当に、俺は今まで何をやっていたんだ?


 十歳の「先輩」がなついてくれたおかげで、ディーはパーティーにすぐに溶け込むことができた。子犬みたいに元気な彼女はパーティーの面々にも村の人たちにも愛されていた。

 愛とは、相手がしあわせであることが自分のしあわせの条件であること。

 そう定義するなら、ディーも村の人たちと同様に、彼女を愛していた。

 祭りで意地悪を言われて傷つく彼女をどうしても笑顔にしたくてがんばった。ディーが贈った妖精のドレスを着てはしゃぐ彼女は、本当にかわいかった。婚約者に義理で高価なドレスを贈ってこんなにしあわせな気持ちになったことはない。


 手をつなぐ彼女が自分を見上げて花のように笑う。

 この笑顔は、しあわせの象徴だ。

 自分は、この笑顔を守らなくてはならない。



 ディーは——ディートハルトは、このときはじめて為政者としての意識を持った。



 自分は、この者たちの笑顔を守らなくてはならない。

 民間魔物討伐隊は厳しい家業だ。物資を得るために命を懸けて戦っているのに、それに見合った対価を得ているとは思えない。富を得ているのは上層ばかり、物資の恩恵を得ているのは王都ばかり。


 ミア、君は俺にとってこの国のしあわせの象徴だ。

 君が大人になってもずっと笑顔でいるために、できる限りのことを俺はやる。


(——でも甘かったな)


 騎士団に無理を言ってアルホフ家に同行して、目にしたあの光景。ミアは両腕を繋がれ血まみれになってぐったりうなだれていた。

 自分がよかれと思ってやったことの結果があれだ……。

 日の差す廊下に佇んで、ディートハルトは拳を握った。自分が不甲斐なかった。


(そうだ、「お頭」にも挨拶しなくては)


 裏庭に出る。

 モニカの墓のほうへ目をやると、ミアが野の花を摘んでいた。

 最初にここへ来た日と同じだった。


「ミア」


 呼びかけると、ミアは泣きはらした目をして顔を上げた。

 ずっと笑顔でいてほしかったのに、こんなに泣かせてしまった。自分がここから立ち去ることで。何もかも本当にままならないなと、ディートハルトは苦い気持ちになる。


「お頭に花を供えさせてくれる?」


 ミアは無言で手にした花を半分譲ってくれた。「ありがとう」と礼を言って跪き、モニカの墓に供える。ミアも隣に座り、残りの半分を供えた。

 ディートハルトはミアに自分の身分を伝えていない。

 騎士団に口止めされたのもあるし、何よりミアに態度を変えてほしくなかったからだ。最後まで、距離を置かず子犬みたいになついていてほしかった。


「俺、ミアに会えてよかった」


 隣のミアにそう言うと、ミアはすんっと鼻をすすった。


「これ、一生大事にするから。ミアがなでた鱗」


 紐をつけてペンダント状にした青い鱗を服の中から引っ張り出す。それを見たミアの目に、みるみる新しい涙が盛り上がった。

 ミアがすごい勢いで抱き着いてきて、ディートハルトはその場に尻もちをついた。


「うっ……うわああああああああん!」


 抱き着いたまま、豪快にミアが泣く。


 ディートハルトはなだめるようにミアの髪をなでた。日差しに映える、ふわふわした明るいオレンジ色の髪を。





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