6・覚醒ならず


 黒い箱馬車の持ち主、「旦那様」こと大商人ヤン・アルホフは怯えていた。

 この地方の冒険者から買い上げた素材を王都へ流通させる際、手数料を取る権利を領主様から与えられていたが、「少々調子に乗りすぎていないか?」との通達があったからだ。

 ほんの少し、ほんの少し金額を上乗せしていただけではないか。

 魔物から得る素材の流通にはトラブルが多いのだ。品質が安定しなかったり、魔力の残留があったりで卸先からの文句も多い。その解決をこちらが一手に引き受けてやるのだから、多少中間手数料が高くても文句を言われる筋合いはない。

 決して私腹を肥やしているわけではないのだ。決して。


 それなのに領主様は「他の商会と権利を分割する」などとおっしゃる。先々代からアルホフ家が一手に引き受けてきたこの地方の流通を! 新参者の業者と分け合うなど!

 生意気な事業者のタレコミ……いやいや、誤解に基づく意見は領主様に届かぬよう全て握りつぶして……いやいや、平定してきたはずだ。

 誰だ、由緒正しき我がアルホフ商会を出し抜いて領主に意見したやつは! ドブネズミめ。見つけたらただじゃおかない。痛い目見せてやる。


 しかし報復より先に、今は領主様をなだめねばならない。

 「価格は努力しますので、どうか権利の分割だけはご勘弁を」と懇願したところ、領主様は言った。条件しだいで考えなくもないと。

 その条件というのがまた、貴族社会を生きていない者には理解できないことだった。


 聖女を探し出して連れてこいというのだから。


 この国の貴族は、聖女が大好きだ。

 隣国ゲートルドなども含めたこの大陸にはかつて大国が存在し、その大国建立神話に聖女が深く関わっている。建国の勇者たちを癒し支え妻となったとかいう、ありがちな昔話だ。子供でも知っている。


 神話の時代から連綿と続く歴史に連なるのは貴族のステイタス。

 よって、聖女と結婚するのは貴族のステイタス。


 しかし、貴族が競って聖女と結婚した結果、聖女は貴族の家にばかり生まれるようになってしまった。聖女から生まれた女子が全員聖女とは限らないから、王家・公爵・侯爵、最低でも羽振りの良い伯爵レベルの上位貴族にしか手が届かない、稀少な高嶺の花となったのだ。

 ハルツェンバイン国の聖女など全員売約済みだ。

 だったら、外国産の聖女を探すしかない。

 外国産の聖女などヤン・アルホフにツテがあるはずもなく途方に暮れていたら、領主様は言った。


「十数年前のゲートルド国ブランケン領での戦が、近ごろ宮廷で話題になってな」


 なんでも、悪の魔術師軍団の力を封じて民を悪徳領主から救った聖女がいたとかなんとか。聖女は怪我や病気を治すものだと思っていたヤンだが、古い記録によると魔力を封じたり呪いを解除したりする聖女もいたらしい。なるほど、その能力も癒しに負けず劣らず聖なる力というかんじがする。封印・解除の聖女は絶滅してしまったとされるが、どうやら隣国に生き残りがいたようだ。


 しかし、その生き残りをどうやって探せと?


「その聖女らしい人物に会ったことがあると、最近ある貴族が言ってな。その貴族は我が領地に滞在していたことがある」と、領主様は声をひそめた。


「キュプカ村のあたりだ。アルホフ商会の管轄地だろう? 十数年前、魔力のある魔物を数多く狩った民間魔物討伐隊はないか? 聖女の魔力封印の力が関係しているかもしれない。魔素材の買い上げ記録くらいあるだろう。調べろ」


 かくしてヤン・アルホフはモニカにたどりつき、ミアにたどりついた。

 モニカは死んでいるが娘がいると領主に告げたところ、「若いほうが望ましい」と笑っていた。まだ十歳だぞ? 変態めと思ったが、逆らう気はさらさらない。


 さらって内密に引き渡せば自分の仕事は終了だ。

 面倒な仕事はさっさと済ませることにした。ちょっとばかり人目についたところで、背後には領主様がついている。この地方で一番えらい人が。



     *****



 ミアが目を覚ますと、そこは見たこともない金持ちの部屋だった。

 ミアの右には大きくて重そうで丈夫そうなチェストがあり、ミアの左には大きくて重そうで丈夫そうな長椅子がある。

 そしてミアの右手を縛るロープはチェストの足に繋がれ、ミアの左手を縛るロープは長椅子に繋がれている。

 これでは身動きができない。自分の鼻を掻くことすらできない。

 胸元を見たら服が血でべっとり汚れていてギョッとしたが、どこも痛くない。嚙みちぎってやった敵の血だと思い当たった。やりすぎたかもしれない……。


「起きたかね」


 声のほうに目をやると、裕福そうな身なりの小太りの男が椅子に座っていた。こいつが「旦那様」かとミアは思った。


「手荒な真似はしたくないんだが、君が手荒だ」


 イライラした顔つきで男が言った。


「人さらいのほうが手荒だと思う」

「口もへらない。本当に聖女か」

「聖女じゃないから帰して」

「まだわからんじゃないか。十歳だろう? 聖女の力の覚醒は十六歳までだ。魔法使いと同じだ」

「聖女なんて知らない」

「私だって知らん。だが、君には想像もつかないようなえらい人が、君の世話をしたいと申し出てくださっている」

「こういうのは申し出とは言わない」


 ミアは両手のロープを引っ張った。ミアが全力で引っ張ろうが、重いチェストと長椅子は微動だにしない。


「本当に口がへらないし小賢しいな。狂暴だし。この状況でぐーすか寝るし。この子猿のどこが聖女だ」

「子猿だから帰してよ!」

「君が子猿か聖女か決めるのは私ではない。君には想像もつかないようなえらい人が決めることだ。もうすぐえらい人の使いが迎えに来るから、大人しく待つんだ」

「わたし行かないよ」

「使いに言え」

「もう帰る」

「だからえらい人の使いに言えと言うのに。今後君の身の振り方はえらい人が決め……」

「帰るって言ってんの! なんでどこの誰だか知らないえらい人にわたしのこと決められなきゃいけないの!」

「聖女の末裔だからだ」

「聖女の末裔だとえらい人が決めるっての?」

「そうだろう。王都の聖女もそんなものだ。儀式で聖女と認められたら、すぐに嫁ぎ先が決まる。上位貴族のご令息が聖女を娶ろうと順番待ちしているそうじゃないか」

「……気持ちわる」

「そこは私も同意する」

「そのえらい人って順番待ちあぶれたの? 実はそんなにえらくないんじゃない?」

「この子猿は本当に……。おい、それえらい人に言うんじゃないぞ」

「言わないよ。帰るから。聖女じゃないから帰して」

「堂々巡りだな」


 小太りの「旦那様」は椅子の背にもたれ、大きくため息をついた。

 そして小生意気な子猿の相手をするのはもうやめようと決めたのか、腕を組んで何もしゃべらなくなった。


「帰るー! ロープはずせー! 帰るー! 帰るってば! かーえーるー!」


 ミアは足をバタバタさせた。しかしどう足掻いてもロープは緩まない。


「誰かたすけてー! 人さらいだよー! 旦那様は悪人です! 子供さらうなんて最低! 最低最低最低! もうやだ帰るー。帰るー。帰りたい。帰してよう。聖女なんかじゃないのに。聖女なんか知らない。わたしは魔物狩りのミアだよう。冒険者のミアだよう。聖女なんかじゃない。聖女なんかじゃない……わたしはガウのパーティーの……ガウとエリンとクリンの……ディーの……」


 だんだん涙声になってきた。

 本当に、誰だか知らないえらい人のところへ連れていかれてしまうのだろうか。

 このまま連れていかれて戻れなくなってしまうのだろうか。

 キュプカ村のアジトに帰れなくなってしまうのか。生まれ育ったあの家に。


「やだ……嫌すぎる……。帰りたい……ぐすっ。わたしは聖女じゃない……聖女になんかならない。聖女になんか絶対ならない……」


 頭がぼうっとしてきた。

 腕も痺れてきた。縛られているせいだと思ったが、鼓動もはやくなってきた。さっき出たばかりなのに、またあれが出るのだろうか。

 魔力発現の予兆が。


 もし——予兆で済まずにこのまま覚醒してしまったら。魔力封印の魔法を発現してしまったら。

 「伝説の聖女」にされてしまう。

 そうなったらもう、みんなのところへ帰れない。


(やだ。覚醒したくない)


 ミアは予兆を推しとどめようとしたが、止め方なんてわからなかった。大波のように痺れと鼓動が押し寄せては引き押し寄せては引き、だんだん大きくなってくる。このままどこかへ押し流されてしまいそうになる。


 ぼうっとした視界の中で、大波から幾本もの紐のような糸のような筋が伸び、ミアを絡めとろうとするのが視えた。


(やだ)


 頭の血が下がっていくのがわかった。視界が荒く乱れ、このままでは昏倒してしまう。糸が躰に絡みつき、力が入らなくなって頭が勝手にうなだれたが、ここで気を失ったらきっと何かが変わってしまう。

 不気味な糸に捕らえられ、身動きできなくなってしまう——。


「やだあっ!」

「ミア!」


 ミアが叫ぶと同時に、バン!と大きな音を立てて扉が開いた。


 ディーの顔が見え、ミアの波が砕けた。

 波から立ち上る糸のような筋が、ミアの躰からすうっと消えた。

 大波が引いた。綺麗さっぱり、さあっと。

 嘘のように痺れが消えた。寝落ちしないときはいつも徐々に消える痺れと動悸が突然消えた。こんなことは予兆を感じて以来はじめてだった。


「あ……ディー。ガウも」

「てめえミアに何した!」


 ガウが「旦那様」をぶん殴っている。拳が肉を打つ重たい音と椅子が倒れる大きな音。


「ミア……ああミア! なんてことだ、血がこんなに」


 ディーがミアの前に跪いた。泣きそうな顔でミアの頬をなでる。


「殴られて口を切ったのか。ああしゃべらないで! 傷にさわる。ガウさん、ロープを切って」


 ガウが腰に下げたナイフを取り出し、ミアの両腕を縛るロープを切った。自由になったミアをディーが抱き寄せる。ディーは肩をふるわせ、泣いているみたいだった。


「ごめん、俺のせいだ……」


 絞り出すようにディーが言う。


「へ?」


 ディーのせいとは? 

 ディーが伝説の聖女になにか関係していただろうか? なにも話してないのに?


「それってどういう……」

「しゃべらないで! 痛いだろ? 俺がアルホフ商会を嗅ぎまわったせいでミアがみせしめに」


 アルホフ商会?

 みせしめ?

 なんの話だ?

 それにどこも痛くないけど?


 訳がわからないのでガウのほうを見ると、ガウは唇に人差し指を当てて「シーッ」の動作をした。ディーの言う「痛いからしゃべらないで」とは意味の違う圧を感じた。


「貴様かドブネズミは。おかげで私はこんな余計な仕事をするはめに……」

「ネズミがいた自覚があるんだ? やっぱりね」


 ディーが冷たい視線を「旦那様」に向ける。


「おいっ! 賊だぞ! 何をやっているのだ早く取り押さえろ!」


 床に這いつくばったまま「旦那様」が大声で怒鳴った。

 ドアのすぐそばで待ち構えていたように、即座に数人の足音が部屋に入ってきた。

 チンケな「旦那様」の手下にしては立派な騎士たちである。思わずかっこいいと思ってしまったミアだが、すぐにヤバいと思った。

 こんな強そうな騎士たちに、老人と少年と子供が勝てるわけないじゃないか。


「だっ、誰だ君たちは!?」


 「旦那様」が驚き慌てている。


(あれっ? 手下じゃないの?)


「ミアの保護を頼む」


 ディーが命じるように言うと、心得た動きで騎士の一人がミアを横抱きに抱き上げた。そのまま部屋を出て行こうとするので「えっ、ちょ、待って」とミアは一応の抵抗を試みたが、どうやら敵ではなさそうなので暴れはしない。

 ディーとガウと「旦那様」と謎の騎士団?が残る部屋が気になってしかたがないのに、ミアはそのまま速やかに部屋から連れ出されてしまった。

 ミアを抱きかかえる騎士が痛ましそうな顔でミアの口元を見る。触ってみると、口のまわりに乾いたなにかがくっついている感触があった。血だ。

 わたしの血じゃないですよと言おうと思ったが、敵の手を食いちぎりましたとも言いづらい。ミアはそのままだんまりを決め込んだ。



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