5・黒い馬車に乗せられて


 それからしばらくは何事もなく日々が過ぎた。

 痺れや眠気などの異常は出るが、ミアの魔力が覚醒することはなかった。

 ディーに「どう? 魔力覚醒しそう?」と訊かれたときミアは一瞬言葉に詰まったが、「いやあ、まだっぽいよ」とかなんとか言ってごまかした。

 ガウからは「わかってるとは思うが、ディーに魔力の種類は言うなよ」と口止めされている。

 本当は隠しごとなんかしたくなかった。

 でも、ディーのほうだって身元を隠しているのだから仕方がない。


「魔力の発現は十五歳までなんでしょ。そんなのまだまだじゃん?」

「十五歳で出る人は少ないよ。十二歳くらいが一番多いって」

「ふーん。でもまだ二年あるじゃん?」

「俺は十歳だったぞ。ミア、あんまり覚醒したくなさそうだね。怖いの?」

「だ、だって、だってさ。たとえばいきなり火属性魔法ぼわわわーっ!とか出ちゃったりしたら火事になるよ」

「ああ、確かに……」


 ディーは何か思い出したように遠い目をした。


「ディーは風属性だから、部屋に竜巻が通ったみたいになったりした?」

「なったな」

「やっぱ怖いじゃん!」

「大丈夫だよ。ガウさんがいるでしょ」


 俺がいるでしょとは言ってくれないんだなあああ。ミアは少しがっかりした。今、ディーはガウのアジトにミアと三人で暮らしているが、この暮らしがいつまでという取り決めはない。立派な従者がディーを連れ戻しに来る未来も全然消えてない。


 そんな日々の中、ミアは嫌な噂をきいた。

 近頃、下の街や村の近辺に家紋のない不審な黒い箱馬車が来るという。

 ミアは怯えた。ミアが恐れる想像上のディーの従者は、大きな黒い箱馬車に乗ってやってくるのだ。箱馬車はミアにとって上流階級の象徴なのだった。



*****



 ガウは街の道具屋に買い出しに来ていた。傷薬や包帯など細々したものを選んでいると、店内にいた若い冒険者たちが立ち話を始めた。


「めっちゃいい家に仕えてそうな騎士に会ってさ。はじめて見たわ、本物の騎士。シュッとしててカッコよかったなあ」

「ええ~。こんな田舎になんの用だろ?」

「人探しみたいよ。人相書き持ってた。十五歳くらいの、褐色の髪の少年見ませんでしたかって」


 ガウは商品を選ぶ手を止めた。

 重い幕が下りるように沈鬱な気持ちになり、いよいよ来たかと観念した。


「その騎士って黒い箱馬車に乗ってた?」


 別の客が口を挟む。


「いや、馬車は見なかったけど」


 ガウは支払いを済ませ、店を出た。

 ディーほどの教育を受けた少年が、そこらの民草であろうとは元より思っていない。危険人物ではなさそうなので、冒険者の流儀として身元や事情は訊かないでいるが、そろそろ知らされる頃合いかもしれない。


 それとも何も言わずに行ってしまうだろうか。


(ミアが泣くなあ)


 自分は星の数ほど出会いと別れを繰り返して生きてきた。でもミアはまだ、特定の人物に強く執着を持つ普通の子供だ。


(なんと言ったもんかな)


 自分が道具屋を見ている間、ミアは街道沿いの路上市場を見ているはずだった。ミアの姿が見当たらないのできょろきょろしていると、街道を馬車が通る音がした。


 紋章のない黒い箱馬車。


「ねえ、ねえ、騎士様、さっきの馬車——」


 息を切らし、切羽詰まったような子供の声がする。子供はその場にいる一番権威のありそうな人物を選んで声をかけたようだ。

 このあたりではまず見ない、大貴族に仕えていそうな立派な騎士の二人組。若いほうは見事な白馬を連れている。


「どうしたんだいぼうや?」

「さっきの馬車、人さらいだよ。女の子を連れていっちゃった」

「なんだって?」

「女の子嫌がってたよ。口をふさがれて、無理やりマントにくるまれて」

「大変だ。でもおじさんはこの街の騎士じゃないんだ。役場はどこだい? 急ごう」

「待て、待てぼうず!」


 場に飛び込んだガウが子供の肩をつかむ。


「その女の子ってなあ、十歳くらいでオレンジの髪か?」

「うん」


 ガウの剣幕に子供が怯えて答える。

 ガウは騎士の白馬に目をやった。

 奪うか。

 奪って馬車を追いかけるか。街道は一本道だから今なら追い付ける。


 ——いや待て。


「騎士様、その女の子ってなぁ俺の仲間で。もうひとり新入りの仲間がいたんだ。十五歳で、褐色の髪の少年で。どっちの姿も見えねぇ!」


 嘘だった。ディーは街に連れてきていない。今は村にいるはずだ。

 屈強な二人組の騎士から馬を奪うのは老体の自分には難しい。咄嗟の判断だった。 

 ガウの言葉に騎士たちは一瞬顔を見合わせたが、決断は早かった。


「追いかけろ!」


 騎士の一人が馬に飛び乗り街道を行った。

 残った騎士がガウを見る。


「その少年について、あなたにお伺いしたいことがあります」



     *****



「出せ! 出せこらあああああ!」


 ミアは馬車の中で暴れに暴れた。口をふさいでる手に思いっきり噛みついてやった。じゅわっと血の味がしたから食いちぎったかもしれない。知ったことか。


「このガキ! おとなしく……」

「するわけないだろ! バアァァァーカ!」

「話がちがう! 聖女を保護するって話じゃなかったのか!?」

「聖女? なんじゃそら! わたしゃ魔物狩りガウ組のミアだよ!」

「聖女じゃないのか!?」

「ない!」


 知ってるのは俺とエリンとクリンだけとか言って、しっかり知られてるじゃないか! ガウのバカ! と内心罵りつつ、自分の身がヤバいことはわかる。


「とりあえず連れて行って旦那様にお伺いを立て……でえ!」


 ミアの拳が敵の顎に炸裂する。御者を除くと敵は二人だったが、一人はミアが噛んだ手から激しく流血していて戦力にならない。子供だからって舐めないでほしい。こちとら魔物と戦って鍛えているのだ。「旦那様」なんかに仕えているお屋敷住まいごときに……。


(あっまずい。こんなときに)


 もう一発拳をお見舞いしてやろうと思ったら腕がだるくなった。次いで痺れが来て、動悸がして……。


(眠い。うそでしょこんなときに。予兆止まれー!)


 願いもむなしく、ミアはその場に昏倒した。




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