13・二番目の姉は三番目の姉が大嫌いらしい


 ミアがカレンベルク公爵家に来て一週間経った。

 食事はあいかわらず小食堂に隔離されている。朝食はフローラが来て一緒に食べてくれるが、昼食と夕食はマナー講師に厳しく指導されながら一人で食べている。

 カレンベルク公爵と三姉妹は家族揃って食事しているのだろうか。

 姉たちの個性が違いすぎて、一家団欒の図が想像できない。


(そう言えば、お姉様たちが一緒にいるところって見たことないな)


 広い屋敷である。会う気がなければいくらだってすれ違って生活できそうだ。三部屋と居間と台所しかないガウのアジトとはわけが違う。

 ミアが一人で立ち入るのを許されているのは自分の部屋と小食堂と客用浴室、夕食の時間までの図書室と庭園の西側、以上である。


 たまにドロテアの執務室に呼び出され、キュプカ村での暮らしやマナーの習得状況について訊かれたり、家庭教師を探しているところだと告げられたりした。

 そして今日も、昼食前にドロテアの侍女が呼びに来た。

 いよいよ家庭教師が決まったのだろうか。


(ガウが勉強しろって言うからやるけど。めんどくさいな~)


 侍女に続いて執務室へ入ると、ドロテアのほかにもう一人いた。ドロテアの婚約者アウレールだ。


「あれっ」

「あれっ、ではありません。ご挨拶なさい。バーマイヤー侯爵家ご子息、アウレール・バーマイヤー様です。面識があるそうですね」

「庭で会ったんです」

「『お庭でお会いしました』。口のきき方に気をつけなさい」

「お庭でお会いしました。ごきげんようバーマイヤー様」

「ごきげんようミア様。アウレールで結構ですよ。今日もお元気そうでなによりです」


 ドロテアはいかつい表情をしているが(いつもだ)、アウレールはにこにこしている。ちょっとほっとする。


「今日はアウレール様が昼食をご一緒してくださいます」

「えっ」

「えっ、ではありません」

「でもわたし、マナーが」

「先生がだいぶ形になってきたとおっしゃっていました。ためらわずとも大丈夫です。アウレール様は身内のような方ですから」


 身内のような方と言いながらアウレールを見るドロテアの目は、いつもより優しかった。姉を見る婚約者もくつろいだ顔をしている。


(ふむふむ。なるほど)


 この二人はミアが思っていたより親密そうである。ドロテアがおっかないタイプだから、周りが決めたうわべだけの婚約者かもしれないと思っていたがそうでもなさそうだ。


「じゃあよろこんでご一緒します」

「『ではよろこんでご一緒させていただきます』」

「ではよろこんでご一緒させていただきます」


 ドロテアに言葉づかいを直されるのも慣れてきた。いちいちムッとしていたら疲れてしまう。言われたとおりに言っておけばサラッと終わるのだ。アウレールも庭で会ったときより丁寧な言葉づかいになっている。ドロテアの前だからだろう。


「それともう一つ。あなたの家庭教師が決まりました。来週から日曜日以外の午前中にいらっしゃいます。まずは語学と歴史の基礎を教わります。数術はフローラの先生が週に二度、午後一時から見てくださいます。数術の先生がいらっしゃらない日は宿題をやるように」

「はあ……」

「返事は『はい』ですよ、ミア」

「はい」

「貴族の子女として恥ずかしくない最低限の知識を身につけるところから始めましょう。フローラの話では、文字は読めるようですね。本は好きですか?」

「はい」

「良いことです。フローラが読書の良い導き手になってくれることでしょう。アウレール様も読書家でいらっしゃいます。いろいろ伺ってみるといいですよ」

「へえ~」

「へえ~、ではありません。それから、アウレール様のお話では、あなたは体を動かすことが好きなようですね」


 ミアは思わずアウレールをにらんだ。ほうきの柄でこっそり素振りをしている件は内緒にしてと言ったではないか。

 アウレールは小刻みにぷるぷると首を振った。そこまでは言ってない、ということだろうか。


「ミア、どうしました?」

「なんでもないです」

「わたくしは、女性にとっても適度な運動は良いことだと思っています。ゆくゆくはあなたもダンスのレッスンを受けることになりますが……」

「えー。ダンスぅ~?」

「えー、ではありません。ダンスでは不満ですか?」

「はい!」

「はっきりと言いますね……。では、なにかやりたい運動がありますか?」

「えーっと、今やりたいのは体力づくりに庭のまわりを走ることと、部屋のテラスから東屋までダッシュすること、木の枝で懸垂と、それと、それと……」


 ミアは目をまるくしているドロテアを上目づかいでおそるおそる見ると、思いきって切り出した。


「剣術、とか……」

「剣術」

「はい」

「……騎士にでもなるおつもり?」

「いえ、冒険者……ていうか魔物討伐隊員?」


 ドロテアは眉間のしわを深くし、目を閉じて苦悩の表情になってしまった。




 運動の話はそのまま保留になってしまった。剣術を切り出すのは早すぎたとミアは反省した。カレンベルク家お抱えの騎士団があるのだから、ちょっと訓練にまぜてもらえないかと思ったのだが、令嬢の身では難しそうだ。


(ディーの剣筋がきれいだったからさー。わたしもあんなふうに「正統派」の剣をふるってみたいじゃん?)


 いつかまたお願いしてみよう。それまでは仕方がない、剣は独学か。それとも……。


「アウレール様は剣をたしなまれるのでしょうかー」


 昼食のテーブルでミアは話を振ってみた。


「いや、僕は全然」

「そうですかー……」


 アウレールにこっそり習う手もあると思ったのだが、残念だ。考えていることを見抜かれたのかドロテアがじっと見てくるので、ミアはあわてておすすめの本の話に切り替えた。


「そうですね、ミア様はどんな題材がお好きですか?」

「うーん、悪い魔物や悪い王様をやっつけるやつです」

「なるほど。それならたくさんおすすめがありますよ」

「……ミアには、歴史に絡めた話など学習の補助になる作品をおすすめください」


 ドロテアが若干眉間にしわを寄せがちだったが、昼食の席は楽しかった。アウレールとは上手くやっていけそうで、ミアはすっかり安心した。

 そして、こんな穏やかな好青年に苦手がられるなんて、アンネリーゼは一体なにをやったのだろうという疑問がむくむくと大きくなってきた。




 誰かがいつでも構ってくれるわけではないので、今のところミアには暇な時間が多い。環境にも慣れてきて暇とあれば、好奇心のままに動いてみたりもするわけで。


(あっ、アンネリーゼお姉様だ)


 ある日の夕方、薔薇の東屋の屋根伝いに木に登っていたら、アンネリーゼが侍女を連れて庭を散歩しているのが見えた。

 いや、散歩にしては妙に早足である。後をついてくる侍女などたまに小走りになっている。またお忍びでお出かけだろうか。

 でも一家のプライベートエリアである西庭に馬車止まりはない。アンネリーゼが外出時に身に着ける帽子やケープも見えない。

 異様な早足は、急いでいるというより怒っているように見えた。そしてこの薔薇の東屋に向かってきている。


 ミアはするすると木から降り、東屋の中が見渡せそうな灌木の陰に潜んだ。覗き見する気満々だった。

 ミアの予想通り、アンネリーゼと侍女は東屋にやってきた。アンネリーゼが石のベンチに座り、侍女は立ったままだ。


「ここなら文句ないでしょ。誰も聞いてないわ。まったく侍女の分際でこのわたくしを連れ出すなんて。これだから下級貴族って嫌よ。あなただってお里に帰ればそこそこのお嬢様なのでしょうけど、ここは王都で、名高い公爵家で、あなたの主人は聖女であるこのわたくし。そしてあなたは『名家で行儀見習いした』って経歴が欲しいだけの役立たずよ。下賤な平民の使用人のほうがずっとましね。ちゃんと仕事するもの」

「わ、わたしはきちんとつとめを果たしております……!」

「あなたがつとめを果たしているかどうか判断するのはわたくしなの。マリーあなた、そんなこともわからない子だったのね。あきれたこと。もう田舎へお帰りになったら?」

「言われなくとも帰ります! わたしもう嫌です……。公爵様に黙ってあやしげな夜会に連れ出されたり、聖堂に仮病を報告させられたり——」

「仮病? わたくしは一度だって仮病なんて使ってないわ?」

「聖堂へおつとめも行かずにダンスパーティーへ行ってもですか? 仮病じゃないですか!」

「本当にあきれた子ね。聖女のことがなにもわかってないのね。聖女の力は特殊なの。傷や病を治すのよ? 日常生活に支障はなくとも、ちょっとした不調で力が発揮できなくなるの。仮病呼ばわりしないでほしいわ。欠片も聖女の力を持たない下級貴族の、なにもできない無能力者が、一体なにを言うのかしら? 身の程知らずってこのことね。あなたは侍女失格よ。さっさと田舎へ帰って結婚でもなさい」


「そうするつもりだった……そうするつもりだったわ!」


「口のきき方まで忘れたの? 今すぐ消えて。不愉快だわ」

「わたし知ってるんだから。あなたが騎士をたぶらかしてるの。第一王子と婚約してるくせに、お抱えの騎士を誘惑したのよ。騎士だけじゃないわ、エッカルト子爵もよ。夜会のとき子爵と個室でなにしてたか、わたしが知らないとでも思ってるの? 第一王子は問題児なんでしょ? わがままで、騒動ばっかり起こして、王位につくのは第二王子じゃないかって言われてるから、王妃になれないかもってイライラしてるんでしょ? だからって気晴らしにお付きの騎士をおもちゃにしないで! 不潔だわ!」

「ふうん。あなたってデニスのこと好きなの」

「な……っ」

「そう言えば同郷だったわね。もしかして恋人だったのかしら。結婚するつもりだったって彼のこと? あのね、デニスはわたくしに忠誠を誓ってくれているだけよ? 『我が命に代えてでも一生お守りします』と言ってくれているけれど、あなたから奪ったわけじゃないでしょう? 聖女の騎士として立派だってだけですもの」


 アンネリーゼは勝ち誇ったようにうっすらと笑い、侍女を見上げた。


「命に代えてでもって……そんなことを彼があなたに……嘘よ……」

「嘘だと思うならデニスに訊いてみればいいじゃない。ついでに、わたくしにおもちゃにされてるかどうかも訊いてみたらどう? なんならわたくしが訊いておいてあげるわ。マリーが、第一王子がわがままな問題児だからわたくしが気晴らしにあなたをたぶらかしてるって言うのだけれど、どう思う?って。そうね、決めたわ。訊いてみるわ。今すぐ騎士の詰所へ行って、みんなの前で訊いてみるわ。ふふふふ」


 アンネリーゼは笑いながらすっと立ち上がった。東屋を出ようとしたところでマリーがしがみつく。


「やめて……!」

「その卑しい手を放してちょうだい。殿下とわたくしを散々侮辱しておいて、相応の恥をかいたらいいのよ」

「だってあなたが悪いのよ。エッカルト子爵とだって」

「エッカルト子爵とわたくしがどんなだったの? 見たとおりに言ってみなさい」

「見てはいないわ……。でも、個室に籠っていやらしい声で」

「ふぅん、いやらしい声ってどんな声? 言ってみて?」

「……」

「真似して言ってみて?」

「……もういい! もういいわよ! どうせわたしがバカなのよ。あなたには何を言っても無駄なのよ。良心がないんだもの!」


 侍女はそう言うと、膝から崩れ落ちて石の床に突っ伏し、しくしく泣き出してしまった。

 アンネリーゼは侍女を一瞥すると、鼻で笑って「本当にバカね」と言い残し、さっさとその場を立ち去ろうとした。


 しかし。


「フローラ様の侍女なら良かった」


 侍女がぼそっと漏らした一言に、アンネリーゼは足を止めた。


 そして侍女マリーを見下ろすその表情に、ミアは隠れているもの忘れてあやうく「ひっ」と声を上げるところだった。

 図書室で見たおどろおどろしい絵物語の、海中深くに住む魔女がこんな恐ろしい顔をしていた……。


 アンネリーゼの悪鬼の形相が見えていない侍女は、突っ伏したまま言葉を続ける。


「クララがうらやましい。フローラ様のおそばで毎日楽しそうで……。わたしもフローラ様にお仕えしたかっ————ぎゃあああああああ!」


 侍女の凄まじい悲鳴が上がると同時に、ミアは我を忘れて灌木の陰から飛び出した。



 アンネリーゼの靴の尖った踵が、侍女の手の甲を貫いたのだ。



「なにすんだおまえ!」

「きゃあ!」


 ミアはアンネリーゼを突き飛ばした。悲鳴を上げて倒れたようだが知ったことではない。


「ああああ、あああ」


 侍女は言葉にならない声を上げて目を見開き、肉の穴の開いた右手を茫然と見ている。白い石の床にぼとぼとと鮮血が滴った。


「今止血を」


 ミアが止血用の布を裂こうとスカートに手をかけたそのとき、アンネリーゼが立ち上がってミアを押しのけた。


「どきなさい」


 アンネリーゼは侍女の穴の開いた手を乱暴に掴んだ。


「痛っ……痛い…………え?」


 ジュウウウウと、水が急速に蒸気になるときのような音がした。一瞬だった。


「痛い? 何が痛いの?」

「……え? 何? どういうこと? え?」


 侍女の手は元通りになっていた。なめらかな肌にかすり傷ひとつない。


「白昼夢でも見たのではなくて? 次は夢で済むかわからないけれど。でもよかったわね、次なんかないわ。あなたクビだもの」


 侍女は自分の右手を見つめながら震えだし、すっかり縮こまってへたりこんでしまった。恐怖のあまり歯の根が合わないのか、カチカチと小刻みな音がする。


 ミアはゆっくりと、侍女からアンネリーゼに視線を移した。

 なんということだ。この聖女は——。



 この癒しの聖女は、まるで魔女だ。



「おまえ、自分がやったことわかってんのか?」


 自分でもびっくりするような低い声が出た。怒りがふつふつと滾る。


「おまえ? 誰に向かって言ってるのかしら。あなたこそ自分の言っていることがわかっているの?」

「わたし、このこと黙ってないから」

「好きにしたら? 下賤な子供の言うことなんて誰もまともに聞かないわ」

「下に血の跡が残ってる。これ証拠でしょ」

「ああこれ? これね」


 アンネリーゼはドレスの胸元に挟んでいた扇を取り出した。顔を覆って動揺を隠すのかと思ったら、違った。


 バシッ。


(痛ぁ)


 攻撃が予想できなかった。ミアは気合で声を出さなかったが、まっすぐ前を向いていられなかった。衝撃で横を向いた先に、血が飛び散った。扇で鼻を殴られたのだ。


「これは全部、あなたの鼻血」


(この女ああああ!)


 ミアはアンネリーゼを思い切りにらみつけた。ほうきの柄の木刀がここになくて良かった。あったら反撃してしまっていた。未来の王妃を、ボコボコになるまで。


「治さないわよ」

「治されたくない。おまえなんかに」

「なんでも好きに言っておけばよくってよ。あなた明日には、ここにいないもの」



 追い出されるのだ。ミアはそう思った。

 その予測が大変甘いものだったことを、その夜に知るのであるが。




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