全ては白い部屋で
朝凪空也
全ては白い部屋で
白い部屋で白いシーツに縫い留められた体が重い。
白い天井はいつ見上げても同じ。
この部屋で私は世界中の人々から遠く離れてしまったように感じる。
私を必要とする人などどこにもおらず、社会から隔絶されていると感じる。
ここには静寂がある。
いつでも雨が降っているかのような沈黙がある。
鬱々とした孤独がある。
誰も助けてはくれないのだと私は知っている。
目を閉じる。
言葉で説明するには少々複雑な思考的操作を経て、私は別の世界へ降り立つ。
電脳世界に降り立つ。
自身の重い体から解き放たれて、私は自由な姿の自分になる。
アバターと人はそれを呼ぶ。
私はこの姿こそを私と呼ぶ。
走り回ることも、飛び跳ねることも、空を飛ぶことだってできる。
私はこの世界に帰るたびに、初めて肺呼吸を覚えた人魚のように感激する。
脱皮して初めてはばたくチョウのように腕を広げる。
思い切り叫びたくなる。
人と出会う。
この世界で、私にはたくさんのフレンドがいる。
「友達」とは、私たちはあえて言わない。
フレンドに挨拶をする。
この世界で私は音声言語に限らず様々な言語を覚えた。
この世界独自の共通言語を作ろうという向きもあったが、それはまだ実現していない。
今日はゲームをすることになる。
星の数ほどあるゲームの中でも、競技性の高いゲームだ。
このゲームが私は少し得意である。
皆一様に競技用のアバターに着替える。
規格が同じアバターに着替えるこの場所には、限りなく平等に近い世界がある、と私は感じる。
このゲームには様々な人のために細やかなアシスト機能がある。
思考に少し霞がかかる。
このゲームにはプロチームもたくさんある。
私もプロに誘われたことがある。
しかしプロになるには、私がこの世界にいられる時間は短すぎた。
体が少し重く感じる。
ベッドに横たわる体を思い出してしまう。
頭を振る。
ゲームに集中する。
楽しい気持ちに集中する。
一試合だけ終えて私は離れる。
今日は負けてしまった。
しかしスポーツのあと特有の、高揚した気持ちのままで別のフレンドの輪に混じる。
この気持ちを私はこの世界でしか知らない。
フレンド達から離れる。
今日の私は終わり。
また思考的な簡単な操作をする。
電脳世界を離れ、私の体は再び重くなる。
白い天井はいつ見上げても同じ。
長く長く息を吐き出す。
空気までもが重いように感じる。
次にあの世界に帰れるまで、ときに永遠とも感じられる時間を、私はこの体に付き合ってやる。
・・・ --- ・・・ ・・・ --- ・・・ ・・・ --- ・・・
精緻な植物柄の壁紙、天井はダークブラウンの板張りの部屋。
ピピピと響く短い電子音。
私はハッとして、広いデスクに置かれた二十七インチのモニター四枚にめり込みそうなほどにかしげた体を椅子の背もたれに引き戻す。
瞬きを繰り返す。
ブルーライトカットのPC専用眼鏡を外し、目を閉じて眉間を揉む。
今日もよく働いた。
すっかり室温になっているであろうコーヒーの入ったマグカップを手に取ると、コバエが一匹浮かんでいて顔をしかめる。
流しに捨てに行くために立ち上がりながら、オンラインだったフレンドに宛ててチャットをする。
「やっと終わったー!」
「おつかれ」
「今日インする?」
「もういるよ」
「オッケー、すぐ行くわ」
流しに捨てたコーヒーの代わりに、グラスに注いだ水をひといきに飲む。
軽くストレッチをして、お気に入りの深紅のソファーに寝転んだ。
目を閉じて、思考的操作を数度。
私のプライベートルームにアクセスする。
フレンドは今は眠そうなウサギのアバターだった。
左右に首を揺らし何回かに一度ガクンと寝落ちする、という一連の動作を繰り返している。
話を聞くに、どうやらフレンドも仕事が大変だったらしい。
近況報告をする。
毎日のようにこの世界で会っているので、近況も何もないけれど。
現実世界でのお互いの国のニュースについて報告する。
それから週末に行くこの世界でのライブイベントについて細かい予定を決める。
電脳世界のライブには現実世界ではできない演出がたくさんあるから、それを見るのが楽しみだ。
ところで、今私がこの世界でハマっているのは、限られた空間で、その時々のテーマに合わせて、無数にある家具を配置していくゲームだ。
このゲームはインテリア好きの間でとても人気があって、プレイヤー数が多い。
私はコンテストに応募したこともある。
参加賞しかもらえなかったけれど。
上位入賞者の部屋は現実世界で原寸大に再現されて展示されている。
とても羨ましい。
下位入賞者の部屋は3Dプリントされて、これもまた展示される。
作成した部屋を個人で3Dプリントして楽しむ人もいる。
私も3Dプリンターを買おうかどうか最近少し悩んでいる。
私の頭の中の想像の部屋が、現実に立体物として手に取れるようになるというのは、とても魅力的だ。
ただ私の現実の部屋はプリンターを置く場所もなければ、縮小版とは言え「プリントした部屋」を置く場所など更にないのだった。
私たちは部屋が完成すると、たくさんのスクリーンショットを撮って、専用のWebサイトにアップする。
そして電脳世界で今日のようにフレンドを招く。
全体公開にする人もいるけど、トラブルになるのが嫌なので、私の部屋はいつもフレンド限定公開だ。
フレンドとの雑談で仕事の愚痴も尽きた頃、ふと、以前熱心に遊んでいたe-sportsのゲームの話になる。
e-sportsで遊ぶのはまあまあ楽しかったけれど、結局のところ、試合を見ながらのんびりだべっているほうが私の性に合っていた。
今はもっぱらプロの試合を観戦して楽しんでいる。
それはこの世界でのこともあれば、現実世界でビールとツマミ片手でのときもある。
そういえば、そのゲームで毎日一度だけ試合をするフレンドがいた。
私はその人からそのゲームについて教わった。
その人はとてもそのゲームが上手だった。
今どうしているだろう。
気になってフレンドリストを開いて見てみる。
その人の名前はなくなっていた。
アカウントを替えたのか、ブロックされたのか、それとも。
私たちにそれを知るすべはない。
フレンドは「友達」ではないからだ。
誰かに尋ねるほどのことでもない。
この世界ではよくあること。
フレンドと肩をすくめあって、話題はすぐに次へと移っていった。
全ては白い部屋で 朝凪空也 @asanagikuya
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