第27話

事務所の埃をかぶっていた台所を綺麗に掃除し、幸弥が手際よく調理を完成させていく様子を葉子は感嘆の眼で見つめていた。

「幸弥、調理もできるんだ」

 照れくさそうに幸弥は頬を掻いた。

「大蔵商会は大所帯だからな、下っ端のころは飯の用意もやんなきゃならなかったんだよ」

 事務所にあった食材を勝手に借用し、有り合わせの料理で二人は食卓に着いた。

「いただきます」

 手を合わせるや否や、即座に飯を掻き込むようにして食べる幸弥に比べて、葉子の箸の進みは遅い。幸弥は怪訝な顔で箸を止めた。

「どうした」

 顔に影を落として、葉子は俯く。

「私、良いとこ見せられてない」

「俺にか?」

 こくりと頷く葉子に幸弥は笑いかけた。

「よせよ、その程度でどうこう言う様な男になった覚えはないぜ」

 葉子の表情は浮かないままである。

 幸弥は、葉子と自身の顔面が至近距離にまで接近した先ほどの光景を思い出す。

 葉子が恋心を自身に向けていることに、幸弥は気が付いていた。そして、その思いに幸弥が答えることはない。

「覚えてるか、俺と葉子が出会ったときの事。

 あの頃より印象が悪くなることなんてないだろ」

「……食事中にその話はやめて欲しい」

 渋い表情を浮かべた葉子に笑いながら、幸弥は葉子と出会った時のことを思い浮かべていた。


 幸弥と葉子は臓物が散乱する敵対組織の事務所で出会った。

 幸弥の所属する大蔵商会と緊張を高めていた鞍馬組との小競り合いは、大蔵商会の一方的な虐殺で幕を閉じた。

 獅子奮迅の活躍をしたのは、能面を付けた一人の少女である。

 大蔵商会が雇ったプロの暗殺者だという彼女の表情はお面に隠れて伺えない。

 死臭漂う事務所内に佇む少女に、刀を収めた幸弥は声を掛けた。

「おい、後処理はこっから来る業者が引き継いでくれるからよ、もう外に出ようぜ」

 返り血で真っ赤に染まった少女は、かすかに頷くと事務所の外へと消えた。

「お前、女の形してるならあんなおっかねぇ女でもいいのかよ?」

「黙れよ、具合が悪そうだったろ」

 茶々を入れる同僚に呆れながらも、幸弥は少女を追った。


 茂みの裏で激しく嘔吐している少女に、幸弥は声を掛ける。

「大丈夫か?」

 慌てたように口を塞ぐ少女は、せりあがってくる胃の中身を抑えきれずに手のひらから溢れさせた。

「馬鹿、無茶してんじゃねぇ!俺しか見てないから安心して吐けよ……」

 少女の背中をさすりながら、幸弥は手ぬぐいを少女に渡す。

「俺の使ったもので悪いけど、手で拭くよりはマシだろ」

 幸弥は少女が落ち着くまで、ずっと背を摩り続けていた。


 それから、葉子と幸弥の交流が始まった。

 はじめはすれ違う際に言葉を交わす程度のものだったが、会話が出来る対象が皆無だった葉子は次第に幸弥に懐いていった。

 しかし、幸弥の心象は複雑である。彼女が属している風車と言う組織の尋常ならざる内情は、幸弥の疑念を深くする一方であった。

 風車は「親方様」と呼ばれる男に絶対服従を誓う暗殺組織であり、構成員の多くは孤児や身寄りのない子供を引き取る形で構成されている。

 より血肉を浴びたものが救われる。

 彼らの教義はこの一点に収束されていた。

 身寄りもなく、救いのない世界に絶望していた子供たちは、親方様のその言葉を信じて今日も殺しを続けているのだという。

 そして、風車の評判が裏社会に広まるにつれて、子供たちの待遇は改善していった。親方様の言葉は真実のものとなり、子供たちは親方様への信仰を深めたのだという。

 幸弥はその教えに否を唱えることが出来なかった。

 幸弥自身も捨て子であり、生き延びるたびに極道の門を潜ったからである。道理の通らない暴力を振るったつもりはないが、一般市民から見れば彼も社会悪の一部に過ぎない。

 真っ先に犠牲になるのは、常に立場の弱い者たちである。

「皆は風車の外の人たちは冷たいって言うけど、幸弥みたいな人もいるから」

 葉子はそう言って笑うが、幸弥が葉子の言葉を好意的に受け取ることはない。

 容姿を隠す面を被り、外界から心を閉ざして殺人を行う彼らは周囲から疎外され、さらに仲間内での結束を強めていく。

 風車と言う組織のルール全てが、構成員を社会から孤立させるためにあるように映る。

 しかし、自分の事で精一杯の幸弥も彼女に組織から抜けろという事は出来ない。友人として会話を交わす以外に、幸弥が出来ることは何もなかった。

 取り乱した様子の葉子が家を訪ねてくる、あの時までは。


 食事を終えた二人は早めに布団に入ることにした。

 今できることはコンディションを整えることだけである、というのが幸弥の主張である。

 豪快に寝息を立てる幸弥の隣で、頬を赤く染めた葉子は天井を見上げていた。

「うん、眠れるわけない」

 彼女の眼はギンギンに冴えていた。

 葉子は幸弥に恋をしている。

 風車の中でしか人間関係を知らなった葉子にとって、幸弥の存在は衝撃だった。荒々しくも優しく、一緒に居て安心できる存在が幸弥である。初めはその感情に母性を求めているという理由付けを行ったこともあったが、自分の心は偽れない。

 葉子は体を起こすと、幸弥の顔を覗き込む。

「起きてる?」

 幸弥は変わらず寝息を立て続ける。

 葉子は胸の前でぎゅっと手を握った。心臓が今にも裂けそうなほど高鳴っている。

「私を連れ出してくれたこと、本当にうれしかった」

 言えなかったことを、夜闇に紛れて幸弥に囁く。

 葉子は自分の卑しさを恥じていた。葉子が扉の隙間から大蔵商会の権力争いの真相を聞いたとき、真っ先に思い浮かんだのが幸弥の顔だった。

 幸弥が木箱に葉子を放り込んで隠し、事務所から抜け出す間、箱の中で葉子はようやく自分の取った行動の愚かさに気が付いた。

 自分の愛する人を事件に巻き込んでしまった。

 その負い目が、葉子を悩ませている。

「私、幸弥を守る。

 だから嫌いにならないで」

 背後から幸弥を抱きしめた葉子は、しばらくそのままの態勢でいたが、やがて安心したのか寝息を立て始める。


 反面、幸弥の豪快な寝息は止まっていた。

 幸弥は片目を開き、葉子を自分から剥がして布団を掛ける。

「なぁ葉子、お前は世間を知らないだけだよ。

 この事件が終わったら、俺が下らない男ってことに気が付くさ」

 幸弥は葉子に背を向けて、瞼を閉じた。

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