第26話

 その場所は穴倉と呼ばれていた。

 歓楽街の端にある大きな洋風の建物は、奇妙な甘い香りを周囲にまき散らし、付近を通った者の表情を険しくさせる。

 零士は呼吸器をハンカチで覆いながら、穴倉の扉を開けた。

 店内にはずらりとベッドが並び、横たわる人々は意志を宿さぬ瞳のままパイプからアヘンを吸煙している。

 零士は地下への階段を下ると、通路沿いに並んだ扉の模様を確認し、一つの扉を開いた。

「あらあらまぁまぁ……、5年ぶりじゃない。

 いい男になったわね、お姉さん嬉しいわ」

 中華風の家具で統一された赤を基調とした室内には、チャイナドレスを纏った一人の美女が座っていた。

 王魅音、中国人の捨て子ながら薬物の売買で頭角を現した女傑である。

「俺の事を憶えていたのか」

「当然よぉ。

 あなたの後任者、全然ダメだし、粗野な事ばかり言ってくるのよ。

 ……彼女の事は、残念だったわね」

 魅音は円形の机に零士を着かせると、卓上の急須からお茶を注ぐ。

「どうぞ。毒が不安なら先に飲むわよ?」

「構わない。あんたが俺を殺す気なら、この場所にいる限りいつでもやれるはずだ」

 魅音は返事を返さずに微笑むと、自分のお茶を啜った。

「それで、用は何かしら。

 昔話……って感じでもないわよねぇ、あなたがアヘンを吸うって言うなら、とびっきりの上物を用意するんだけど」

「あんたの記憶屋としての腕を借りたい」

 はぐらかす魅音の言葉を無視して、零士は単刀直入に切り込む。

 魅音は肩を竦めた。豊満な胸を抱え上げるようにして腕を組むと、咎める様に顔をしかめて見せた。目元のほくろが怪しく動く。

「んもう、せっかちな男は嫌われるんですからね」

「焦らす女も質が悪い」

 魅音は頬に手を当てた。

「私は確かに薬物と話術で疑念や偽の記憶を植え付けることが出来るわ。

 でもそれは万能の技術ではないのよねぇ。

その人が持っている勘違いや記憶の断片をつなぎ合わせるだけ。

 裏の世界で出回っている話は誇張もいい所で困っちゃうわぁ」

「今は俺が望むのは、少しでも敵を混乱させることだ。

 俺の敵は今なにひとつ状況を掴んでいない。

 このボタンの掛け違いを、大きなずれにまで持っていく手掛かりが欲しい」

 魅音は艶やかな唇をちろりと舐めた。

「仕事を受けたいのは山々だけど、慈善事業と言うわけにはいかないわ」

 零士の瞳が鋭く引き絞られる。

「最近大蔵商会にアヘンの取引が圧迫されてるだろう。

 俺は今回、大蔵商会を切り崩す。あんたにも悪い話じゃない筈だ」

 張り合うかと思われた魅音は、あっさりと肩の力を抜いた。

「うふふ、やっぱりいい男になったじゃない。

 いいわ、お姉さんが手伝ってあ・げ・る」

 零士に胸を押し当て、魅音は零士に囁く。

 艶めかしい吐息が、彼女の意図を雄弁に語っていた。

「もう夜も遅いし、泊っていくでしょ」

「……これも俺の仕事か?」

「野暮な事言わないの、もぅ」

 接吻を交わしながら二人はベッドへ雪崩れ込んだ。

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