第22話

 綾小路綾女の朝は早い。

 毎日の日課として筋肉を苛め抜いたあとは、今日も情報収集のために三流タブロイド紙を開く。

『特集「弾丸裁判」完全決着!』

『我らが裏路地のドン、情け容赦なき弾丸の女王はまた一つ悪漢をこの町から締め出してしまった。やはりこの町の法は彼女なのだろうか―。』

 綾女は眉間を抑えて一度紙面を閉じた。

「……今日にもクレームを出しておきましょう

 ここの記者はマジに舐め腐ってますわ」

 実際に彼女が介入して解決した事件も多いため、あながち嘘ではないのがこの雑誌の厄介な所なのである。

 事件が終結してから早くも2週間が経過していた。実の娘が父親の逮捕のために尽力したという話はセンセーショナルであり、綾女も協力者として碌でもない記者たちから逃げ回る必要があった。

 綾小路相談所を暫く閉じる必要に迫られた綾女は不満たらたらであったが、巧子はその間非常に機嫌がよく、事務所の外で張り込んでいる記者に差し入れを出すほど露骨な態度を取っていた。

 しかし、人とは勝手なもので、白熱していた取材も情報が出揃うとピタリと止んだ。

 綾女はこうして、久しぶりの日常に戻って来たのである。

 気を取り直して、綾女は再び紙面を開いた。

『綾小路氏と今回の事件で争っている姿が目撃されていた長身の男であるが、裁判終結に伴い警察は遂に彼の追跡を打ち切ったようである。

 これは余談であるが、N市にわずかな料金で庶民の相談に乗る長身の男が話題になっていることを本社の取材陣は掴んでいる、彼の動向を見守りたいものだ』

 長身の男とは零士の事だろう。

 綾女は何とも言えない表情を取った。同じような幼少期、同じような虚無感に生きながら真逆の道を歩んでいた男。これだけあっさりと生き方を変えられるなら、きっと誰かの理解と後押しだけが彼に必要なものだったのだろう。

 良くも悪くも子供のままなのだ。むず痒い同族嫌悪で綾女は苦虫を噛み潰したような顔になる。

 事件の特集はそこで終わっていた。

 次のページには『城間組壊滅の戦慄!たった二人の殺戮劇』というこれまた刺激的な見出しが載っていた。

「なになに……二人きりでヤクザを殲滅……銃弾を避ける?

 ……なんですのこれ?」

 綾女は非現実な内容にすっかり呆れ返った。

 密かに綾女はこの雑誌の取材力を買っているところがあるのだが、やはり大衆紙の宿命なのか、荒唐無稽な噂話を掲載することがしばしばあった。

「三文小説の主人公の方がまだマシな暴れっぷりですわね」

 調子を狂わされたように綾女は雑誌を閉じた。

 作業の手を止めると、不意に静けさが流れ込んで来る。

 綾女は思わず花蓮を視界の端に探してしまう。彼女との騒がしくも楽しい日々を忘れる努力が今の綾女には必要であった。

 花蓮は父親の莫大な財産を多少なりとも引き継ぐはずであり、きっと遠くに行ってしまうのだから。

 感傷的になっている綾女の思考を断ち切ってくれたのは、扉の外で響いたノックの音だった。

「さて、今日も高貴にお仕事ですわ」

 ニコリとほほ笑んで、彼女は日常に戻るべく扉を開けた。

 

 次の瞬間、綾女の思考はすっかり動きを止めてしまった。

 そこに居たのは、もはや会う事がないと思い込んでいた花蓮だったのだから。


 言葉を失っている綾女を放って、花蓮は彼女の半身程の大きさのあるスーツケースを引きずって部屋にずかずかと足を踏み入れた。

 綾女の思考がようやく色を取り戻し、慌てて彼女は後ろを振り向く。

「ちょっと!何をナチュラルに持ち込んでますの!」

「え~、わたくし藤堂花蓮は今日からここに住むことにしました!」

「は、はぁ!?何を勝手なことを!」

 花蓮は振り返ると妖艶にほほ笑んだ。

「綾女が寂しがってるだろうから、ね?」

 図星を疲れた綾女はあまりにも分かりやすく動揺した。

「さささ寂しがってなんかないわい!」

「口調崩れてるよ。

 あっ、服はここに入れていい?」

「……あなた、屋敷はどうしたの」

 強引に話を進めようとする花蓮に、綾女は大きくため息をついた。

「お父様の事思い出しちゃうから。

 私もいい加減前を向かなきゃ」

「ここなんかよりもっといい場所に住めるじゃない。

 こんな路地裏に住む必要なんか……」

 花蓮は綾女の唇に人差し指を添える。

「例えば綾女が明日消えて、その知らせをどんな顔で私は聞けばいいの」

 綾女は花蓮の大きな瞳の中に納まり、弁解してはいけないような気分で沈黙していた。

「私にも綾女を守る権利がある。

 ほっといたら明日にも死んじゃいそうだもん」

 いたずらっぽく笑う花蓮は、そっと綾女の唇から指を離す。

 すっかり彼女のペースに乗せられていることを自覚しながら、綾女は観念したように肩を竦めた。

「ここの仕事は過酷ですわよ。明日にも死ぬかもしれませんわ」

「私が私を好きでいるにはこれが一番いいの。

 私があなたを守ってあげる」

 彼女出会った頃とは別人のようである。

 花蓮がいつか自分を変えてくれるのだろうか。綾女はそんな思いを胸に仕舞いこんだ。

「私が来たからにはこの事務所の財政も立て直しますからね!」

「さっそく敵になってますわこの子!?」

 綾女と指切りを交わした小指を背中の後ろで握りしめると、花蓮は決意を隠して笑う。

 いつか綾女の居場所として受け入れてもらえるまで、花蓮は彼女を守りぬく。

 この決意がどこから湧き上がるものなのか、花蓮にもはっきりとは分からない。ただ今は、綾女との笑い話に身を任せるのであった。

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