第21話
花蓮は裁判所に続く一本道を歩いていた。
最早敵につかまる可能性は皆無に見える。集団で動いているガラの悪い男たちの姿も見えなくなっている。
花蓮は突然足を止めた。
彼女の視線の先にいたのは、街路樹にもたれかかる一人の男だった。
「お父様……」
藤堂隆夫は花蓮を横目に睨みつけて派手な舌打ちをした。
「クズどもめ、少し見た目が変わった程度で見分けがつかんのか。
やはり私が待機していて正解ではないか。使えない奴らめ」
藤堂は、花蓮の目の前にずかずかと足を進める。
「今なら許してやる」
娘を見下ろす様に正面に立つと、藤堂はいきなりそう言い放った。
花蓮はこの男をまじまじと見つめた。あれほど怖かった父親も、散々死線を切り抜けてきたこの数日間に比べると、恐怖を感じる神経が切り落とされたのかと錯覚してしまう程に彼女の心は平穏に包まれている。
「綾女の事はどうするつもりなの?」
「奴は知りすぎたし、この手の輩を放っておくと大変なことになる。
始末するに決まっているだろう」
そして、花蓮にはこの傲慢な言葉が彼のできる最大限の譲歩であることが分かっていた。
普段なら彼が自分にたてついたものを許すことは決してないのだから。
花蓮はそれに少しのくすぐったさを感じてしまう自分が嫌だった。
血のつながりとは、呪いであり、絆なのだ。
決して離れることはない赤い糸である。
だから、花蓮が再び自らの足で歩き出すためには、それを切り落とす必要があった。
花蓮は、懐から取り出したハンカチを藤堂に投げつけた。
藤堂は信じられないものを見たように固まってしまっている。
花蓮は、声が上ずらないように平静を装いながら、きっぱりと言い放った。
「決闘をしましょう、お父様」
藤堂の額から汗が流れ落ちた。
「お前に銃を教えたのは誰だと思っている」
花蓮は懐に隠していた銃をホルスターごと引っ張り出して腰に差し、帯をきつく締めて固定する。
「お父様でしたね。
あの時は楽しかった……」
藤堂はすっかり血の気が引いていた。
命令の上でなら、実の娘にでも手を下せるつもりでいたのに、花蓮を目の前にしたとたんにその燃え盛る野心は吹き飛んでしまっていた。
零士の「後悔するなよ」という言葉が今更のようにフラッシュバックする。
しかし、藤堂がここで引けるような男であれば、ここまで成り上がることはできていない。
愚かであることを武器にしてきた藤堂は、ここで後戻りはできなかった。
「決闘を受けないのであれば、そこをどいてください」
ずっとそばにいたはずなのに、娘をこんなにしっかりと目にしたのは久しぶりのことのように思えた。
娘が随分と成長していたことに、藤堂はようやく気が付いたのである。
「……いいだろう、決闘だ」
藤堂の心と体はまるで乖離しているようであった。
一度は小さくなっていた劣等感と憎しみがまるで悪魔の様に体を突き動かし、藤堂の良心を閉ざしてしまう。
藤堂はどこか他人事のように、娘に初めて暴力をふるった日を思い出していた。
「弾いたコインが地面に付いた瞬間が決闘の合図、それでいい?」
「構わん」
花蓮は藤堂にコインを投げつける。
藤堂はそれをキャッチすると、眉をひそめた。
「なんのつもりだ?」
「お父様に投げて欲しいわ。
ここでケチを付けたくないの」
「ふん」
二人の間に風が流れていた。
藤堂はコインを大きく弾く。コインが回転しながら放物線を描くのを、親子二人は見つめていた。
どこで間違ったのか。藤堂は娘が生まれてからの短い家族生活を思い出していた。
人生で唯一幸せだった時は、コインが地面に向かって落下を始めると雑念として霧散してしまう。そして新たな過ちを犯すための悪意と憎悪に塗りつぶされてしまうのだ。
花蓮の銃は藤堂が狩りの時に使っていたコルト・ドラグーンだった。
女性が持つには重すぎる銃を、花蓮は父親と同じものをねだり、反対を押し切って使うようになったのである。
藤堂の銃はコルト・ネイビー、36口径6連発の扱いやすいスリムな銃である。
藤堂の悪意は笑った。花蓮の銃は明らかに決闘向きの銃ではない。
素早く抜くには重すぎるのだ。
花蓮はコイン越しに父親を見ていた。
父親が少しでも自分を思って葛藤したことを彼女は嬉しく感じてしまっていた。
たとえその後に自分を傷付けることを選んだとしても、彼女は嬉しかった。
コインは二人を映して回る。
地面にコインが落ちる瞬間、親子は銃を抜いた。
花蓮の眼からは涙が零れていた。
藤堂は自分が馬鹿正直に決闘に応じたことに気づいていない。コインが落ちるまでルールを守り、藤堂は銃を抜かず、娘との決闘の意味を守っている。
初めて我儘に付き合ってもらった子供の様に、花蓮は嬉しかった。
コインが床を跳ねる。
タイミングはほぼ同時だった。
44口径の派手な硝煙が、花蓮の涙を隠す。
花蓮の方がわずかに早くトリガーを引き、花蓮の弾丸はわずかに早く藤堂に届き、銃身を通っていた藤堂の弾丸の軌道をずらす。
花蓮の弾丸は藤堂の肩を吹き飛ばし、藤堂の弾丸は花蓮の髪を少し揺らしたのみだった。
藤堂は肩から溢れる血を抑えながら膝をつく。
負傷した右手が力なくぶら下がる。
何よりも、この結果が花蓮からもたらされたという事実が藤堂を呆然とさせていた。
ゆっくりと銃をホルスターに戻すと、花蓮は一歩を踏み出した。
「さようなら、お父様」
既に頬はぬれていたが、何とか嗚咽を漏らさずに済むように花蓮は唇を噛む。
訳も分からず湧き上がる感情を押し殺し、花蓮は今度こそ外の世界へ旅立った。
藤堂は花蓮が去った後も動けなかった。
彼は、今更ながら娘が最後までお父様と呼んでくれていたことに気が付いた。
藤堂はその場で蹲ると、子供の様に泣き出す。
掴めたはずの幸せを、既に自分で叩き壊していたことを認めてしまったのである。
周囲の騒然とした騒ぎが彼を見下ろしても、藤堂の慟哭は止まなかった。
藤堂は裁判所前で泣き叫んでいるところを警察に確保された。
決闘を行ったという事で法廷では暫く議論が交わされたものの、藤堂が犯した罪が花蓮とその証拠群により白日の下に晒されると主題ではなくなった。
藤堂は今までと打って変わり、あっさりと罪を認めた。このことは今まで散々真実を捻じ曲げてきたことを知っている警察と裁判所を驚かせている。
零士は重要参考人として警察にその後を追われたが、結局捕まることはなかった。
一週間も経たずに殺人から裁判までを終えたことから、タブロイド紙に「弾丸裁判」事件と揶揄されるこの騒動は、こうして終わりを告げたのである。
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