第20話
柱から姿を現すと同時に、零士はボウイナイフで切りかかった。
綾女は短刀でそれを受け流す。馬力の差で綾女の体は流れ、火花を散らして零士のナイフは柱を削り取っる。
金属の甲高い音が何度も響き、流れる汗と共に二人はお互いの放つ死線を潜り抜ける。
零士は綾女の手首を掴み、柱に体を押し込みながらナイフを顔に突き立てた。
綾女は数本の髪を散らしながらそれを避けるとその場で踏み込み、跳ね上がる。綾女の頭頂部が、零士の顎に突き刺さった。
仰け反る零士の腕に綾女の蹴りが一閃、ナイフを後方に蹴り飛ばす。そのままの勢いで体ごと零士に短刀を押し込もうとした綾女を、零士はひらりとかわしながら顎にショートフックを差し込んだ。
「精度はパワーに勝り、タイミングはスピードを凌駕する」とは西洋の達人の言葉であるが、零士はそれを体現しているかのようである。
軽い一撃であったにもかかわらず綾女は一瞬意識を失い崩れ落ちる。何とか踏みとどまると、零士の追撃のハイキックを左手で防いだ。ガード越しでもその蹴りは彼女の脳を揺らし、苦悶の表情を引き出す。気が付くと綾女の手の中からは短刀が失われていた。
先ほどの一瞬の気絶のうちに、綾女の手から短刀は滑り落ちている。
至近距離で零士と綾女は遂に銃を抜いた。
相手が銃を抜いた腕をお互いに抑えながら、銃口を相手に向けようと二人は組み合う。
銃弾が何度か放たれるが、お互いが相手の銃を持つ腕を抑えているためにその銃口は周囲のレンガを砕くのみで終わる。
零士は綾女を壁に押し付けると、綾女が必死に抑えている銃身を綾女の喉にゆっくりと近づける。パワーの差は大きく、零士は綾女の銃を持つ腕を抑えているのに対し綾女は零士の腕を抑えきれていない。
銃口が彼女の喉に近づくその刹那、綾女はその身を捻り、零士の腹に膝を撃ち込んだ。
うめき声と共に膝を折った零士の顎に綾女は肘を撃ち込む。体を大きく揺らした零士に、綾女はトリガーを引こうとする。
唸り声を挙げた零士は綾女に飛びついた。
綾女の発砲をかいくぐり、零士は綾女を地面に引き倒す。そのまま馬乗りになり、マウント・ポジションから綾女の顔面を何度も連打する。
綾女は零士が拳を振り上げるタイミングに合わせてエビ反りをしながら身を捻った。
零士は綾女の上から振り落とされる。二人は向き合いながらゆっくりと立ち上がった。
二人の息は荒く、汗は滝の様に流れている。
次の攻防で勝負が決まることを、二人は本能で感じていた。
零士の鋭い左フックが綾女の胴体に叩き込まれると同時に、綾女のアッパーカットが零士の顎を捉える。
拳の重さの違いに綾女の顔が大きく歪んだ。
零士は綾女の視線が己の胴体に向いていることに気が付く。今まで彼女は窮地に陥るたびに零士の胴体を攻めて状況を覆してきた。
綾女の視線につられるように、零士は綾女の胴体への左フックの動きへのカウンターとして左ストレートを放った。
しかし、その視線と体の動きこそ綾女のフェイントである。
拳と腕が交差する。
前かがみに打撃を放って体重が乗った零士の顎に、左の垂直蹴りがめり込んだ。
零士はうっすらと目を開ける。
彼は自身がどうやら気絶していたらしいこと、綾女に敗北したらしいことを悟った。
彼はレンガの柱にもたれかかっており、顔を見上げると綾女が彼を見下ろしている。
「俺は負けたのか」
「えぇ」
「なら殺せ、負けてはもう生きてはいけない。
俺の悪あがきもここで終わりだ」
綾女は糸が切れたように項垂れる零士に吐き捨てる様に拒む。
「はん、貴方の為の殺人なんてまっぴらごめんですわ」
零士はすっかり疲れ切っているようだった。
暗闇が渦巻いていたその瞳からは、粘着質な闇が消えうせ、空っぽの意志だけが覗いている。
「もう何度も死のうとしたんだ。
わかっちまった、俺は自分を殺せるほど壊れちゃいないんだ。
だがもう外とは戦えない、負けてしまったんだ。
俺はどうすればいい」
堰を切ったように話し始める零士を、綾女は何も言わずに見下ろしていた。
綾女にとって零士は鏡写しだった。
我と彼との違いは、戦いを選んだという点においても主義主張程度の差しかない。
いつか自分も弓折れ矢尽きる時は、彼と同じように項垂れるのだろう。
綾女は背を向けた、発砲してしまっている事から藤堂の部下が集まってくることは時間の問題である。
「待ってくれ」
一歩踏み出した綾女の足は、零士のすがるようなひところで止まった。
「俺は……どうすればいいんだ」
うわ言の様に話し続ける零士に、綾女は癇癪を起こした様に爆発した。
踵を返し、零士の襟を掴み上げると顔面を彼に寄せる。
「そんなこと、私にだって分かりませんわよ。
どうやればいいかわかんないからこんな風に生きてるんですわ。
誰にも恥じないような高貴な人生をもって、ようやく私は誰かにとって心の隙間を分けてもらえるの。
あなたにできるのが暴力なら、それで人を助ければいいじゃない」
綾女は怒っていた。
それは同族嫌悪であり、自分の未来への恐怖であり、出来の悪い兄弟への困惑のようなものでもあった。
「そんなのは、惨めなだけだ」
「これ以上惨めになるもんですか！
私達は幼い頃にとっくに壊れてますわ！
すでに戦わずに生活できると言う貴方が、なぜ戦っているのか自分でわかるでしょう！」
綾女は手を離し、零士は地面に体を預ける。
「人は一人では生きていけないのですわ。
貴方は暴力と戦いで他者に関わって来た。奪う事で他者への自分の優位性を確かめてきたんでしょう。結局のところ人は一人では生きていけませんのよ」
自分に言い聞かせるように綾女は呟く。
「私たちは人が信じられない、自分すらも認められない壊れた存在でしょうけど。
外付けの心臓が血を通わせてくれることだってあるの」
綾女はバツが悪そうな顔で、零士に背を向ける。
人に怒鳴ったのはいつぶりなのか分からなかった。彼の言葉に痛いところを突かれた自覚があった。
どこまで行けば傷だらけの心に入り込む隙間風を止めることが出来るのか。
どれだけ多くの人を救えば、真の安寧は来るのか。
それでも意味を求めて、高貴であることで何かを証明できると彼女は信じたかった。
綾女は花蓮の元へと向かう。
背後から聞こえるかすれた感謝の言葉には聞こえないふりをした。
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