第19話
最後になるかもしれない夕食は、山神家と共に豪勢に行われた。
傷を治すことを名目に肉ばかり食べる綾女と肉を巧子は取り合い、それを見て花蓮は笑っていた。
山神鋼太郎は巧子が綾女に肩入れしているのが裏社会の銃工としていかに良くないのかを説き、巧子はうんざりとし顔で耳を塞ぐ。
兄の鉄司はそれを無言で聞きながら綾女と肉を取り合っている。
にぎやかな夕食中に花蓮が笑みを絶やすことはなかった。
綾女がベッドに入って暫く経った後、ドアがゆっくりと開く気配を綾女は感じ取った。
足音を殺して近づいてきた影を、綾女はベッドに引きずり込んだ。
「び、びっくりしたぁ~……」
「まったく、このベッドあんまり大きくないんですからね」
ぶつくさ文句を言いながらもベッドの端に体を寄せる綾女に、花蓮は嬉しそうにありがとうと囁いた。
二人は暫くたわいもない会話を交わし、その話題が途切れるといよいよ明日の事を話さなければならなくなった。
「もし、私が明日死んだら……」
「聞きません」
既に用意していたような素早い回答に綾女は苦笑いした。
「明日は生き残って、それで……きっと楽しい未来になる。
これでいいじゃない」
「約束しないのが私の誠実さですわ」
「だけど、優しくないわ。
果たしてそれは高貴なのかな?」
「時には厳しさが真に相手のためになることもありますわ」
「もう!」
花蓮は拗ねたように綾女のわき腹をつつく。
くすぐったさに身を揺らしながら笑うと、ふと静かな声で語りかけた。
「……これだけは伝えさせてくださいな。
明日がどうなろうとも。貴女と出会えてよかったと思いますわ」
花蓮は少し言葉を詰まらせ、暫くして言葉を絞り出した。
「これからも、友達でいてね」
花蓮は綾女に未来を提示しようとしている。
その心意気に答え、綾女は花蓮の小指に自身の小指を絡めた。
「言葉にするのは勘弁してくださいね」
「悪い人」
花蓮は苦笑いを浮かべながら、その誠意を受け入れた。
安心のために花蓮は小指を解き手のひらを重ねる。
不安はなく、花蓮はすぐに眠りについたのだった。
澄んだ朝の空気に、二人の少女が背を伸ばしていた。
綾女と花蓮は女学生のような矢羽模様の袴姿に身を通し、綾女はおさげに、花蓮は的ポニーテールに髪型を変えていた。
綾女は、出発を見送りに来た巧子に近づくとその耳にそっと耳打ちをした。
「必ず帰ってきますわ」
気恥ずかしそうに頬を染めながら、綾女は花蓮の元へ歩いて行く。
今まで彼女が言ってくれなかった言葉を、綾女が初めて残してくれた。
彼女の変化は綾女によるものか、それとも死に近い経験をしたからであるのか。
巧子が綾女を見送る朝に不安を憶えなかったのは、今日が初めてだった。
街は朝早くから人々が行き交っていた。
不安そうにキョロキョロと周囲を伺う綾女に、花蓮は笑う。
「ね、似合ってるって言ったでしょ。誰も私たちのこと気にしてない」
「でも、顔も腫れてますのよ?」
「前髪で隠れてるって」
零士との打撃戦で酷い有様になっていた綾女の顔面は、長い時間冷やすことで何とか落ち着きつつあった。メガネが顔の印象を奪っていることもあり、今の綾女は頬に白いシップを張った地味な少女である。
裁判所までの道のりは順調すぎる程であった。
大通りを通る必要があり、その道のりの間には明らかに誰かを探している男達もいたが、綾女たちに気が付かずあっさりと彼女たちを見逃してしまった。
今までの波状攻撃に比べると、藤堂たちは明らかに人手の確保が出来ていない様子である。藤堂は強行手段に訴え過ぎたという綾女の推察は、真実に近いらしかった。
政府が学制を導入してから、義務教育は国民にすっかり浸透している。
綾女たちを女学生として認識し、街の人々は彼女達に目もくれず通り過ぎて行く。
綾女は普通の家庭に生まれて、普通の友人どうしである花蓮と自分を思い描いた後、苦笑いと共にそれを打ち消した。
人生は今の連続であり、どこから来て、どこへ行くのかなどの夢想には意味はない。
「綾女?」
不意に苦笑いを浮かべた綾女に、花蓮は戸惑う。
「後を付けられています。あぁ、振り向かないで。
やはり来ましたわね、零士」
日本人にしてはかなりの長身である零士だが、上手く気配を消して綾女と花蓮の背後に貼りついていた。
尾行に慣れている綾女でなければ気が付くことが難しい程に背景に馴染んでおり、零士が裏社会の人間であることを花蓮は思い知らされる。
「どうする?こっちは二人だし勝てるんじゃ……」
「それはやめた方がいいでしょうね。銃を使えば周囲の刺客にも音が聞こえてしまいますわ」
何かを察し、すがるような目線を向けてくる花蓮に綾女は首を振った。
「ここで決着を付けましょう」
「戻ってこないと針千本飲ませるからね。
それか化けて出てやるんだから」
「普通化けるのは死んだ私の方ではなくて……?」
二人は一瞬見つめ合い、花蓮は観念したように頷いた。
「信じてる」
花蓮は綾女と少しづつ距離を取ると、人込みの中に消えて行った。
小柄な体を花蓮はすっかり使いこなしている。
「あの小娘も見違えたな」
「えぇ、自慢の友人ですわ」
いつの間にか、零士が綾女の隣に立っていた。
「どうやって変装を見破ったのかお聞きしてもよろしくて?」
「骨格を見れば相手が誰だか分かるだろ」
「……あなたぐらいですわ」
綾女にも動揺の様子は見られない。
二人は暫く無言で歩く。
綾女は眼鏡をはずすと、背後に眼鏡を放り捨てようとして、花蓮に眼鏡姿を褒められたことを思い出して懐に仕舞った。
3階建て雑貨店を支えるためにずらりと並んだレンガの柱を挟んで二人は歩く。
一つの柱にお互いの姿を重ねた瞬間が、開戦の合図になった。
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