第18話

 花蓮は綾女とのファッションショーを終え、上機嫌で花蓮は部屋でコルト・ドラグーンリボルバーの手入れを行っていた。

 分解したフレームを組み立てて、弾倉を耳に当てて回転させフレームと弾倉のかみ合いを確認すると、花蓮は満足そうに頷く。

「へぇ、結構慣れてるんだ」

 花蓮は驚いたように顔を上げた。

 部屋を覗き込んでいる巧子が、よっすと言う呼び声と共に手を挙げる。

「花蓮ちゃん、ちょっと話そっか」

 憂いの影をまとった巧子の表情を訝みながらも、花蓮は頷いた。


 巧子が花蓮との話し合いのために選んだ場所は巧子の部屋であった。

 部屋の壁一面に銃器や工具が敷き詰められるようにぶら下げられており、銃のメンテナンスに使うグリスの香りが空気に漂っている。

「ちょっと臭いかな……?ごめんね、すぐ終わるからさ」

「ううん、気にならないから」

 二人きりで話す機会はこれが初めて出会った。花蓮は不安を覚える。

 巧子は小箱を積み重ねて椅子の代わりにすると、花蓮の前に腰を下ろした。

「そうだなぁ、何から話そうか。

 花蓮ちゃんって、綾女はどんな人だと思う?」

 突然繰り出された奇妙に質問に、花蓮は戸惑いながらも頭を巡らせる。

「えぇっと……ちょっと見栄っ張りで明るく見えるけど、本当は繊細で、生きていくために走り続けないといけないって思いこんでる人、なのかな」

 巧子は一瞬ピタリと動きを止め、花蓮をまじまじと見つめた。

「やっぱりね」

 質問の意図が分からず困り果てる花蓮に、巧子は苦笑いを浮かべた。

「ごめんね、よくわかんない事言っちゃって。

 多分花蓮ちゃんは綾女を助けてあげられる人だから、綾女の事をどう思ってるのか聴いておきたかったんだ」

「巧子だって、綾女に頼りにされてると思うんだけど」

「私は綾女に強くものを言えないんだよね。

 綾女とは幼馴染なの。

 綾女がこの店に銃を買いに来た時にはびっくりしたなぁ。

 あの時は確か11歳で……私が銃について学び始めたばかりのころだった」

 巧子は綾女と出会った時の事を思い出す。

 巧子は幼い頃から父親の銃器いじりに興味を持ち、遺伝子に銃器への関心が刻み込まれているかの様に、自身も父親と共に銃工(ガンスミス)になることを選んだ。

 日本の裏社会では、警察から銃器の購入履歴をたどって追跡されるのを防ぐために、山神時計店のような隠し店舗で銃を販売することが一般的になっている。

 店舗情報を流出させない信頼のある、一流の仕事人だけが足のつかないこの隠し店舗を利用できる。だから、隠し扉が開いたとき、自分と同い年の少女が現れたときの巧子の衝撃は相当なものだった。

 メガネをかけた背伸びをしている印象がある少女は、巧子ににこりと笑う。

『決めましたわ!あなたが私のガンスミスね!』

 綾女のこの言葉から、二人が親友となるのにそう時間はかからなかった。

 裏の仕事の事情も理解してくれる同年代・同性の知人は何事にも得難い存在であり、二人はこの社会を支え合ってやってきたのである。

「綾女はそんな頃からこの仕事を?」

「私も具体的なことは知らないんだけど……もっと小さい頃かららしいよ。

 私は銃鍛冶を学び始めたばかりで、お父さんは私の修行にちょうどいいと思ったらしくて綾女の相手を私に任せたんだ。

 そこからずっと綾女の道具を作って来た」

 そこで言葉を切って、巧子はためらいながらも言葉を絞り出した。

「花蓮ちゃんが来てからの綾女は見たことのないような言動ばかりだったよ。

 正直嫉妬するぐらいに。

 きっと綾女は、心に土足で踏み込んできてくれる人をずっと待ってたんだと思う」

 寂しい笑みだった。

 花蓮は思わず目を伏せる。

「私はいつも待つことだけしかしてこなかったことに今更気づかされたよ。

 銃を作って綾女を待つ、綾女から自分の事を話してきてくれることを待つ。

 私は臆病で、綾女もきっと臆病なんだね。だから遠回しな依存から私たちは進めない」

「そんなこと……」

 巧子は首を振った。

 憂いを湛えた瞳ながらも、巧子は笑みを浮かべていた。

「どうか綾女を助けてあげてください。

 生き様に殺されないように、人に怯えることはないんだって。

 あの子の居場所を……今みたいに、自分で押し広げなくてもいい場所を作ってあげて」

 頭を下げた巧子に花蓮はおろおろとしていたが、そのうちに何とか頷いた。

 巧子の腕を取り、ぎゅっと手を握る。

「一緒に綾女を守ろう、私も一人じゃ無理だよ」

 巧子は言葉にせずに首を縦に振った。

 巧子は親友がどこか遠い所には慣れて行ってしまう確信を持ちながらも、自身の感情にここでケリを付けようとしていた。

 彼女の隣にいるのは自分ではないのだ。

 わざとらしいまでに明るい声で巧子は笑った。

「さて、今綾女が食料を買いに行ってるからね。

 今日は景気づけに豪華なご飯だぞ!」

 綾女に寄り添ってきたこの立場を花蓮に明け渡すことこそが、巧子の親友としての最後の仕事だった。


 綾女は列車の規則的な揺れに体を任せながら、大量の食材を手ぬぐいに縛って傍に置いていた。

 周囲の人物からは彼女がリラックスして汽車の座席に体重を預けているように見えたかもしれないが、実際には綾女は最大限に奇襲を警戒して周囲を見渡している。

 だから、零士が列車に乗り込み、隣に腰掛けたとしても焦りは見せなかった。

「ここでやり合うつもりでして?」

 すぐに銃を抜ける様に身構えていた綾女だが、意外にも零士は首を振った。

「いや、今日はそのつもりで来たんじゃない」

「私達って間違っても歓談するような仲にはなれないと思いますわよ」

「お前は冗談を言わなければ話が出来ないのか?」

 二人の間に暫くの間汽車の駆動音のみが響く。

「……俺を打ち倒した奴がどんな奴か気になって調べさせてもらった。

 俺達は酷く良く似ている」

 綾女は幼い頃からこの町で何でも屋として駆け回っている。

 裏の人間が本気で調べようとすれば、綾女の短い人生の素性などあっという間に割れてしまうだろう。綾女に驚きはなかった。

「そうかもしれませんわね」

 二人はお互いに視線を交わすことなく、前を向いたままで会話を続ける。

「だが、俺とお前はまるで違う道を歩いている」

一度の敗北で男はここまで素直になるのかと、綾女は面食らっていた。

「なら、お前はなぜ狂わずにいられる。

 自分という存在の軽さを振り払いたいとは思わないのか」

 零士から殺意を感じないことに綾女は困惑する。

 どうやら彼は本当に話をしに来たらしい。

「母の事は?」

「お前が言っていた通り売春婦だったようだな、元は金持ちの妾だったらしいが」

 それならば隠す必要もないだろう。

 綾女は殆どの人に伏せている、自身の信念の根幹を囁く。

 零士のこれまでとは打って変わった真摯な姿勢に、何か感じるところがあったのかもしれなかった。

「母は死ぬ間際に『高貴』でいろと言い残しました

 私はそれが母の死に意味をもたらすと……そして私に意味をもたらすものだと信じて生きてきましたから」

 零士は右眉を持ち上げた。納得している様子ではない。

「お前は賢い。

 母の言葉が、信念の話ではなく、自分が失った地位についてのことだったと気がついているはずだ」

 一見綾女の心をかき乱すための言葉に見えながらも、零士の口調は淡々としており、純粋な疑問から発せられたものであるらしかった。

 零士は何を求めているのか、綾女は少し迷った後、流れる景色を見つめながら正直な言葉で零士に伝えることにする、

「そうですわね。

 でも、あなたと花蓮のおかげでようやく確信できましたわ。

 私はこの生き方で、命尽きるまで、この人生を突っ切るだけ。

 私が死んだ後には少しの小波が起こるでしょう。それだけで十分ですのよ」

 またも沈黙が訪れた。

 列車の汽笛が鳴り、車両が減速を始める。

「……お前は胸の内の空白を埋められたわけか。

 俺には遅すぎたようだ」

 燃える建物の中での対決で、零士は綾女の言葉に激怒した。

 その理由はこの会話に込められているように綾女は感じていた。

 彼が言う存在の耐えられない軽さ――心の空白を綾女は埋められてなどいない。そうでなければ綾女は既に危険な日々から抜け出し、普通の女の子として生きているに違いない。

「今から始めればいいでしょう。

 すぐにわかったようなことを言いますのね」

「そうはいかない。

 まだお前とは一勝一敗、決着はついていない」

列車が止まると、零士は席を立ちながらつぶやいた。

「明日会おう。

 俺は負けるわけにはいかない」

 散々話しておきながら結局は宣戦布告をして出て行った零士に振り回された気がして、綾女は疲れたような表情を浮かべる。

「男ってのはどうしてこうなんでしょうね」

 再び走り出した列車の中で綾女は呆れたように呟く。

 やっぱり自分と零士は似ていないのかもしれない、綾女はそうひとりごちるのだった

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