第12話
事務所近くまで綾女たちが歩いてくる頃には街は夕陽に沈みつつあった。
事件の解決は近いと綾女は睨んでいた。証拠は十分、警察も(彼女は認めないはすだが)信頼できる協力者と話が付いている、長期化する可能性がないわけではないが勝利は目前に近づきつつあった。
しかし、綾女と打って変わり花蓮は日が沈むにつれて落ち着きを失っていった。
二度の襲撃から時間がたっていないとはいえ、父が襲撃の手を休めることがあるだろうか。花蓮は藤堂隆夫という人間の苛烈な攻撃性を身をもって知っている。
自身で父に立ち向かうと決めた以上、彼女の警戒心は最高潮に高まっていた。
「か~れ~ん、怖い顔しすぎですわ。
リラックスしないといざという時に反応できませんわよ」
「貴女はリラックスしすぎ。
事務所の位置が知られてるんだから、お父様が襲ってこないはずないんだから」
「もちろんそこはぬかりないですわ。
隠し部屋がありますから」
「あぁ、だから事務所にしては狭かったのね!」
花蓮の合点がいったような声に、綾女は微笑んだまま頷いた。
「いいえ、部屋の狭さは元からですわ。隠し部屋はもともと隣の物置部屋の入り口がこの家の増築時に塞がれた時に偶然できたものですから」
ならばなぜ頷いたのか。
「……怒ってる?」
「いいえ、怒っていませんわ」
微笑みながら綾女は首を縦に振った。
「感情が隠しきれてないじゃない!
ごめんってばぁ~!悪気はないんだって!」
「ったく、嫌みなお嬢様ですわぁ~!」
二人でクスクスと笑いながら、綾女と花蓮は帰路を歩く。
綾女はふと、自分がこんなにも楽しかったのはいつぶりだろうかと思った。
貧困の中でも高貴であるために、綾女は人とは違った人生を歩んできた。12歳で孤児院では大人の扱いである。孤児院を出た後遊女に身を窶さないために彼女は相当な苦難と戦わなければならなかった。
朝から夜まで「何か困っていることがあればお助けしますわ!」と声をかけてくる変わり者の少女の話は有名になっていった。
大抵は冷ややかな言葉をかけられて終わるのだが、街には様々な人種がいる。危ない橋も綾女は渡ったが、その信念に則り黒い事には絶対に手は貸さなかった。
次第に、街の人々は綾女の事を認め始めた。
彼女を子供と笑うものは減り、立派な人物として慕い始めた。
しかし、その頃には彼女の人間を信じる心はすっかり冷めきっていた。
少女は大人にならなければ生きては行けなかった。彼女を騙そうとするもの、彼女を犯そうとするもの、彼女を笑うもの、彼女の道を阻むすべてのものに不敵に笑って見せなければ自分を守れない。弱みを見せれば付け込まれる。
また、彼女を頼ることになる寸前まで彼女を馬鹿にしていた人々も綾女は知っていた。
綾女は馬鹿正直に信念を貫いているふりをしているだけの、年頃の少女だった。
そうでなければ彼女はこの世に希望を、母の死に意味を見出せなかったから。
そんな中現れた花蓮と名乗る少女は、どこか綾女と似ていた。
幼少期から孤独を経験していながら、どこか頑なに純粋な心の柔らかな部分を守り抜いている。
そして花蓮は、綾女の様に何かを演じてはいなかった。
似た者同士でありながら、真逆の存在。
綾女は花蓮に惹かれている。
どうしたら貴女のように強くなれるかしら、そんな言葉が口から洩れそうになり、綾女は口を結んだ。慌てたために足が石畳に引っかかる。
受け止めようとした花蓮のちょうど胸のあたりに綾女の顔が着地した。
「……わざとじゃありませんのよ」
「わざわざ言わないで、なんかワザとっぽくなるじゃない」
苦笑して、綾女が態勢をもぞもぞと直そうとしているのを見守っていた花蓮は、視界の片隅に何かを捉えたような気がした。
先ほどから感じていた違和感のような、警戒心を擽る何か。
昔、狩猟の際に熊を見かけたときのような、命の線を嗅ぎまわるかのような―殺気。
「綾女ッ!」
何も捉えていなかった花蓮の視界のフォーカスが急激に絞られていく。
夕闇の中に、黒い筒がこちらに大きく口が開けていることに花蓮は気が付いた。
本能が四肢の神経を叩く。
花蓮は綾女を押し倒すように地面に飛び込んだ。
2度の轟音が鳴る。
早鐘の様に打つ心臓が頭に血を回し、指先に力がこもった。花蓮は綾女を抱いて地面を転がる。運のいいことに、散弾は花蓮の太ももを掠めて石畳を砕いて止まった。
「花蓮、ケガはない!?」
「私は大丈夫!」
這うように建物の角に飛び込みつつ、綾女と花蓮は銃を抜く。二人を狙った人影は、手に持っていた散弾銃を放り投げる。
この場から浮いた、抑揚のない言葉がかすかに聞こえた。
まるで緊張のない、気の抜けた声である。
「お前ら、出番だぜ」
その声が合図となり、散弾銃が放たれた建物の隅から、何丁もの銃口が付きだされた。
線香花火の様に、あちこちからマズルフラッシュと銃声が鳴り響く。
その弾幕に綾女と花蓮は顔を出すことが出来ない。
「花蓮、貴女は逃げて」
だんだんと距離を詰めてくる刺客たちに、綾女は汗を頬に伝わせてそう呟いた。
「貴女こそが彼らにとっての銀の弾丸ですわ。
証言台に立てはそれだけで致命傷を与えられる、ここで二人ともやられては何の意味もないの、行って!」
「死んだら許さないんだから!」
弾幕が薄れた瞬間を見計らい、銃器ケースを盾にしながら飛び出す綾女に背を向けて花蓮は走り出した。
突如突っ込んできた綾女に対応できず、身を乗り出していた男達はダブルアクションでの連射をまともに受けて地面を転がる。
そのままの勢いで刺客たちが現れた建物の角に飛び込んだ綾女は、目を見開いて足を止めた。
そこには一人の長身の男が立っていた。どろりとした暗黒の瞳、2メートル近い針金のような体躯、鷲のような風貌。
そこに居るはずの多数の刺客はおらず、代わりに長身の男の蹴りが降り抜かれた。
鋭い蹴りをまともに受けて、綾女は表通りまで吹き飛ばされる。受け身を取り、なんとか銃器ケースを掲げる。男のコルト・アーミーリボルバーの三連射が銃器ケースを叩いた。
先ほどの蹴りで拳銃は遠くへ転がってしまった。綾女はケースに固定されているシャスポー銃のフックを外すと、脇で銃床を挟みボルトを掴む。
男の拳銃も弾切れを起こした様子であり、次弾を込めるのかベルトに手を伸ばす。
ボルトアクションとパーカッションリボルバーであれば、ボルトアクションの方が装填が早い、綾女の煌く瞳と男の漆黒の眼が交差する。
どちらが装填が早いのか。勝負を決めるのは体に叩き込んだ訓練の数のみ。
綾女がボルトを引く中、盾越しに男を追っていた綾女は目を疑った。
男はレバーを下ろすとピンを抜き、弾倉を地面に落としたのだ。一般的な装填には紙薬莢をレバーで無理やり弾倉に押し込む方法が一般的だが、男はその方法を取らなかった。
男の腰に巻かれていたのは、弾倉を横一列に詰めたベルトだった。
手早く弾倉を銃の中心部に置き、ピンをさしてレバーを引き上げる。
この間わずか4秒。綾女は男より早く弾丸を込めることには成功していたが、拳銃に比べて長大なライフルであったことが災いする。
綾女と男が銃口を向け合ったのはほぼ同時だった。
男の六連射で綾女の態勢は崩れ、ライフルでの強烈な一撃は男の顔を掠めて外れる。
硝煙が風に流れ、二人の間を通り過ぎて行く。
綾女は銃撃を受けて痺れる手を振り、盾を捨てた。
男も次の弾倉は込めず、拳銃をホルスターに収める。
「まるで曲芸師ですわね。
手品の方がこんな仕事より儲かるかもしれませんわよ」
男は鼻で笑いつつ、その体躯を表通りに著した。
その足取りとか前から、綾女はこの針金のような男が相当な武芸者であると感じた。先ほどの尋常ではない威力の蹴りを思い出し、綾女は背筋を震わせる。
体格差を覆すには相当な技量の差がなければならない。目の前の男に自分がどれほどの技量差を備えられているか、綾女には把握できなかった。
「それよりお前、相方が追われてるがいいのか」
「あの中じゃあなたが最も強いでしょう。
喧嘩の鉄則は最も強い相手から倒す事ですわ」
敵は2手に分かれて挟みこもうとしてきたらしい。それに合わせて綾女が突撃してしまったことで分断されたのが実際の所であるし、想像以上に強い相手が現れたのが現状である。しかし、綾女は動揺を隠しながらもそう言って見せた。
花蓮の銃の腕を敵は知らない、そのことは花蓮に有利に働く。自分がこの男を倒すことさえできれば何の問題もないはず。
そう自分を振り立たせながら、綾女は既にガードを上げている男にゆっくりと構える。
「あなたの名前を聞いておきましょうか」
「零士」
「私は綾小路綾女ですわ。
ねぇ零士さん、女は殴るものではなく愛でるものだとは思わなくって?」
「ぬかせ」
零士と名乗った男は距離を詰め始める。
怯えを振り払うかのように、綾女は息を吐いた。
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