59.譲り受ける容
水蛇、
『……響淮、迷っているのね』
『母上……ぼくは、今までなにも……知ろうとは思わなかった』
『わたくしがそう仕向けたのです。あなたの成長も、考えることも……ある程度の制限が必要でした』
『……そうだね、母上はぼくを守ろうと……ずっと隠し続けてくれた。
水の中で、霊亀――
彼にとっては文字通りの実の母親である。
その声に答えるようにして言葉を発するが、響淮には変化があった。
黎華と共にいた頃は『成長段階だから』と幼さが前面に出ていたが、今はそれが薄らいでいるのだ。
尹沙鈴が言うように、制御が解けているのだろう。
『ぼくが『何』であるのか……これからどうするのか……確かに、迷ってるよ。黎華には
『……あなたは聡い子ですね』
『母上、ぼくは親不孝をするかもしれない……それでも、親子でいられる?』
『ええ、もちろんです。……そして、この先あなたが選んだことを、尊重しましょう』
その言葉で、響淮は心を決めた。
何であるのかを探すためにも、彼の未来は其処にあるのかもしれない。
――夜が明けた。
静けさの中で祠の泉――尹沙鈴と響淮の元に姿を見せたのは、本来の黎華姫である。
『まぁ、黎華姫。供もつけずに……』
「湿っぽくなるのは苦手だしもう十分やったので、全部断りました。……兄さまも納得してくれたし、あとは私が事を成すまでです」
『……あなたは、本当にこの水晶宮の誇りですよ。誰よりも愛しい黎華姫』
「ありがとうございます、沙鈴さま」
黎静が泉の端で膝を折った。
そうして礼をした後、再び口を開く。
「――私の手を取っていただけますか、沙鈴さま」
『応じましょう、姫よ』
その言葉の後、沙鈴は自分の姿を見せた。そうして黎静へと手を伸ばして、二人は抱き合うようにして身を寄せる。
沙鈴の霊亀としての霊力と、黎静の花丹が混ざり合う。渦を巻いてから二人を包み込んで、圧をかけてきた。
「……っ」
『姫……』
(……私の花丹じゃ補え切れない……? そんなに過去の巫覡が起こした罪は深いと言うの……?)
全身が締め付けられるかのような感覚であった。
それは拒絶なのだろうと黎静は感じる。
言わば神座を地の真人が受け入れようとしているこの所業は、許されざる行為なのかもしれない。
「……それでも、私は……っ!」
罪を犯した日々のこと。巫覡としての役割から反したことだとしても、それを覆うほどの修業をした。遊歴をした。呪いのために自身では花丹を生み出せずとも、黎静なりの努力は何年もしてきたはずだ。
「私は、沙鈴さまを……っ、自由に、したい……っ! そうして、霊亀の負の連鎖を、断ち切りたいの……!」
『姫、……無理は、なさらないで……っ』
「無理じゃない……っ、私は、この日のために、この瞬間のために、生きてきたんだから……ッ!」
黎静は沙鈴を強く抱きしめながらそう言った。
何が彼女をそうさせているのだろう。自身の幸せを願わずに、呪いに満ちた『霊亀』を救おうとする。『否』と言われ続けてもなお、必死に抗う彼女に、沙鈴はかける言葉を探すことすら出来ない。
『――……黎静、それじゃあきみが壊れちゃう。だからぼくも、きみに力を貸すよ』
二人の頭上に、そんな声が下りてきた。
黎静も沙鈴も一瞬だけ瞠目し、口を開きかける。
だが――。
『きっとぼくは、こうするために生まれたんだ。本当は、もっと大きくなってからじゃないとダメだったんだと思う。……だからその半分だけ、ぼくに背負わせて』
「……っ、待って、響淮!」
『母上、ぼくの『黎華』をお願いね……』
『……、……響淮……』
水蛇・響淮は黎静の体を抱き込むようにして水へと招いた。
そうして、彼女の負担となっている花丹へと呼応し、そのまま容を『生成』する。水となって力を解放させ、黎静を助ける形で、彼は『霊亀』の一部となったのだ。
『……こんなつもりじゃなかったのに。馬鹿ね、響淮……』
黎静が独り言のようにして、そう呟いた。
言葉はすでにヒトのそれではなくなっており、自身がこの霊峰と一体化できたのだと悟ることができる。
『沙鈴さま、ごめんなさい』
「……いいえ、良いのです。響淮はもう数日前から覚悟を決めていました。その数日だけでもこの源泉で親子として過ごすことができた。ですからもう……あの子の意志とあなたの行いを尊重するだけです」
『お体は大丈夫ですか?』
「はい、平気です。……わたくしは天上の楼閣にいた時から今に至るまで、こんなに自由に体を動かせることはありませんでした。弱く生まれてしまったその運命さえ、一時は呪うことさえありましたが……」
尹沙鈴は、以前の変わらぬ美しい姫として、泉の端に立っていた。先ほどまで、黎静が立っていた場でもある。
そこで己の体の調子を確かめながら、腕をわずかに上げたり手のひらを見てみたりもする。
天上でもこの地上でも味わうことが出来なかった、『普通』の空気。それをゆっくりと吸い込むと、涙腺があっという間に緩んでしまう。
「……崇高なる心を持つ巫覡の姫よ……改めてあなたの想いに感謝いたします。わたくしを『個』として見てくださったこと……こうして自由を与えてくださったこと……決して無駄には致しません」
沙鈴がそう言いながらその場で膝を折る。そうして両腕を前に差し出してから頭を下げ、しっかりとした言葉で『新たな霊亀』へと言葉を捧げた。
「……それから、響淮。聞こえているかしら。わたくしに何が出来るかは今はまだ解らないけれど……わたくしなりの方法で、必ず貴方の『黎華姫』をお支えするわ。だから……」
『うん。……大丈夫、きこえてるよ。ぼくの勝手なわがままを許してくれてありがとう、母上』
水面がぱしゃりと跳ねた。
彼が再び『水蛇』としてこの場に姿を見せることは無いが、言葉だけはこうして交わせるらしい。
『ぼくはずっと此処にいる。黎静とだって、うまくやっていくよ。だからいつでも会いに来て』
「ええ、わかったわ。あなたは永遠にわたくしの誇り……愛おしい息子。そして黎華姫……あなたもわたくしの唯一の存在です」
「――ひどいな、沙鈴。唯一は僕だけじゃなかったの?」
「っ」
声がした。
それは、黎静も沙鈴もよく知る、特別な人の声だ。
沙鈴はその声に振り向くことができずに、肩を震わせている。
「僕が怖い? ……それとも、僕に幻滅した?」
「いいえ……いいえ、
「……うん、わかってるよ。遠回りさせてごめん。もうこれからは……ずっと君のそばにいるから」
「はい……わたくしも、あなたのお傍を離れません。姫と響淮が与えてくれたこの喜びを、あなたと共に噛みしめて生きます」
沙鈴は大粒の涙を零しながら、沈夜辰の腕の中に納まった。
元来の夫婦である二人が、ようやく正しい形へと収まった瞬間でもある。
泉では、霊亀となった黎静と響淮がその二人の姿を静かに眺めているのだった。
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