58.秘めた想いと交錯するもの
静かな夜であった。
自室に戻り、一人きりとなった
目の端がヒリヒリと痛むのは、先ほどまで泣いていたためだ。
「…………」
眠ろうかとも思ったが、眠れそうにもない。
そうして自分は朝になればまた、この部屋を空けてしまうことになる。
トントン。
「……誰?」
扉の向こうに影が見える。
背が高いので、
「……僕だよ。少しだけ話がしたい」
「
遠慮がちに扉が開く。
その向こうには確かに沈夜辰の姿があり、彼は複雑そうな表情をしていた。
「君、ひどい選択をしたんだね」
「そうかしら? 私の出した答えは、
「……だからって、自分を犠牲にする必要は無かったでしょ。元々は、全部僕が招いた結果なのに」
「いいえ、それは違うわ、沈夜辰。あの代の巫覡……いえ、それも見当違いかしら。とにかく、誰が悪いとかじゃなくて、私はこんな連鎖を終わらせたかったのよ」
「頑固だね」
頑なでしかない黎静を、沈夜辰は呆れた面持ちで見ていた。
もう誰が何と言おうとも、彼女は明朝に実行してしまう。
いつからこの日を待っていたのか、そのための準備をずっと一人でやってきたのかと考えれば、おそらくは水晶宮の誰もが自身を恨むだろう。
たった一人の――芯の強すぎる本来の
「……はぁ」
「納得してくれたかしら」
「ハ。君は
「私は何もしてないわよ」
「……ほんとに、この姫は……」
沈夜辰は心底嫌そうな表情を浮かべつつ、そう告げた。
そして彼は、満足そうに笑う黎静へと腕を伸ばして、抱き寄せる。
「!」
「黙ってなよ」
黎静は心底驚いていた。
沈夜辰がこんな行動に移るとは、露ほども思っていなかったようだ。
「……君のその覚悟に敬服するよ。今度こそ絶対、僕は過ちを犯さないし、この水晶宮を守ってみせる」
「そう。……沙鈴さまの道侶にそう言ってもらえるのは、心強いわね。どうかこれからも沙鈴さまを大切にして、尹馨たちとも仲良くしてね」
「黎静……いや、黎華。こんな僕を好いてくれてありがとう。君の気持ちは一生大事にする」
「……、……っ、嫌だわ、そんなこと……」
「いいから、今だけでも素直になっておきなよ」
黎静は再び涙腺を緩ませた。
あぁこれでは、朝になっても目が腫れたままで――痛むのだろう。
そんなことを考えつつ、彼女は沈夜辰の背に手を添えた。
「あなたが好きよ。……気づいたら、好きだったわ。でも、いいの。あなたが沙鈴さまと共に、これからを過ごしてくれたほうが、私は何倍も幸せ」
「約束するよ。だから君は、しっかりと見張っていてくれ」
「ええ、そうするわ」
告げるつもりは無かった。
元々、住む世界も生まれも――何もかもが違う。
たとえ自分が真人に最も近しくあろうとも、下界の存在である以上は、手が届かないと知っている。
悲観するつもりもなく、沙鈴を疎ましいとさえ思えない。
だからこそ黎静のその想いは、清らかで儚く静かに消えていくのだろうと信じで疑いもしなかった。
彼が――沈夜辰自身が気付くとは思えなかったし、その感情を伏せ切れていると思っていたのだ。
「ありがとう……沈夜辰」
「それは僕の台詞だよ、黎華姫」
沈夜辰は黎静の体を、しばらく抱きしめたままでいてくれた。
そうして腕の中で涙を零す姫が、落ち着きを取り戻すまでは、傍にいてやったのだ。
「……はぁ、なんでこんなに絡み合っちまうんですかね。まぁ、姫さんの覚悟ももうどうにも揺るがねぇし、俺たちに介入する術は無いんだよな」
「そう仕向けたのも黎静自身だ。俺だってずいぶん前から彼女と会っていたのに、その真意すら見抜けなかった」
「彼女の策は優れていました。本当に……敬服するしかありません」
黎静の室から僅かに離れた場で、静かな会話を交わす三人の男がいた。
この場も誰もが、彼女の計画に気づけなかった。
水晶宮に戻り、本来の席である『黎華姫』として座るものだと誰もが信じていた。そんな彼女を支えてこれからを過ごしていく――そんな未来図を描いていた彼らの思惑は、一瞬にして消されてしまったのだ。
「大師兄は、彼女の気持ちに気づいておられましたか」
「……いや、そうだな。先ほど皆で集まっただろう。あの時にようやく気付いたよ」
「俺もその時くらいかな。……全く、これも女の執念みたいなもんだな」
「それは言葉が悪いですよ、梓昊」
「しかし……何より驚いたのが、夜辰だ。彼はずいぶん前から気付いていたようだし、こんな風に行動に起こすのも驚いた」
三者がそれぞれ思いを告げて、また感情を巡らせる。
沈夜辰は、変わった。
最初は演技かもしれないと疑いもしたが、彼は確かに変わった。
だからこそこうして黎静と会っているのだろうし、彼なりの態度で応えてやったのだろう。
「これもあの姫さんのおかげでしょうね。俺があの時に斬ってから、放置してたら普通に死んでましたし、助けるつもりもなかったですし」
「お前は相変わらず手厳しいな」
「これは個人的な感情ですけど、俺はヤツが嫌いですからね」
沈梓昊のそんな言葉には、尹馨は苦笑するしか無い。
だが、それも仕方のないことだろう。沈夜辰が今までしてきたことを思えば、恨むことは簡単でも好意を抱くまでには時間がかかる。
「でも、頭を下げられた以上、それを跳ね返すのも師姐に失礼だからな」
「そうですね……出来れば私も、師姐のお気持ちを優先して差し上げたいです」
「……そう言えば、水蛇……
「今は師姐の傍におります。彼は彼なりに……自分の立場を考えたいようですよ」
「なるほど」
彼らはそんな話をしてから、静かに解散した。
明日はまた一つ大きなことを受け入れなくてはならない。その覚悟を各々で決めるためにも、体も心も休ませたほうがいいのだ。
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