47.いとしきもの
「
室へと戻ってきた二人は、寝台の手前にある間に入ってそれぞれに腰を下ろした。
すると尹馨が懐から小さな箱を取り出し、卓の上へと黎華に向けてそれを差し出したのだ。
「……開けてもいい?」
「うん」
綺麗な細長い箱は、装飾品を入れるものとして知られる形だ。
その蓋をそっと開けた先には、銀色の真新しい簪が入っていた。
華美なものではなく慎ましい作りのそれは、先には銀の小花と葉が添えられたものになっている。
「あ、これ……あの古樹の葉……だよね?」
「良く解ったね。……これは、君の母君の葉だよ」
「えっ、本当……?」
「落ちた葉しか使えないんだが、偶然にも昨日の夕刻ころに落ちてきてね。さっそく職人に造らせたんだ」
黎華は簪を手に取り、窓側へと腕を持って行った。
開け放しの丸窓から差し込んでくる光にその簪をあてると、ひと輝きがあるように感じる。
おそらくは尹馨が自分を思ってそう手配してくれたのだろう。
それを感じ取って、小さく微笑んだ。
「……ありがとう、尹馨」
「君の妹にもと思って、分けてもう一つ作ってある。人界に降りたら二人で渡そう」
「うん」
尹馨が黎華へと腕を伸ばしてきた。
それに逆らうことなく、黎華は自分の上半身を彼にと傾ける。
こちらに居ない時間が長すぎたからと、その穴埋めをするかのようにして彼は殆ど楼閣には居ない。
古樹へと集まる魂と、旅立っていく魂の見守りをするのが役目だと聞いていたが、呪いを受けて天上に戻れぬ日々であった間は、その役目をあの老蛙が担ってくれていたらしい。
もちろん、尹馨と同じ行動は出来ないが、導くだけであれば彼でも出来るようなのだ。
無数の命。
生まれ、還ってくる存在。
繰り返し、繰り返し廻る魂。
大罪を犯した者はあの古樹にはたどり着けないが、いくつかの罰を受けると赦しを貰え、最終的には廻りの輪には入れるらしい。
そんな
それでも、両親の魂との邂逅を経た今では、理解はさらに深まったと言える。
「黎静。今日は母と何の話をしていたんだ?」
「……古樹の話と、尹馨の鱗の話だよ」
尹馨の鼓動を間近で聞きながら、黎華は彼の言葉に静かに答えて見せた。
それからゆっくりと顔を上げて、彼を見上げる。
「……あのね、尹馨の鱗……俺の体のどこかに在るって言うのは、知ってる?」
「あぁ……まぁ、元は俺の一部だからね」
「その鱗……どうなるの? 俺の
黎華は自分の腹に手を当てて、尹馨にそう問いかけた。
すると彼は先ほどまで黎華と母が何を話していたのかを理解したらしく、少しだけ困ったような表情を浮かべる。
「俺ね……尹馨と祝言をあげる時に、一つだけ嫌だなって思ったことがあるんだ」
「黎静……?」
「……だって、尹馨は俺とは違って立場ある人だし……応龍だし、これからもちゃんと子孫を残さなくちゃいけないでしょ? だから、最終的には俺の他に誰か側室とか、そういう立場の女性を娶るのかなとか、思って……」
「馬鹿な事を言うな。俺には、君だけだ」
黎華の言葉に、尹馨は彼を再び抱き寄せる。
そうして、手のひらを黎華の美しく結われた髪へと添えて、そこで一旦深呼吸をした。
少しの間を置いてから、尹馨は静かに唇を開く。
「……君がそれを気にする日が来るだろうとは、解っていた。だから俺も、本当は祝言などせず人界で……水晶宮で共に過ごそうと思っていたんだ」
そう言ってくれるのは、やはり黎華が巫覡としてあの場を動けなかった為だったのだろう。
尹馨は、最初から自分の立場を捨てて黎華と共にあるという事を考えてくれていたらしい。
自分が何も知らなければ、それでも良かったかもしれない。
だが今は、全てを知ってしまった後だ。
やはりどうしても、応龍としての尹馨の立場と役目を、優先させなければと黎華は考えたのだ。
「俺は、尹馨にはちゃんと『応龍』でいてもらいたいよ」
「そうだね。今は……その役目を果たそうと思っているよ。君の為にね」
尹馨はゆるく微笑みを作りながら、そう言った。
間近で感じる彼の整った貌に、黎華は改めて頬を染める。
そんな『妻』の姿を何よりも愛らしいと感じている尹馨は、またゆっくりと言葉を紡ぎだした。
「……黎静、俺は……。君に出会うまでは、こんなに欲深くはなかったんだ。何を見てもさほど心も動かず……『色』も必要なかった。これはやはり俺がヒトでは無いからなんだろう。だが君が……俺に教えてくれたんだ」
「そんな、俺は……何も……」
「聞いてくれ。……俺は君を見て全てが変わった。大袈裟だと思うか? 君の美しさ……いや、存在そのものが、俺にとっての
尹馨はそう言いながら、黎華の髪に置いてあった手のひらを移動させた。そうして頬にそれを持って行ったあと、温もりを再確認するかのようにして唇を寄せてくる。
黎華はそんな彼の言葉に、まともに答えを返せなかった。
嬉しさもあり、照れもある。
それ以上に彼の与えてくれる情そのものが、自分の心の不安や悩みすらも掻き消してくれるような気がして、悦びの感情が乱れているかのような気持ちでいた。
「――母に、子の事を聞かれたんだろう」
「う、うん……」
「君が嫌じゃないのなら……いずれは、と思っている。その時は、君の中に在る俺の鱗に命が宿る。その為の花を、届けるよ」
「……俺で、いいの……?」
――もちろんだよ。
尹馨はそう言いながら、黎華に口づけた。
触れるだけのその温もりが優しくて、黎華の目じりに涙が浮かぶ。
性など、関係はない。
それを簡単には捉えることはやはりできない。だがそれでも、愛しきものが自分をと言ってくれるのだ。
だから黎華は、尹馨の思いの全てを受け止め、未来に訪れるであろう経験すらも受け入れようと強く思うのだった。
第四章・了
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