46.鸞の悪癖
「え、ええ……っ!?」
目の前の
美しい青髪はそのままであった。
少女であったその容は見る間に大きくなり、『美男子』となったのだ。
それだけならまだいいのだが、貌が
「ふふ、どうだ。尹馨は妾似なのじゃよ」
「あ、あぅ……あの、その……近い、です……母君」
満面の笑みが迫ってくる。
否、迫り切っている。
その状況の中で、黎華はやはり混乱して、月樹を否定した。
事もあろうに、変容した『彼』は声までが尹馨と同じなのだ。
「――
「っ」
黎華のそんな反応を見て悪戯心が働いた月樹は、わざと彼の耳元に唇を寄せて名を呼んだ。
まるで尹馨本人に呼ばれているかのような錯覚を起こして、黎華は身を竦めてしまう。
ちなみに、その尹馨は応龍としての役目の為に天上と人界を行き来していて、昼間は殆ど楼閣にはいないのだ。
「あの、あのっ、母君、……その、もう少し離れて、ください……」
「尹馨と勘違いするからか? 良いのう。かわいいのう、黎静は。妾は可愛くてきれいな子が大好きじゃ……ああ、抱きしめてしまいたいのぅ」
「……っ、母君、そのっ、麒麟の君には、そのような態度でいらっしゃったのですかっ!?」
「おお、そうであったな。その話をするのであった」
月樹は言葉を裏腹に、既に黎華を腕の中に収めてしまっていた。
白檀の良い香りがする。尹馨も同じ匂いがするので、やはり混乱してしまう。
黎華はそれから逃れるために必死に言葉を作り、そこで僅かな距離を取って、ずるずると後ろへと下がって見せた。
月樹は楽しそうな笑みを浮かべたままで、そんな黎華を見守りつつ、ゆっくりと口を開いた。
「……麒麟は。我が背の君は、一人でありたいと申していた」
「…………」
「元々、妾ら神獣とは、そう言うものじゃ。命はいくらでも生み出せる。だからこそ夫婦となる必要もなければ、情を交わす必要もない」
――孤高であるべきだ。
そう言うのは、黎華にも何となく理解出来た。
人をも超える存在なれば、そうあるべきだと考える者もいるだろう。
だがそれでも、それは少しだけ寂しいのではと思ってしまった。
「まぁ、妾がこういう性格じゃったからな。麒麟に初めて会うた時に、一目ぼれしてしもうたのじゃ。そして乞うたのじゃ」
「共に、とですか?」
「――子種が欲しいと告げた!」
「……は、はぁ……」
月樹は相変わらず、包み隠さず言葉を継げる人であった。
淡い恋の話かと思えば、そこまで跳躍してしまう展開に、黎華も半ば呆れ口調になってしまう。
「そうしたら、あやつは案の定、妾を否定した。……軽蔑の眼差しを向けられてしまってのぅ。さすがにあの時は堪えた」
「……母君」
「でも、妾は諦めなかったのじゃ! 欲しいと思ったものはどうしようもない。じゃから毎日、朝から晩まで付きまとうてやったわ」
「それでは、逆効果だったのでは……」
「ふふん」
思わずの黎華に、月樹はニヤリと笑って見せた。
そうして、また黎華に身を進めて至近距離になり、言葉を告げてきた。
「妾は欲したものは誰にも譲らぬ。……だからこうして、麒麟の欲を煽った」
「母ぎ、……っ」
月樹は黎華の隙を見逃さずに、頬に唇を落としてきた。
そうして再び彼を抱き込んで、必要以上に触れてくる。
髪の色以外、見た目も声も尹馨そのものである姿に迫られては、黎華もやはり反応に遅れてしまう。
「……っ、あの、お戯れも、ほどほどに……っ」
「ふむ……黎静は毎晩あやつに抱かれてる割には、初心が薄れぬのぅ。満足しておるのか?」
「な、何を仰るんですか……ッ!」
月樹という存在は、本当に底が知れずに抜け目もない。
絶世の美女であり、その肢体を惜しげもなくさらして黎華をからかったあの時からずっと、黎華は彼女に振り回され続けている。
そんな中で、一つだけ気づいてしまった事があった。
「――母上、そこまでです」
「!」
目をつぶった状態でいた黎華は、そこで聞こえてきた声に驚き、慌てて瞳を開いて顔を上げた。
自分の肩に添えられた手が、そのまま強い力で反対方向に引かれて、ぐら、と景色が揺れる。
尹馨が戻ってきたのだ。
「黎静、大丈夫か?」
「う、うん……」
「なんじゃ、もう戻ったのか。つまらん」
「母上」
「……わかった、わかった。ちと悪ふざけが過ぎたな」
尹馨はやはり、母の行き過ぎた行動に静かに怒っているようであった。
黎華を守るようにして抱き込みつつ、青竹の瞳を氷のように冷たいものにしながら睨みつけている。
その視線を受けて月樹は、やれやれと言いながら己の容を先ほどの少女のものへと戻して見せた。
それを横目で確認した黎華は、思わず安堵のため息を吐きこぼす。
「……黎静をあまりからかわないでください。あなたの
「そなたが放っておくから悪いのじゃぞ。嫁が大事なれば、共にする時間をもっと増やさぬか」
「私のせいだと仰るのですか」
「うるさいヤツじゃのぅ、妾とて――」
「――母君、尹馨!」
自分を挟み、口論が始まってしまいそうだと黎華は思った。
思わず口を挟んでしまったが、それで二人も我に返り、口を噤む。
そこから必然的に訪れるのは、沈黙だ。
「……もう。二人とも、変なところそっくりだよ……」
少しの間を置いてから、黎華はそう言った。
そうすると、尹馨も月樹も意外な表情を浮かべて、黎華を見てくる。
「尹馨、母君にそっくり。その独占欲の強いところとか……」
――夜の時の、触れ方とか。
黎華にそう指摘され、尹馨は素直に眉根を寄せた。
母に似ているという事が、あまり嬉しくないのだろうか。
「はは……っ、
逆に月樹は、また楽しそうに笑っていた。
「……まぁ、今回は妾が悪い。黎華よ、これに懲りずにまた二胡を聴かせてくれ」
「はい」
「そのうち、背の君にも会うてくれ」
「……はい。お許しいただけるのであれば」
麒麟が不在であることは、尹馨からその事情を聞いている。
だからこその言葉に、黎華は深く頷いて答えてやるのだ。
「ああ、それから……力の話のことじゃが……」
「は、はい」
「……鱗の件も含めて、尹馨に聞くがよい」
「はい……わかりました」
そう言えば、本題が随分とずれていた、と黎華は思った。
月樹からとんでもない発言があり、そこからどんどん横道にそれた話題となり、悪戯へと繋がったのだ。
尹馨は少し不思議そうな顔をしている。眉間にはまだ母に対する不満が残っており、黎華はそれを見て小さく笑って、自分の人差し指を押し付けた。
「俺の背の君。今日はもういいの?」
「……ああ」
「じゃあ、室に戻ろう。……話がしたいんだ」
「わかった」
黎華の言葉を受けて、尹馨は彼を当たり前のように抱き上げた。黎華もそれに逆らうことなく彼に腕を伸ばして、そっと寄り添う。
そうして二人は、月樹に頭を下げて彼女が座する間から退出した。
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