45.天上での日々

「黎華よ、古樹に行ったそうじゃな?」

「あ、はい……尹馨イン・シンに連れて行ってもらいました」


 祝宴から一月ほどが経った。

 黎華リー・ファはいつの間にか月樹ユエシゥのお気に入りになってしまったらしく、毎日のように召されては話し相手になったり、二胡の演奏を望まれたり昼餉を共に採ることが多かった。

 楼閣の主は要するに、昼間は特に暇であるらしい。

 最初に会った時には麗しの美女であった彼女も、いつもの趣味の姿である少女の容をとるようになり、傍目には『義姉に懐く妹』のような構図になっていた。


 今日も二胡を演奏するために彼女の元へとやってきたのだが、二曲を披露したところで、月樹からそんな話題を振られて手を止めたのだ。


「あの木の役割は聞いておるか」

「終わりを告げた魂が還る場所、だと……」

「ふむ、そうじゃな。だがそれだけではないぞ」

「……と、いうと?」


 月樹は目の前に出されている小さな菓子を軽々と口に放り込みながら、黎華にそう言った。

 ちなみに黎華にも同じ菓子と黄金桂の茶が出されていて、美しい茶器に見惚れつつ、月樹の話の続きを待っていた。


「そなたの父御は、花になることを所望したのじゃろ?」

「はい」

「花は何になると思う」

「……散れば、実……でしょうか?」


 うむ、と言いながらまた菓子を口に放り込んだ月樹は、そこで満足そうに笑いながら黎華を意味深な目で見つめた。

 黎華はそんな彼女の笑みを見て、首を傾げる。


「あの……?」


「『実』は『新たな命』を意味する。それは分かるな?」

「はい。それが人界へと降りる時に、然るべき『母』の腹に授かると」

「そうじゃ。そうして命はまた廻っていく。わらわはこの瞬間を感じ取るのが何より大好きじゃ」

「母君には、やはり感じられるのですね」


 黎華は毎日のように月樹の用意した美しい衣を着せてもらい、たくさんの侍女たちが挙って彼の髪を結いに来るためにいつまで経っても『黎華姫』のままであった。

 それでも、やはり黎華自身がそれに馴染んでしまっている為に、嫌悪感などは欠片ほども抱かずに過ごしている。

 月樹はその黎華に『母君』と呼んでもらえる事がどうやら嬉しいらしく、今も表情を崩している最中だ。


「ふふふ、良いのぅ。見目麗しい子が傍におるのは、最高に気分が良い」

「母君のほうが美しいではありませんか」

「妾の容姿などはどうでも良いのじゃ。妾が見て最高だと思えるものが良いのじゃからな」

「はぁ……」


 月樹は物言いがとても男性寄りだなと黎華は思っていた。

 美しいものは美しくなければと常日頃から口癖のように言ってはいるが、自身の美に関してはあまり気にかけてはいないようなのだ。


「それでな、黎華よ」

「はい」


「そなたは尹馨の子を孕む気はあるか?」


「――え?」


 月樹の次の言葉に、黎華は手にしていた茶器を落としそうになった。

 それを慌てて膳に置きつつ、顔を上げる。


「……あ、あの、祝言の時にも、似たようなことを耳にしたとは思うのですが……その、俺は男で……」

「まぁ、反応としてはそれが正しいのじゃろうな。妾たちの考えでは難しい事ではないゆえ、つい忘れてしまうのだが」

「…………」


 黎華はさすがに肝を冷やした。

 神が簡単に告げるそれは、その実はとんでもない言葉だ。

 否、むしろ神だからこその発言なのだろうか?

 ――と、そこまでを思案していると、軽い眩暈を引き起こして黎華はその場で深呼吸をする。


「ふむ……やはり唐突過ぎたかのぅ」

「いえ、その……すみません、自分にとってはあり得ない事だったので、考えが至りませんでした……」

「あぁ、そう落胆するでない。妾はそなたを責めているのではないぞ」

「……でも……」


 一瞬だけ、寂しい気持ちになった。

 月樹を遠く感じてしまった、と言ったほうがいいのかもしれない。とにかく黎華には、そういう心情が一番しっくりくる感情であったのだ。


「黎華――いや、ここは黎静リー・ジンと呼ぼう。そなたは黎家の者じゃ。それは地仙であることの何よりの証……つまりそなたは妾たちと近しい存在じゃ」

「はい、でも俺は……民に近い存在だと思ってます」

「ふむ、そなた……もしや己で花丹を生み出せることに気づいておらぬな?」

「!」


 そんな月樹の言葉に、黎華は表情を歪めた。

 天上で目覚めて以降、何かと忙しなく過ごしていた為に、花丹の事を意識していなかったのだ。

 そうして彼はその場で胃と腹のあたりに両手をかざし、意識を集中させた。

 次の瞬間には、ふわ、と手のひらに温かい感触が触れる。


「あ……」


 長い事感じる事の無かった、花丹の気配であった。

 しかも枯れる寸前であった以前の弱々しい感じは一切なく、むしろ今は体内で輝きを放っているかのようにも感じる。


「――そなたを蘇らせる時にな、尹馨の鱗を一枚授けたのじゃ。それが活力となり、今では誰にも劣らぬ花丹の持ち主になっておるじゃろうて」

「尹馨の、鱗……。あの、それは、俺の体のどこかに今も在るのですか?」

「聞きたいのか」


 月樹はそう言いながら、自分の膳を横に避けて黎華へと手招きをした。

 それに従った黎華は、手をついてから膝を進めて、月樹の傍に寄り上体を傾ける。


「――そなたの腹の中じゃよ」


「!!」


 その言葉に、黎華は瞠目した。

 龍の鱗は万病の薬とされているが、あまりに希少価値が高すぎて滅多に出回らないものだ。

 それ故に人々は様々な憶測を付け加え、鱗は砕けば不老不死の薬にもなる――と信憑性の無い噂まで浸透し、信じられてさえいる。

 人の目の前には滅多に姿を現さないが、応龍以外にその下位に当たる竜族も存在はしているので、実際のところはそちらの鱗から出た話でもあった。

 だが――。

 尹馨の鱗は、応龍の鱗には、どれだけの力があるのだろう。


「母君、あの……俺は本当に無知で……それゆえに解らないことが多いのですが……母君や尹馨のお力はいかほどなのでしょうか」


「やれ、また混乱させてしもうたか。そうじゃの、では妾の出来ることの『一部』を見せてやろう」


 月樹は黎華の言葉を受け止めてから、己の鮮藍の髪を一本引き抜くと、それに吐息をかけて見せた。

 すると彼女の目の前には一人の侍女が『生まれ』、その場で頭を下げてくる。

 あまりにも自然にそうしてしまう月樹に、黎華は開いた口がふさがらない状態となった。


「……まぁ、本来の神とはこういうものじゃ。ちなみに、これは妾と背の君である麒麟にしか出来ぬ。それゆえ、性別などはどうでもよいのじゃ。だが妾は、『麒麟』と出会ってしまって……人と同じように恋を知ってしまったからのぅ」

「…………」

「ふふ、意外そうな顔をしておるな。シン沙鈴シァリンだけは、妾が腹を痛めて産んだ子じゃ」

「そう、なのですか……?」


 月樹が語った話は、とても興味深かった。

 神獣である彼女が、本来であればその髪の毛一本で命を生み出せる存在が、麒麟に出会って恋をした。

 だから人と同じように想いを交わし、そうして人と同じようにして息子と娘を産んだと言うのだ。


「ちなみにのう、妾はその当時、こんな女体では無かったのじゃ」

「え」

「……ふふふ、前にも言ったであろう。どちらでもない、と」


 月樹は楽しそうな表情をしている。

 これは語りたいのだろうなと黎華は察知して、こくりと頷きながら彼女の言葉の続きを促した。

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