44.応龍、尹馨。

黎静リー・ジン、大きくなって……」

「……あぁ、本当に我が子なんだね……」


 黎華が飛び込んだ先には、両親の温もりが確かにあった。

 父も母も、黎華を受け止め、同時に抱きしめてくれている。

 妹もこの場に居れば、もっと良かったのにと心で呟きつつ、黎華は両親に甘えた。


「父上、母上……ごめんなさい、ごめんなさい……」


 黎華はそう言いながら、顔を上げた。

 そこには、やはり幻などではない父と母の顔がある。


「謝らないで、阿静。あなたは何も気に病む必要は無いのよ」

「それに……今日は祝言だったんだろう? 香霧シャンウーさまがお前を妻として迎えてくださるなんてね。これから良く尽くすんだよ」


尹馨イン・シンを……知ってるの……?」


「彼はこの古樹の守り神だからね」


 父が意外な事を言い出した。

 尹馨が守り神と言うならば、この場がいつから存在していたかは彼自身も知っているはずだ。

 それでも尹馨は、母すら知らないと言っていた。


「……っ、もしかして、『応龍』としての役目?」


「そう。阿静は賢いね。これは僕に似たのかな」

「あら、賢さだったら私に似ててもおかしくないわよ」


 父と母は、こんな状況下でも大らかに会話をしていた。

 おそらく、生前もこんな調子で過ごしてきたのだろう。黎華はそう思いつつ、応龍としての尹馨へと意識を向けた。

 父が呼んだ彼の名は『香霧』であった。それは月樹が与えた名だと聞いている。

 その名はこの地に因んでつけられたに違いない。

 霧で隠された湖の小島。『香』には味、匂い、心地が良いという総合的な意味合いがある。


「――『応龍は太乙の妻なり』っていう言葉があるだろう」

「あ、うん……思想書の引用だよね」

「諸説あるけど、太乙は天上世界を意味する。僕らから見た視点での『宙』だ。そしてここでは、天の中心がおそらく応龍……香霧さまなんだろうね。彼は命を司る立場にいるんだよ」

「……白銀の古樹は、終わりを告げた魂が還る場所……だから私たちは、ここにいるの」


 両親の言葉を聞いて、黎華は肩を震わせた。

 そうして、先ほど声だけで聴いていた父の言葉を思い出す。


 ――……天におわす鸞よ麒麟よ。どうかこの子たちだけは、お守りください……。


 もしその祈りを月樹が聞いていたとしたら。そうして、尹馨も知っていたとしたら。

 聞き届けられた祈りと共に、両親は魂となり、この古樹に迎えられたのだとしたら。

 魂は大地となり、草木となり、そうしてやがては花となってまた、下界へと降りていく。

 その過程で、願ってくれたのだろうか。この・・・を。


「父上、母上……俺を、妹を……望んでくれてありがとう。ここにはいないけど、『黎華』も元気でいるはずだから、心配しないで……」


「うん、そうね……。二人には辛い思いばかりさせてしまって、それだけがずっと気がかりだったの。でも、本当に……大切な人が出来て、心から愛してもらえるのは、一番良い事だわ」

「そうだね。香霧さまが黎華ではなく黎静を選んだのは不思議だけども、これもきっと巡り合わせなのだろうね」

「黎家での子孫は残せないかもだけど……でも、ちゃんと守っていくよ」


 黎華がそう言うと、両親は満足そうに微笑んで頷いてくれた。

 そうして互いに再び抱きしめ合い、父が黎華の額に唇を寄せると、母が頬に唇を寄せてきた。

 くすぐったいよ、と応えて笑い合っていると、彼らの体が淡く光りだす。


「父上、母上……」


「会えて嬉しかったわ」

「僕もだよ。綺麗な花嫁姿で会いに来てくれてありがとう。――香霧さま、あとは頼みます」


「!」


 黎華の背後が温かくなった。

 それに瞠目していると、急に光の洪水が溢れ出し、一瞬だけ瞼を閉じる。


『――もう、良いのですか』


 そんな声が聞こえてきた。

 振り返らずともわかる。尹馨のものだ。


「叶わないと思っていたことを叶えて頂けた……私どもには、それで十分です」


 父が黎華の向こうを見上げながら、そう言った。

 するとゆっくりと背後で大きなものが動いた気配がして、そこでようやく黎華は僅かに後ろへと首を動かす。

 その先には、黄金色に光る龍がいた。

 ――それこそが、尹馨の本来の姿である『応龍』であった。


『花となりますか、それとも葉としてここに残るか――お選びください』


 応龍は静かにそう言いながら、黎華へと僅かに寄ってくる。

 黎華もそれに応えるようにして片手を上げ、龍の姿である尹馨に寄り添った。


 黎華の両親は、その光景を見て満足そうに笑みを湛えた後、口を開いた。


「出来れば、花になりたいです。いつかどこかで、あなた達に再び会えればと……」

 

 そう言ったのは、父であった。

 母も同じように続くかと思ったが、彼女は別であった。


「私は、葉を選びます。古樹の一部となり、廻りくる魂を受け入れましょう」

「父上、母上……共にありたいとは、思わないの……?」

「いや、それは共にあれれば幸せだけどね。でも、これが『僕』で……そして『妻』だ」

「黎華と黎静の親であったことには変わりないわ。運が良ければいつかまた……廻ることもあるでしょう」


 黎華はそう言う二人の姿を見て、誇らしい気持ちになった。

 相手に依存せず、割り切れる。

 これからの未来を、宿命を――二人ともそれぞれに受け入れている証拠だ。


『――お二人に祝福を。私が応龍である限りは、どこまでもその魂を導きましょう』


 尹馨がそう告げると、黎華の両親はいよいよその形を保てなくなっていた。

 だがそれでも、父も母も、微笑みを絶やさない。

 そうして黎華もまた、目じりに涙を湛えつつも、微笑んだ。


「香霧さま、黎静を頼みます……」

「二人とも、幸せにね……」


 黎華の両親はその言葉を残して、姿を消した。

 すると、数秒後には景色すら変わり、目の前にあるのは白銀の木の幹となった。


「…………」


 黎華は言葉なく、手を伸ばしてその幹へと触れた。

 そうして、この輝きと美しさは、人々の魂が成せるものなのかと思い至り、涙を零した。

 葉が枯れないのも、霧に隠されているのも、それだけ尊いものなのだ。

 そうしてこの古樹を守ってきたのが、応龍なのだ。


「……尹馨は、いつから?」

「物心ついた時には、ここに導かれていたよ。応龍として生まれた宿命なんだろうね」

「霊亀もそうだったね……引継ぎがあって、沙鈴シァリンさまが降りていらしたって聞いたことがある」

「意識、存在そのものを全て受け継ぐんだよ。不思議だね」


 尹馨はすでに応龍の姿から元に戻っていた。

 そうして黎華の問いかけに静かに答えつつ、後ろから彼を抱きしめて、幹に置かれた黎華の手を包み込む。

 不思議である本人が不思議だというのは、黎華からするとそれこそ不思議であった。

 だがそれでも、彼らにもきちんと魂の廻りがあり、『生きて』いるのだと実感する。


「尹馨……連れてきてくれてありがとう」

「ここにいる間に、どうしても会わせてあげたかったんだ」

「うん……嬉しかったよ。俺も、両親を誤解したままでいたくなかったから……」

「……寂しい?」


「ううん。だって、尹馨がいるでしょ。それに、俺の今の『母君』は月樹さまだから」


 ――母がこの場にいたら、酷く感動して泣いていたかもしれない。

 そんなことを思いながら、尹馨は腕の中で綺麗な笑みを浮かべる花嫁を、きつく抱きしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る