43. 父と母と

 ――ねぇ、あなた。侍医が見てくれたのだけど、お腹の中の私たちの子供は、二人いるみたいなの。



 知らない声を聞いた。

 だがしかし、黎華リー・ファはその声に瞠目して、表情を固まらせる。



 ――本当かい。だったら天からのお授けものだね。朝晩と、共に祈った甲斐があったね。



 次に聞こえてきたのは、別の声音だった。

 最初が女性のもので、その次は男性の響きだ。



 ――きっと、あなたと私に似るのね。ふふ。


 ――君に似るよ。誰よりも美しい子になる。



「……っ」


 記憶にはない。

 それでも、黎華には確信に近い何かを感じ取っていた。


 この声は。

 自分たちの両親のものだと。



 ――生まれる子は巫覡となってしまうけれど、絶対に不幸にはしないように共に頑張っていこう。


 ――ええ、そうね。そうそう、あのね、二人の名前を考えてみたの。


 ――聞かせて。


 ――ファジン。煌びやかで、それでいて落ち着きのある、素敵な双子よ。


 ――とても素敵だ。綺麗な良い名だね……。じゃあ僕は、二人のあざなを考えることにするよ。



「……、なんで……」


 黎華はそう言いながら、両手で顔を覆った。

 どうしてこんな声が聴こえてくるのか。何故、聞かせようとしてくるのか。

 喜びよりも苦しみに感じて、彼はゆるく首を振った。


 両親は、自分たちが生まれて間もなく亡くなった。

 病と、心の弱さゆえの自害であった。



 ――阿静、阿華。ごめんね。抱いてあげられなくて、ごめんね……。愛しているわ。



「!」



 ――阿静、阿華。愛してる、愛してる……。何もしてあげられない父を、怨んでくれてもいい。でもお前たちにまで病がうつってしまったら、何より僕が救われない。だからここで、お別れだよ。



「……、え……?」


 次に聴こえてきた言葉に、黎華はまたもや瞠目した。

 聞かされていた内容と異なるからだ。

 ――否、周囲にはそうとしか見えなかったからなのか。


 母は、やはり病に打ち勝てず、逝ってしまった。

 その後、父は後を追って自分の胸を小刀で突いた。



 ――愛してるよ。僕たちの宝物。……天におわす鸞よ麒麟よ。どうかこの子たちだけは、お守りください。例えどんなに過酷な運命になろうとも、必ず彼らを生かしてください。受けるべき罰は、僕が持っていきますから……。



 父の言葉から察するに、苦難の末での自害であると感じた。

 つまりは、母の病が彼にもうつっており、そこで食い止めるために父は自ら命を絶ったのだ。


「父、上……」


 こんな形で、なぜ報せてきたのだろう。

 自分がどう受け止めていいのか、わからなくなってしまう。

 黎華は――否、黎静は、両親には愛されていなかったのだと思い込んでいた。

 感触も声も、子守歌や波浪鼓の音すらも記憶には無い。

 物心ついた時には、乳母とたくさんの侍女たちに囲まれて、『母上さまは病で、父上さまは酷く悲しまれて、母上さまを追うように亡くなりました』と聞かされていただけだった。その言葉の意味を、そのままで捉えてしまっていた。


「なんで、なんで……っ!」


 叫ぶようにしてそう言うと、黎華の目じりから涙が零れ落ちた。

 皆の気遣いが、今にして思えば恨めしくも感じてしまう。

 そう思ってはならないのに、抑えきれない。


「父上、母上……っ、なんで、どうして誰にも、……ッ!!」


 ――言えなかったのだろう、と解っている。

 二人はどちらも巫覡では無かった。先代が存命していた為に宣旨は受けなかったのだが、どちらにしても黎家である以上は、水晶宮と運命を共にしなくてはならない。

 ちなみに、母が直系で、父は分家からの婿入りであったらしい。


 生まれる子は次代の巫覡。

 その重大さを彼らは知っていたはずで、それゆえに病をうつしてはならぬと思ったのだろう。


「うっ、うぅ……っ」


 黎華は嗚咽を漏らしていた。

 悔しいという感情と、己の無知さを改めて思い知り、恥じるより他はない。

 守られて、愛されて、隠されてきた。

 その寛大なる両親の思いを、今やっと受け止めたのだ。


「――黎華」

「あなた、あの子は黎静よ」


「っ!?」


 声が明確な響きとなって、黎華へと届いた。

 それに驚き、慌てて顔を上げれば白銀の木があったあたりの位置に、二人の男女が立っていたのだ。


「黎静、こちらへいらっしゃい」


 女性は柔らかな笑顔で、そう告げた。

 ――それが、母であった。

 自分や妹とよく似ている。もう少し年を重ねれば同じくらいになるだろうと思えるほどの、美姫だった。


「……母、上……」


「黎静、先に僕が抱きしめたい。おいで」

「ちょっとあなた、抜け駆けは許さないわ」

「だって、今しか会えないんだよ」


 彼女の隣に立つ男性は、父であった。

 物腰が柔らで、穏やかな印象だ。二人のやりとりを見ていると、若干母に押され気味な部分があったのかもしれない。


「……っ、父上、母上……!」


 黎華はゆっくりと立ち上がったあと、二人へと目がけて駆けだした。

 許されるのなら。

 触れていいのなら。

 幻でないのなら。

 ――二人に抱きしめてもらいたい。


 そう、思った。


 止めたと思った涙が再び溢れて、止まらなかった。

 そうして黎華は、両親にいっぺんに抱き着いたのだ。

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