41.酔い

 宴はとても華やかであった。

 楼閣の家人が総出で尹馨イン・シン黎華リー・ファを祝い、目の前では文字通りの天女が舞を披露してくれている。ひらり、ひらりと舞う羽衣が美しく、黎華もその動きに夢中になって見入っていた。

 その子供のようなしぐさを愛おし気に見るのは、隣に座る尹馨だ。


「これ、美男子が崩れておるぞ」


「伴侶が可愛いのだから、仕方ないでしょう」


 母の指摘にもきっぱりと惚気て返すその姿勢に、月樹ユエシゥは素直に呆れた。

 尹馨はどちらかと言えば、あまり感情を表に出すことはしない息子であった、と月樹は朧気に思い起こす。


 修学で下界に降りたきり、呪いを受けた影響もあり、黎華を連れ帰るまでここには戻ってはこなかった。


 自分にも父にも従順で、逆らうことは無く正しく育った。それが模範となり、弟弟子たちは『尹馨のように』との志を持ち、多くを学んでいったものだ。


「……黎華を諦めずに良かったな。香霧シャンウーよ」

「そうですね……今思えば、諦めずにいられたのは、沙鈴シァリンのおかげだと感じております」

「阿鈴か……カイチたちから聞いてはおるが、無事なのか?」

「……その件は、改めてお話させてください」


 尹馨の言葉に、月樹はそうであったなと言って、苦笑した。

 彼の為に用意した祝いの席だ。

 今はそれを楽しませてやらねばならない。


「ねぇ、尹馨。あの舞い手の人たちも普段は侍女なの?」

 黎華が尹馨の袖口を引きながら、そう言ってくる。

 楽しそうな横顔に安堵しつつ、尹馨は彼の手の上に自分の手のひらを添えて、口を開いた。


「彼女たちは『鳥』だよ」

「鳥……?」

「見ててごらん」


 尹馨はそう言って、自分の右手を口元に持って行った。人差し指と親指を付けて唇に当てると、そこから音色が生み出される。

 ピューイ、と音が響いた。

 すると舞いを披露していた天女たちはその姿を変え、黄色と橙色の小鳥となり、黎華の傍へと飛んでくる。

「わぁ……」

 小鳥たちは黎華に花を振らせて見せた。

 小花が一斉に彼の周りを飛び交い、可憐な光景を生み出している。


「奇跡みたいなことが、こちらでは普通に起こるんだね……。とても綺麗だ……」


 黎華の素直な反応に、尹馨も月樹も頬が綻ぶ。

 彼が食べやすいようにと膳にも気を遣ったが、どうやら水晶宮にいた頃よりかは食べられるようだ。


黎静リー・ジン、腐乳餅は平気?」

「うん。前は苦手だったんだけど……美味しいよ。尹馨はお酒のほうが好きなの? あんまり食べてないみたいだけど」

「そうだね、実はそんなに食べたいとは思わないんだ。遊歴の時に斜陽山で酒の味を知りすぎたのかな」

「斜陽山って……確か、西の……」


 膳の上の九つの小鉢は、黎華より尹馨のもののほうが減ってはいなかった。

 彼は酒が好きようなので、盃ばかりが傾いている。

 かなりの量を飲んでいるのだが、それでいて全然酔う気配が無い。

 斜陽山の名を聞いて妹の存在を思い浮かべた黎華だったが、口には出さずに南瓜の煮物に箸をつけた。


「……斜陽山には、大蛇がいるんだ。俺のあざなの名付け親なんだが……そのうち、一緒に会いに行ってくれるだろうか」

「大蛇……蛇王だよね。俺でいいなら、いつでも……あ、でも、水晶宮に戻ったら出られないかもしれない」

「君の立場のことは……また後で話すけど、戻るころには大きく変わっているよ」

「え? そうなの……?」


 そんな会話をしているうちに尹馨の盃の中身があっという間に無くなった。

 黎華はそれに継ぎ足すために傍に置いてある瓶を手にして、彼に傾けてやった。女子おなごにしか見えない指先で、しなやかな所作で夫の盃を満たす。

 その仕草は実に完璧で、周りで見ている者たちですら視線を奪われ、思わずのため息を零していた。


「黎静は美しいな」

「……尹馨、もしかして酔ってるの?」

「俺は酔わないよ。そういう体質なんだ。そう言えば君は、酒は飲めるのか?」

「飲めないことは無いけど……自分からは、あんまり……」


 間近で黎華の仕草を見つめていた尹馨は、楽しそうに微笑みながらそう言った。

 そして黎華の返事を待ってから注いで貰った酒を煽り、彼の腕を引く。


「……少し、飲んでごらん」

「……ッ!」


(尹馨……みんなの前なのに……!)


 尹馨は躊躇うしぐさなど一切見せずに、黎華に口づけてきた。

 そうして、口の中に含んでいた酒をそのまま移し、半ば無理やりに彼に飲ませる。

 

 久しぶりの酒の味は、妙に甘くて熱く感じた。


「ん、……」


「……全く、こやつらときたら……」


 月樹がやれやれと首を振り、右手を上げた。その仕草で花が舞い、周囲の者たちの注意を拡散させる。

 小鳥となり黎華の傍にいた天女たちは鈴のように笑いながら、再び舞い手となるために中央へと飛び立ち、自慢の羽衣を宙に舞わせた。


「尹馨、黎華よ。ある程度を楽しんだのなら、あとは下がっても良いぞ。ただし、情には耽るな」

「……善処はします」

「ええい、己の欲ばかりを花嫁にぶつけるでない。あっさりと酔わせよって」

「…………」


 月樹の指摘通り、黎華はたったあれだけの酒で酔ってしまい、今は尹馨に体を預けてしまっている。

 それすらも尹馨の思惑通りだったのか、母である月樹もその手管に舌を巻いた。


「室には戻らず、風に当たらせてきます。……こちらに戻るかどうかは分かりませんが」

「好きにせよ」


 尹馨はそう言いながら黎華を横抱きにして立ち上がり、祝いの席から抜け出した。

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