第三章

22.入れ替わりの代償。

 水晶宮の『黎華リー・ファ姫』と公子『黎静リー・ジン』は、男女の双子ながらもよく似ていてとても愛らしい、と幼いころから周囲で評判になるほどだった。

 二人とも美しく成長するだろう。それを容易に想像できた権力者たちは、その頃からすでに婚儀の相談などを申し出る者が絶えず出ていたという。

 姫には然るべき立場の者を。

 そして公子には養子縁組の末に我が娘を娶らせようと言う、欲に満ちたすり寄りが多かった。


「まぁなんてこと! お二人はやっと七つになったばかりだと言うのに!」


 二人の乳母だった女性が、怒りながらそう言っていたのを今でも覚えている。

 黎静と黎華には、この時すでに両親はいなかった。

 母親は二人を産んだ後病にかかり、そのまま亡くなってしまった。

 父親は彼女の死を受け入れられず、心を病んだ後に自害した。

 そう言った経緯から、この乳母と侍女たちが彼らの親代わりとなり、心を込めて育ててくれたのだ。


 ちなみに、両親はどちらも巫覡ではなく、母の伯祖母にあたる人物が『先代の巫覡』であった。


「姫さまも公子もお可哀想にね……このままじゃ権力者たちの言いなり……結婚相手すら選べないじゃない」

「巫覡になられることが決まっている姫さまは、今後は水晶宮からも出られなくなってしまうしね……」

「黎家に生まれた宿命とはいえ……気の毒にね」


 侍女たちがそんな話をしていた。

 自分の事は少しも不幸だとは思わなかったが、妹の事を思うとやはり侍女たちの言う通りに可哀想だと思った。

 だから黎静は、一つの作戦を思いつき、妹に持ち掛けた。


「ねぇ黎華。みんなを驚かせてみない?」

「何をするの?」

「ぼくたちとても似てるから、ちょっとの間、入れ替わっても誰も気づかないと思うんだ」

「あら、それはとても面白そう!」


 妹は楽しそうに兄の言葉を受け止めた。

 彼女はすでに巫覡としての教育を受け始めていたので、ろくな遊びも出来ずに息苦しさを感じていたのだ。

 

 そうして二人は、自分たちの着ていた衣を交換し合い、互いに綺麗に整えてやった。


「兄さま、本当に女子おなごみたい!」

「黎華こそ、ぼくが目の前に立ってるみたいだ」


 兄妹は楽しそうに見つめ合いながら、楽しげに笑っていた。

 周囲には『本当に仲の良いきょうだいですこと』と囁かれるのみで、誰もその入れ替わりに気づいていないようであった。


「ねぇ、今日一日はこの姿で過ごしてみようよ。それで、誰かに先に悟られた方が負け!」

「ふふ、楽しい遊びね兄さま! わたし、立派な男の子でいられる自信があるわ!」


 妹はとても嬉しそうにそう言いながら、その場でくるりと回って見せていた。

 兄は――『黎静』は、その笑顔こそが自分の宝で、これからもずっと守ってやりたいと確信したのだ。


 そうして二人は、入れ替わりを行い丸一日を互いの姿で過ごしきった。

 それが幸か不幸か、家人の誰にも入れ替わったことを悟られなかった二人は、そのまま引き離されてしまう事になる。

 次の日の早朝、『黎華姫』は禊で奥の洞窟へ。

 公子の『黎静』は馴染みの商人と共に遊歴へ。


「……黎華、ぼくの代わりに外の世界をいっぱい学んできて」


 妹は眠ったままで商人と共に水晶宮から出て、兄は己を偽りながら――姫として禊の儀式を受けたのだ。


『あなた……いつもの姫さまでは無いのですね』


 ――洞窟内。

 衣一枚の姿で禊の泉へと浸かったところで、頭上に降りてきた声があった。

 彼は慌ててそれに顔を上げたが、自分以外は聞こえていなかったのか、侍女も何も変わらずに傍で控えているのみだ。


『……黎静。あなたはこれから重く辛い罰を受けるでしょう。それでも、入れ替わった真実はわたくしとあなただけの秘密にして差し上げます。いずれ露見してしまうその時まで……わたくしからの『声』は、霊峰の近い未来のみを授けます。みなにはそれだけを伝えて、過ごしなさい』

 

 優しい声音でそう言われた。

 それが誰であるのかは、その時は分からなかった。

 水晶宮の霊峰には、昔から『霊亀レイキ』という瑞獣が鎮座している。

 霊亀そのものがこの霊峰であり、清らかな水と神聖なる気でそれらは成り立っていた。


 ―ーそのはずであった。


「っ!!」


 黎静は、我が目を疑った。

 自分の半身を濡らしていたその泉が、一瞬にして真っ赤に染まったのだ。


「な、なに……これ……!? これが罰なのですか」


『……いいえ。これはわたくしの呪い……』


 姿なき声が、僅かに震えていると思った。

 それが『霊亀』であるのだろうと、黎静はそこで初めて悟る。

 過去に何が起きたのかは、噂程度にしかわからない。

 罪を犯した者がいた。

 罰を受けた者がいた。

 ――霊峰を穢した者がいた。


「……っ、あ、あぁ……ッ!!」


「姫様!?」

「姫様、どうされたのです!?」


 黎静の上げた悲鳴に、侍女たちが驚いて駆け寄ってきた。

 彼女たちには、鮮血のような色は見えていないようであった。


「いやだ……ダメ……無くならないで……!」


 黎静はその泉の中で、己を抱きしめながらそう叫んでいた。それが『呪い』か『罰』か、自分では判断できなかった。

 体の奥底にあるはずの霊力。当たり前のように存在した目に見えないものが、そこからじわじわと形を崩し始めていったのだ。


 黎静は黎華と入れ替わったことによりその日から体の中の花丹を少しずつ奪われ、体力を無くしていった。

 その代わりに、泉の色は徐々に薄まっていく。

 後で知った事だが、巫覡の役目は己の花丹で霊亀を浄化すること――。

 神の声を聞き民に伝えるというのは『飾り』に過ぎなかったのだと、思い知らされたのだ。

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