21.短い逢瀬、そして真実。
「どこに行ったのかなって思ってたんだけど……そうか、例の泉か。前に俺のことを『
目の前でそう話す
尹馨は今のこの現状を理解することに少々遅れて、言葉を作り出せずにいる。
「……
「黎華」
黎華がゆるりと両腕を差し出した。
その姿を見て、尹馨はたまらず『彼』を抱きしめる。
先ほどまで抱きしめていた『少女』ではなく、黎華そのものだと感じた。
「俺を勝手に待たせて……あんたはズルいよ」
「ああ、そうだな」
「尹馨……」
腕の中に納まった黎華は、そろりと両手を尹馨の頬に当てて背伸びをした。口づけをせがんできたのだ。
尹馨もそれをすぐに察して、彼の腰を強く抱き込んで体を寄せる。
――触れた瞬間から、深い口づけをした。
「ん、……尹、シ……」
唇から漏れる声は、確かに黎華のものだった。
それを確信して、尹馨も温もりに溺れる。
「……黎華……」
出会ったあの日、『彼』を見たとき。
――心に衝撃が走ったのを、今でも鮮明に思い出せる。
美しくて、儚くて、愛おしくて――切なくて。
そう言った感情が内心で混ざり合い、それで触れてしまった。
今まで誰に会っても、こんなに心が動いた事などなかった。
幾人かの美女や少女に言い寄られたこともあったが、『綺麗』と思う以上の感情は一切沸かなかった。
抱けばそれ以上のものを探れるかとも思い相手をしたが、それでも心根には変化は無かったのだ。
「黎華、……君は、……」
「……好き、……」
唇が交わされる間に紡いだ言葉に、黎華も答えてきた。
彼は迷いなく、自分の気持ちをぶつけた。
『水晶宮の黎華』として――彼の本心が、尹馨に向いているという事を示してくれたのだ。
「……は、……尹馨、あんたの気持ちは……水晶宮で聞かせて」
「黎華……?」
「待ってる……俺はずっと、待ってる。尹馨のくれた贈り物、全部大切にしてるよ。あれから誰も、通わせてないから……」
「――黎華!」
長い口づけの後、黎華の体が淡く光った。
彼はその光の向こうで目に涙を溜めて、それでも微笑んでいる。
そうして、尹馨の胸をトン、と叩いた瞬間に、光は拡散した。
夢のような時間は、あっという間に終わりを告げたのだ。
「……はぁ……やっぱり、消耗しちゃうな……」
そう言いながら膝を折ったのは、黎静だった。
もうそこには黎華の気配も『姿』もなく、元の少年の姿になってしまっている。
「
尹馨は慌ててその場に膝をつき、黎静を支えた。
肩を揺らしつつも顔を上げた黎静は、にんまりと満足そうな笑みを湛えて、尹馨を見る。
「ふふ、尹馨。すごく情熱的な口づけだったね……そんなに好きなの? 兄さまを」
「…………」
黎静の言葉に、尹馨は何も返すことが出来なかった。
若干の照れもあるのか、思わず彼女から視線を逸らしてしまう。
「尹馨、兄さまに触れてくれてありがとう。さっきの術ね、私しか使えないの」
「え……?」
改めてそう言う黎静に、尹馨は瞠目した。
自分の知らない術であったために、黎家のみに伝わるものだとは思っていた。
だが、どうやら秘められたもののようだ。
「見ての通り、消耗が凄いから……元から弱ってる兄さまがやったら、力尽きちゃう。だから、教えてもいないんだけどね」
「君は、大丈夫なのか……?」
「言ったでしょう。ここでしか出来ないって。あの泉があるからこそ、無茶が出来るの」
黎静は力なく笑いながら、視線を泉のほうへとやった。
黎家は元々術士の家系だ。血筋からすでに『人間』ではなく、真人――すなわちの神仙の域の種族である。
そう言った理由から、『巫覡』の花丹も生きる限りではその体内で普通に精製出来るし、維持も出来る。
黎華は黎静と入れ替わった事情から、命の源にも繋がる花丹が代償となり精製出来ないのだろうと思っていた。それは、双子である妹にも影響が出てしまうのだろうか。
「黎静、そもそも何故……こんなところに泉が?」
「私たちの何代か前……立場を捨てて逃げた巫覡がいたのは知っているでしょう?」
「……あぁ」
尹馨の言葉が暗くなった。彼にとっては苦い思い出でしかない代の話だ。
それを傍で感じた黎静は、彼を見やって申し訳なさそうにしながら言葉を続ける。
「巫覡はね、生まれてしまった以上は役目を全うしないと罰が下るの。……投げ出したり、逃げたり……そういう事をしてしまう代の人は、花丹が徐々に消えて行くのよ」
黎静の言葉には重みがあった。
この二人もやはり、その『罰』を受けてしまっているのだろう。黎華の花丹が極端に少ないのもそう考えると理解が出来る。
「……それでね、この泉は……その巫覡が逃げ込んだ場所なの。水晶宮からは随分離れているから……しばらくここで過ごしたのね。元々、ここに古い堂宇があったみたいだから、きっと何かの縁だったんだと思う」
「一緒に逃げた男がいただろう?」
「彼はここで死んだわ」
「!」
伝え聞いた話と随分違うと思った。
そもそもあの時は、尹馨にとってはそれどころでは無かったという部分もある。
「表では、巫覡の姫を捨てて逃げた……と言われていたでしょう。実際はね、違ったの」
「なぜ死んだ?」
「……二人はここで自害を図ったのよ。愛するがゆえにね」
尹馨はその話を聞いて瞠目した。
逃げた巫覡は結局は水晶宮に連れ戻されている。そして、あの『悲劇』が起こった。
自分の妹――
血が流れ、自身も血を流し、傷ついた。
「この山には元々、鉱石があるでしょう。それが地仙だった男性の花丹に呼応して、あの泉が湧くようになったのよ。きっと、そこまではあの巫覡の彼女は知らなかったんでしょうね」
「自害して、なぜ彼女だけ助かった?」
「……尹馨、あなたはもう気づいているんじゃない? 彼は彼女に嘘をついたの。ここで共に死のうと言っておきながら……最初から死なせるつもりはなかったのよ」
「…………」
愛したから、死なせられない。
そう言った感情の末だったのだろうと尹馨は思った。気持ちは分からなくはない。同じ立場に置かれれば、自分もそうしたかもしれない。
黎華がもし逃げて、ここに二人でたどり着き――行く先には死しかないと気づいてしまったら。
罰のために花丹が尽きて、死を待つしかない黎華を、自分は見ていられるだろうか。
(……無理だ。黎華が目の前で死ぬなど……考えられない)
心でそう呟き、尹馨は首を振った。
それを見て、黎静は小さく微笑む。
「ねぇ、尹馨。あなたは死を選ばないでね。兄さまを一人にしないで。私は必ず『巫覡』に戻るから」
「黎静」
「さっきの泉の味、忘れないで。これが私と兄さまの命の味――今代の巫覡の花丹の証よ」
黎静は半年前にこの山の堂宇へと篭った。
そうして、一人きりでこの場に座していた。花丹の維持と精製を、湧き出る泉に助けてもらいながら。
「あなたの受けた呪いも、妹姫さまのことも……全部それで繋がるわ。必ず元に戻してあげる。……だから、兄さまを愛してあげてね」
黎静はそう言いながら、優しく微笑んだ。
その笑顔に黎華が重なり、尹馨は胸の奥が痛んだような気がした。
二章・了
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